蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

どこか・とおくへ・いきたい:北海道を横切ってまた小樽から帰る(8/5~8/6)

2012-08-13 23:54:34 | 車でブラブラ

5日、標津(シベツ)を12時過ぎ通過。
小樽ルフェリーターミナルへは22時に着かないといけない。しかし、まだ10時間もある。

地図を見ながらゆっくり北海道を横切りましょう。

Imgp3596 R272はミルクロードとか言うらしい。確かに牧場ばかり。統一されたデザインの牧場の看板が次から次に表れる。雨は止みかけてきた。

Imgp3597 途中、いつのまにか道道13を走っていて、その後R243を弟子屈(テシカガ)方向へ。

Imgp3598 弟子屈(テシカガ)の道。

Imgp3599 ここは摩周、R243からR241へ。

Imgp3601 道の駅「摩周温泉」、道路の側溝から湯気が出ていた。

Imgp3604 R241を阿寒湖へ登る。

Imgp3605 R241を足寄(アショロ)方向へ。

その先、木々の隙間からチラチラ阿寒湖らしいのが見えるが、湖畔に辿りつけない。湖畔への道を通りすぎたのか。

Imgp3606 アイヌシアターと言う看板があったので寄ってみた。
アミニズム、トーテミズムが商業観光的に誇張されたデザイン。何かスッキリしない。
アイヌ文化は売り物ではない。

先住民アイヌは、本州の商人から詐欺に近い方法で収奪され、松前藩の鉄砲隊により虐殺され、明治以降は差別されてきた。
そもそも、蝦夷征伐は騙し討ち、謀殺の世界だった。そう言う歴史を忘れてはいけないと思う。学校では教えてくれないけどね。

Imgp3609 湖畔への道が判らないので引き返しみたら、滝見橋と言うのがあって、これは阿寒川への流れらしい。

Imgp3610 再度引き返し、「まりも幼稚園」方向へ脇道を入って、小学校を過ぎ、更に脇道を他人サマの土地へ突っ込むと、湖畔に出た。

Imgp3611 梅雨の様な曇り空の阿寒湖。

Imgp3613 足寄に着いて、R241をそのまま進む。

Imgp3614 足寄の街。道東道には乗らず、帯広方向へ進む。

直ぐ先まで高速道が来ている。チョット意外な気がする。
そう言えば、足寄は国策捜査で起訴され有罪になって、最近まで刑務所にいた勇ましい、騒がしい衆議院議員サンの地元。
彼のオトモダチ、最近は政治活動もなさっているスキンヘッドのフォークシンガーもこちらの人だったハズ。
高速は、こう言うウルサ方の働きもあって出来たンでしょうか。

Imgp3615 士幌町へ着いてR274方向へ進む。ここから先は札幌までズットR274だ。

Imgp3618 この辺りは鹿追と言う町らしい。17時前、陽が暮れるまで後1時間程度(?)。

Imgp3619 最後の北海道らしい風景を撮る。

Imgp3620 広い北の大地。

Imgp3621 道の駅「しかおい」でオシッコ。

Imgp3622 近くに煙突が備わった住宅がズラ~ッと並んでいた。今でも薪を炊いて暖をとっているンでしょうか。

Imgp3623 十勝清水の街。

Imgp3624 日勝峠へ登る道、登りはズゥ~っと追越車線が付いている。飛ばし屋にはアリガタイ対応ですけどね。

Imgp3625 十勝平野を一望する日勝峠。

Imgp3626 北海道で愛車は走行13万キロを越えた。

その後、日が暮れると同時にまた雨になった。
そして、前後を走る車が増えて来た。大型トラックも増えて来た。

Imgp3627 札幌市内に入って20時半、やっと小樽の表示が見えた。

あたりの道沿いにはファミレスとか牛丼屋ばかり、もう北海道の風景ではない。
フェリーに乗るまで酒は呑めないし、取りあえず近くのファミレスで軽く腹ごしらえ。

Imgp3629 22:20、小樽フェリーターミナル到着。無事北海道を横切った。道内走行距離は約1340kmだった。

フェリーは行きと同じ「あかしあ」、売店にも行きと同じオニイチャン、オネエチャンがいた。
「自販機の故障、なおったかァ?」
「エエッ?、アッ、はい!」

雨に打たれているし、出港して直ぐ風呂へ入った。
脱衣場で隣で脱いでいたオジイサン、「向こうに着いたら、雨、上がってますかねぇ」
「さぁどうでしょうか」
「バイクなんで、雨はツライんですよ」
九州から走って来られたそうで、家を出てもう3000km走ったそうだ。
家までまだ700kmあるそうで、まだまだこのオジイサンの長旅は続く。

