5日、標津(シベツ)を12時過ぎ通過。
小樽ルフェリーターミナルへは22時に着かないといけない。しかし、まだ10時間もある。
地図を見ながらゆっくり北海道を横切りましょう。
R272はミルクロードとか言うらしい。確かに牧場ばかり。統一されたデザインの牧場の看板が次から次に表れる。雨は止みかけてきた。
途中、いつのまにか道道13を走っていて、その後R243を弟子屈(テシカガ)方向へ。
弟子屈(テシカガ)の道。
ここは摩周、R243からR241へ。
道の駅「摩周温泉」、道路の側溝から湯気が出ていた。
R241を阿寒湖へ登る。
R241を足寄(アショロ)方向へ。
その先、木々の隙間からチラチラ阿寒湖らしいのが見えるが、湖畔に辿りつけない。湖畔への道を通りすぎたのか。
アイヌシアターと言う看板があったので寄ってみた。
アミニズム、トーテミズムが商業観光的に誇張されたデザイン。何かスッキリしない。
アイヌ文化は売り物ではない。
先住民アイヌは、本州の商人から詐欺に近い方法で収奪され、松前藩の鉄砲隊により虐殺され、明治以降は差別されてきた。
そもそも、蝦夷征伐は騙し討ち、謀殺の世界だった。そう言う歴史を忘れてはいけないと思う。学校では教えてくれないけどね。
湖畔への道が判らないので引き返しみたら、滝見橋と言うのがあって、これは阿寒川への流れらしい。
再度引き返し、「まりも幼稚園」方向へ脇道を入って、小学校を過ぎ、更に脇道を他人サマの土地へ突っ込むと、湖畔に出た。
梅雨の様な曇り空の阿寒湖。
足寄に着いて、R241をそのまま進む。
足寄の街。道東道には乗らず、帯広方向へ進む。
直ぐ先まで高速道が来ている。チョット意外な気がする。
そう言えば、足寄は国策捜査で起訴され有罪になって、最近まで刑務所にいた勇ましい、騒がしい衆議院議員サンの地元。
彼のオトモダチ、最近は政治活動もなさっているスキンヘッドのフォークシンガーもこちらの人だったハズ。
高速は、こう言うウルサ方の働きもあって出来たンでしょうか。
士幌町へ着いてR274方向へ進む。ここから先は札幌までズットR274だ。
この辺りは鹿追と言う町らしい。17時前、陽が暮れるまで後1時間程度(?)。
最後の北海道らしい風景を撮る。
広い北の大地。
道の駅「しかおい」でオシッコ。
近くに煙突が備わった住宅がズラ~ッと並んでいた。今でも薪を炊いて暖をとっているンでしょうか。
日勝峠へ登る道、登りはズゥ~っと追越車線が付いている。飛ばし屋にはアリガタイ対応ですけどね。
十勝平野を一望する日勝峠。
北海道で愛車は走行13万キロを越えた。
その後、日が暮れると同時にまた雨になった。
そして、前後を走る車が増えて来た。大型トラックも増えて来た。
札幌市内に入って20時半、やっと小樽の表示が見えた。
あたりの道沿いにはファミレスとか牛丼屋ばかり、もう北海道の風景ではない。
フェリーに乗るまで酒は呑めないし、取りあえず近くのファミレスで軽く腹ごしらえ。
22:20、小樽フェリーターミナル到着。無事北海道を横切った。道内走行距離は約1340kmだった。
フェリーは行きと同じ「あかしあ」、売店にも行きと同じオニイチャン、オネエチャンがいた。
「自販機の故障、なおったかァ?」
「エエッ?、アッ、はい!」
雨に打たれているし、出港して直ぐ風呂へ入った。
脱衣場で隣で脱いでいたオジイサン、「向こうに着いたら、雨、上がってますかねぇ」
「さぁどうでしょうか」
「バイクなんで、雨はツライんですよ」
九州から走って来られたそうで、家を出てもう3000km走ったそうだ。
家までまだ700kmあるそうで、まだまだこのオジイサンの長旅は続く。
フェリーの中では、ズッと寝通しだった。
昼前に売店でカップ麺を買って食べただけ、特にオナカも空かなかった。
6日、予定より50分程早く、20:10過ぎ舞鶴へ着いた。
フェリーを降りるとき、九州から来たと言うオジイサンの話を思い出し、ふと見ると、前の車は宮崎ナンバー、その隣は鹿児島ナンバーだった。皆さん遠くからお越しです。
しかし、その逆となりは神戸ナンバーの5人家族、オトウサンは外人さん。
その前には北見ナンバー、これは北海道からのお客さん。
自家用車が約30台、そしてバイクは20台ほど。その中にあのおじいさんもいるのだろう。
バイクに中には、ナント、スーパーカブが2台あった。沢山の荷物を積んでいる。離れて停まっていたので、別々の旅人だろう。
スーパーカブでノンビリ北海道ツーリング、それも良いんでしょうね。
さてワタクシも家まで後150キロ程。
もう遅いし、帰りは高速を走ることにする。
イリーガルなスピードで突っ走り、22時過ぎ、帰宅。
長い長いドライブは無事終了。オツカレサマでした。