フェリーの中では、ズッと寝通しだった。
昼前に売店でカップ麺を買って食べただけ、特にオナカも空かなかった。

6日、予定より50分程早く、20:10過ぎ舞鶴へ着いた。

フェリーを降りるとき、九州から来たと言うオジイサンの話を思い出し、ふと見ると、前の車は宮崎ナンバー、その隣は鹿児島ナンバーだった。皆さん遠くからお越しです。
しかし、その逆となりは神戸ナンバーの5人家族、オトウサンは外人さん。
その前には北見ナンバー、これは北海道からのお客さん。

自家用車が約30台、そしてバイクは20台ほど。その中にあのおじいさんもいるのだろう。
バイクに中には、ナント、スーパーカブが2台あった。沢山の荷物を積んでいる。離れて停まっていたので、別々の旅人だろう。
スーパーカブでノンビリ北海道ツーリング、それも良いんでしょうね。

さてワタクシも家まで後150キロ程。
もう遅いし、帰りは高速を走ることにする。

イリーガルなスピードで突っ走り、22時過ぎ、帰宅。

長い長いドライブは無事終了。オツカレサマでした。


どこか・とおくへ・いきたい:雨の知床旅情(8/5)

2012-08-13 18:19:56 | 車でブラブラ

5日、斜里の日曜日の朝は雨。かなりキッチリ降っている。

Imgp3568 斜里からR244を離れR334を知床半島へ行く。

Imgp3571 半島へ真っ直ぐに伸びる道。

Imgp3573 道の駅「ウトロ」、海辺の観光地、雨にも関わらず、車がいっぱい。

Imgp3578 知床五湖の方へ行ってみよう。五湖から先、カムイワッカ方面はマイカー規制されている。
カムイワッカとは、神サンの水と言う意味だそうで、マイカーがドンドン入ってはいけません。当然でしょうナ。

Imgp3579 臨時駐車場の側で、鹿サンお食事中だった。ジャマしてゴメンネ。

Imgp3580 白樺の林の中に続く道。

Imgp3581 この先でマイカーはオシマイ。
五湖の駐車場は雨の中、ほぼ満杯。と、言う事は観光客だらけ(?)。入るのはヤメにした。

Imgp3584 道路脇の看板。ヒグマを見て、近付いたり、エサやったりするおバカがいるらしい。アァ怖ワ。

Imgp3586 R334に戻り、知床峠へ。何~ンも見えません。

Imgp3589 羅臼へ下る道。本州の山岳観光道路と同じ風景。

Imgp3590 途中何軒かの温泉があって。羅臼へ着いた。

道の駅「らうす」も、ほぼ満車。

Imgp3593 その先にあった「純の番屋」は、空いていたので入ってみた。オナカも空いてたし。

Imgp3591 最初ここで「北の国から」を撮影したと思っていた。
撮影現場は別の離れた個人所有の小屋だったそうで、これは復元したモノだそうだ。

Imgp3592 地元の水産会社がやっているとか。世話好きそうなオバサン(その水産会社の経営者親族?)、「メニュウはないので、コチラで説明します」とショーケースの中を説明。
「イクラはウチで加工してます、ヨソから買ってきたモンじゃないですよ」、イクラ丼¥1,450.-、当然美味かった、スゴク美味かった。

羅臼からR335となり、晴れていれば国後が間近に見えるそうだが、な~ンも見えず。

Imgp3594 標津(シベツ)で一旦R244に戻り、直ぐR272へ。

ここから、海沿いを離れ、北海道を横断することになる。


どこか・とおくへ・いきたい:オホーツク沿いに知床斜里へ(8/4)

2012-08-13 10:32:45 | 車でブラブラ

宗谷岬を9時過ぎに出て、知床斜里へ走る。

Imgp3518 宗谷の丘に広がるウインドファーム。脱原発でドンドン発電して下さい。

Imgp3519 この辺りは猿払(サルフツ)と言うらしい。コンビニで朝食を調達。缶コーヒーはホットにした。
もうLAWSONも7-11もない。あるのは北海道のSeikomart。

Imgp3522 「ベニヤ原生花園」という看板を見つけて、寄ってみた。

Imgp3523 団体サンの観光客がいないのがアリガタイ。浜辺へ木道が続いている。

Imgp3524 静かなオホーツク海の浜辺。

Imgp3525 ハマナスもそろそろ咲き終わり。

Imgp3527 クガイソウと言う花らしい。それ以外、あまり花は咲いていない。

ところで「ベニヤ」て、どんな花?
木道ですれ違ったオジサンに訊いてみた、「さぁ判りませ~ん、ハハハ」
浜辺ですれ違ったオバサンに訊いてみた、「知りません」

花を接写しているオジサンに訊いてみた、「ベニヤと言うのは、この辺りの地名です」

このオジサン、観光写真専門のカメラマンだった。北海道各地を飛び廻って撮影しておられるそうだ。
「今は、もうほとんどの花が終わりかけています。北海道へ来るなら6月です。あらゆる所、道端は花が咲き乱れて、それはもう綺麗ですよ」

そうか、北アルプスと同じ、北海道でも雪が融け終わった頃、花のベストシーズンになるのだ。
「今度は是非、6月に来て下さい」、でもネ、6月はまだ関西も涼しいし、北アルプスへ行く事もあるし。

「今年はズット天気が悪くて、フツーなら北海道の8月と言うと、バァーっと青空がひろがって、それはもう見事な青空で、それが今年はチョットおかしいンですよ、本州の梅雨みたいで」

これは時々聞く話し。
温暖化で温帯が亜熱帯になり、亜寒帯が温帯になっている、と言う事らしい。
もう我々はスバラシイ北海道の8月の青空は見れないのか、そして北海道にも梅雨が来るのか。

カメラマンさんにお礼を言って別れた。

Imgp3531 相変わらず真っ直ぐな道。

Imgp3532 静かなオホーツク海。

Imgp3534 道の上にある矢印は、雪に埋まった時の道の端を示すものらしい。

Imgp3538 雄武(オウム)町、牛さんがお食事中。

Imgp3540 静かなオホーツク海と真っ直ぐな道。

Imgp3541 紋別の道の駅でオシッコ。帆船のナントカ丸が寄港していた。

Imgp3544 サロマ湖に到着。

Imgp3545 サロマ湖も穏やか。

Imgp3547 「ワッカ原生花園」の看板を見つけて寄ってみた。
ここは観光客で賑わっていて、レンタサイクルや馬車が備わっていた。

Imgp3548 浜辺まで出るには、確かに自転車や馬車がいりますナ。

Imgp3549 サロマ湖を隔てて見た北海道。

Imgp3550 静かなサロマ湖の岸辺。

Imgp3551 ここもハマナスは終わりかけ。

Imgp3553 網走手前あたりに広がっていた麦畑。広い。

網走監獄と言うのがあるそうで、寄って見ることにした。

ワタクシ、今まで沢山悪いコトをやってきた。
殺人、強盗、窃盗、恐喝、詐欺、婦女暴行、以外の悪いコトは全てやってきた。
塀の向こうへ落ちないのは、運が良かっただけだ。

取りあえず、一度見ておくのもいいだろう。

Imgp3555 しかし、刑務所とは別の場所に博物館として復元移築したものだそうだ。

Imgp3557 中は工事をやっていて、しかし観光客がいっぱい。

Imgp3559 復元移築した博物館で、観光客がいっぱいとなると、興味は半減、お金まで出して入る気はしない、帰ろ。

Imgp3560 帝政ロシアの南下に対抗して、エゾの地の開拓を進めるべく、士族反乱の政治犯を道路建設に使った、と言うのが始まりで、その後自給自足の農業監獄となったらしい。
維新政府、つまり薩長が、幕府側のサムライをこき使って、後は自分らで喰っていけ、と言うコト(?)
文明開化なのに、人権無視も甚だしい。まぁエエけど、先祖は武士ではないし。

ホンモノへ行ってみよう。

Imgp3561 しかし、車では入れなかった。


Imgp3562 この橋の向こうにあるらしい。

Imgp3566 稚内からR238を走って来て、網走からはR244になる。やっと斜里岳が見えて来た。


Imgp3567 斜里手前の牧場でお食事中なのは、お馬さん。

斜里駅前のホテルには17場過ぎ着。

ホテルは団体サンで賑わっていた。
斜里岳や羅臼岳に行くのだろうか、ジジババの登山グループもいた。

早速、道産の美味い物を喰いに、フロントで案内もらって街に出たが、サビシイ、とてもサビシイ。
商店街へ行ってもサビシイ。案内に載っている店でも閉まっていたりする。

一軒の居酒屋、煌々と電気が点いていた。飛び込んだ。

土曜なのに店内は空いていた。

ビール、地酒、サシミ、ホタテ、ホッケを頼む。付き出しはツブ貝の煮付だと、朴訥なオネエサンが教えてくれた。
ホッキと言う貝のサシミは美味かった。
ルイベもタコもホタテもボタンエビもとにかく全て美味かった。

最後はイクラ丼にしようと思っていたが、お腹イッパイになって店を出た。

トロトロ歩いているとスナックが数軒あって、店を開けようとしていたママさんが「ビール1本飲んで行かん?」と声をかけて来た。
オネエサンだったら、そのままスゥ~っと入って行ってしまったかも知れないが、「ゴメン、また来ま~す」

ホテル横のコンビニでチョット買いモノ。
レジに並ぼうとしたら、綺麗な小さいオバアサンが横に並んで来た。ワタクシ当然、先を譲る。そのオバアサンもワタクシに先を譲ろうとする。
「ボク、よそモンなんで、地元の人、優先ですよ」
「まぁ、斜里までようこそ」

出口でまたそのオバアサンとバッティング。ワタクシ、ドアボーイをする。
「まぁ、アリガトウゴザイス」
「この辺はもう、お豆腐屋さん、無いンですかぁ?」
「エエッ???」
「イヤ、さっきレジでお豆腐ないの?て言うてはりましたヤン」
「イヤ、そう言う事じゃなくて、ここのお豆腐、オイシイんですよ」
地元の豆腐屋より、コンビニの方が美味いと言うコト(?)

「こちらの方ですかァ?」
「イエ、出身は〇?△です」
「〇?△?」
「北見からチョット行ったあたりです、お見合いで、何も判らずこっちへ来たんですよ」
「見合いして、2回目が結婚式ちゅうヤツですか?」
「ワタシの場合、3回目でしたけど」

まぁ人生、色々あるンですね。
「お気を付けてお帰り下さい、また来て下さい」

北海道4日目は、上品で綺麗なオバアサンとの、一瞬の会話で終わった。


どこか・とおくへ・いきたい:宗谷岬と平和公園(8/4)

2012-08-12 00:38:41 | 朽ちゆく草の想い

4日、北海道ブラブラの当初の目的である、宗谷岬へタッチしに行く。
観光客が湧きだす前をねらって7時半にホテルを出る。

8時過ぎ到着。それでも観光客が既にウロウロ。

Imgp3508

Imgp3509 最北端の印「N」にタッチ。

振り返ると、丘の上に何か建っている。
登っていく途中には、「キツネにエサをやらないで」との看板がやたら立てられていた。

Imgp3510 これはロシア帝国の軍艦を監視した建物らしい。
大国の野蛮な侵略志向が世界の常識だった頃のハナシですナ。
この国は、そんな世界に巻き込まれたのか、それともウデまくりして、勇んで飛び込んだのか。あぁ、アホクサ。

Imgp3511 1943年、日米海軍が宗谷岬で戦って、ニホンジンが700人程、アメリカジンが80人死んだらしい。
やはり米帝国主義の戦力はスゴイ。

Imgp3512 平和の碑と戦没者慰霊碑が並んでいる。

Imgp3513 そして、冷戦時代に民間機がソビエト帝国主義の戦闘機に撃墜された事件の慰霊碑「祈りの塔」。先端は事故のあった海域を指しているそうです。

Imgp3514 韓国機が領空侵犯をした原因は、位置や速度を算出する装置の単なる操作ミスらしいが、ソ連の防衛官僚はイテマエと命令し、戦闘機のパイロットはミサイルを発射して、民間人269人が亡くなった。
まぁしかし、当時の韓国もクーデターを起こして大統領になった軍人がトップにいて、ソ連とは国交もなかったワケで、只々、航空券の安さにつられたとは言え、偶然この大韓機に乗った不幸な人達を悼みます。 

宗谷岬は「平和」のモニュメントばかりだった。その先は国境の海なので、紛争の舞台となるのは仕方ない。

しかしネ、チョットひとコト言わしてもらいますが、こう言う「平和の祈り」とか「平和の誓い」とかの碑を立てたりする人達の中には、クニを守るための軍隊を持つべきだ、増強すべきだ、と言うのが多くて、どうもワタクシ、彼らの「平和」にスッキリしない。
彼らの「平和」とは、敵を武力で抑えたり、敵をせん滅したり、要は戦争に勝って得られる「平和」でしょ。
ユダヤの財力で裏付けられた圧倒的な武力で、パレスチナを押さえつけ得ているイスラエルの「平和」と同じでしょ。
こんなン「平和」と言えるンでしょうか。
大体、「平和」維持「軍」とか言う、言葉かあっていいのだろうか。
平和とは、まず武器を捨てて、話し合いで紛争を治めて得るべきです。
人類は野蛮な勇ましい時代から、穏やかにモノゴトを進める時代に、進化したはずです。

しかし、まだそういう事が判らンおバカは多いし、逆に増えてきそうな感じもして、ホント厭になる。
そして、あまり「平和」「平和」が多いと、チョットちゃうやろ、と言いたくなってしまう。あぁアホクサ。

Imgp3515 宮沢賢治サンの文学碑。後輩(教え子?)の就職を、樺太の製紙会社(?)に頼みに行った時、詠んだ詩だそうです。

Imgp3517 車の屋根に立っている様に見えるのは、間宮林蔵サンの像。江戸時代に樺太へ渡り、それが島であることを発見したとか。
と、言う事は樺太は江戸時代からこの国の領土(?)

まァ今は稚内と友好都市になっている街もあるそうだし、フェリーで定期的に繋がっている様でもあるので、どっちでもイイけどネ。


どこか・とおくへ・いきたい:利尻山は8合目でオシマイにしてウニ丼を喰らう(8/3)

2012-08-10 20:42:04 | 一人ブラブラ

3日、ホテルを5時半に出て、利尻へのフェリーターミナルへ5:50着。

Imgp3491 離島へ向かうのは「ハートランドフェリー」、利尻へは1時間40分。

Imgp3492 その向かいにはサハリンへ行く「ハートランドフェリー」、コルサコフへは5時間半。

キップを買うと、直ぐ礼文行きの乗船が始まった。旗を持った添乗員に引率された団体サンがゾロゾロと進んで行く。

利尻行きは6:30出港。

鴛泊港では「島一周案内します」とか書かれた看板の横に、TAXIが待ち構えていた。
その1台にスッと乗る。

運チャンは40代半ば。今年、観光客は減ったが登山客は微増らしい。
「水、充分持ってます?今年、既に5人救出されてます、みんな、脱水症で、女の人達、あまり水持たず、安易な気持ちでやって来たらしくて」
「無くなったら、引き返しますよ」
運チャンは生まれも育ちも利尻、就職先がなく10年程、横浜で働いていて、また戻って来たとか。
「戻ってきた直後は、仕事終わった後、遊ぶトコなくてねぇ、するコトなくて」
「確かに珠ァに来たらエエトコやけど、まぁ都会人は3日おったら飽きるやろねぇ」
「でも最近、こちらへ引っ越して来た人、多いんですよ、この辺に100万程で空いている家、沢山あって」
「それ、完全移住ですか?別荘とかじゃなくて」
「エエ、そうらしいですよ」

Imgp3493 麓のキャンプ場着、8:25。少し晴れて来た。

さぁ行きますか。
しかし、ここの標高は約200m、テッペンが1700m、その差1500m。
これ、上高地から奥穂への登高距離と同じ。奥穂の場合は直ぐ下に小屋があるし、涸沢にも小屋がある。
しかし、ここはそんなモンないし、ワタクシの場合、今日の宿も稚内のホテルだ。フェリーの最終は18時。

これは、登頂ムリかも。
大体、5月連休後に蓮華大沢に行った後、六甲山を一度ブラブラしただけで、その後山へは行っていないし、自転車でブラブラもせず、ただダラダラしていただけ。こんなンでテッペンまで登れるワケがない。

まぁイイでしょ。利尻に来たのはウニ丼を喰らうためで、利尻山はオマケ、時間つぶしの様なモノ。とにかく行けるトコまで行きましょ。 

Imgp3494 最後の水場、甘露泉水。

Imgp3495 10時過ぎ、6合目着、第一見晴台と言うらしい。
ここまで、誰とも会わず。山頂方向はガスに覆われている。時々ヘリの音が聞こえる。

この先でオジサン1人、アベック1組と行き交う。

7合目を越えた辺りから、脚がツリだした。

下の方からワイワイ楽しそうな話声が聞こえて来た。
刹那、若者3人、スゴイ勢いで登って来たので、先を譲る。「コンチワぁ、オツカレでぇす」
「元気やねェ、冗談言いながら登るかァ」
「へへへ、うるさくてスイマセ~ン」

その後をオジイサンが一人。先を譲る。

しかし、この4人、直ぐ先の7.5合目の第2見晴台(?)でご休憩中。

Imgp3496 11:40、8合目長官山着。相変わらず周りはガスに覆われている。

短パンにスニーカーの青年1人が降りて来た。「コンニチワ」
尾根の反対側踏み跡へ降りようとしたので、「そっち違うよォ」

この青年、横浜から輪行で旭川へ飛び、利尻までの200キロを漕いで来たそうだ。ヤリますなぁ。
今朝は麓の宿を5時半に出たとか。やはりテッペンまで行くには、それ位のスタートが常識ですナ。
明日は礼文を一周して、稚内から飛んで帰るらしい。飛行機での自転車持ち込みは20キロまでならタダらしい。
「これからどうするンです?頂上まで行くンですかぁ」
「イヤ、もう戻るよぅ、宿、稚内で連泊やネン」
「そりぁ大変だ、フェリー乗り遅れたりすると」

先程の若者3人が登って来て、休憩後、登っていった。

Imgp3497 次から次、降りて来る人、老夫婦、オジサングループ、女性1人等々。

横浜の青年、「写真、撮らせて下さい、色々お話しした人の写真、撮らしてもらってるンです」
と言って、ワタクシを撮って下っていった。

相変わらず頂上方面はガスに覆われている。さぁもう下りましょ。

Imgp3498 6合目の上にあるトイレブース。この中に入って、持ってきた携帯トイレに出せ、と言う事だ。男性はペットボトルに出して、下のキャンプ場トイレに流す方法もあるよ、と書いてあった。
まぁイイことですね。自分の出したモノは持って帰るべきでしょう。
 

Imgp3500 6合目でしばらくボォ~とした。ガスが抜けて来た。

Imgp3502 5合目まで下ると、礼文が見えた。

Imgp3503 15時前、麓のキャンプ場に戻って来た。
利尻山の保護のための注意事項が色々書いてある。

ストックの先にキャップをつけろ、とか、植物を盗るな、とか、植物の上に座るな、踏むな、とかは常識なんですけどねぇ。
そして、靴に付いた外来種子を持ち込まないための洗い場があったし、降りて来た後のドロの洗い場もあった。
ここは自然保護原理主義の山(?)、まぁイイことです。

皆さん、ここでTAXIを呼ばれておられるようだが、ワタクシ、携帯持ってませんので歩きます。

呼んだTAXIに乗ろうとしたオジイサン、運チャンから「靴のドロ、洗い流してくれてる?ドロだらけの靴で乗らないでねェ」と、言われていた。
これはこの島のTAXI文化なのか。まぁ登山者のマナーと言えば、マナーですけどね。

Imgp3505 オオシラビソの森の中に町営の温泉設備や文化設備があった。

街に着いたらナンカ騒々しい。お祭の様だ。屋台が沢山並んでいる。
しかし、食堂がない。

鴛泊まで来ても食堂がない。
スーパーに入って訊ねると、「フェリー乗り場の前にありますよ、土産モン屋とかと並んで」

あったァ、ウニ丼の看板も上がっている。

取りあえずビールを頼んで、「何かツマムもんありません?」
メニュウにはラーメンとかドンブリ類しか載っていない。
「ウニサシならありますけど」
「イヤ、ボク、ウニ丼食べに来たンで、その前にウニサシはチョット ・ ・ ・ 」と、言うと、「これサービスです」、オネエサンが青菜の漬物を出してくれた。
このオネエサン、スレンダーな中々の美人。娘を連れて帰って来た姉妹らしきオネエサンも同じ様な美人。利尻は美人姉妹の島なのか。

そんなコトはどうでも良くて、ウニ丼¥3,200.-、「ワサビをお醤油に溶いて、少しずつかけながら食べて下さい」

Imgp3506 これも美味かった、スゴク美味かった。感激だった。

店の中には、利尻、礼文で撮影した小百合サマの映画、「北のカナリアたち」のパンフレットが置いてあった。確か小百合サマ、以前も北海道で映画、撮られてましたよねぇ。

「お客さん、山、登ってたんですかァ」とオカミサンが訊いてきた。
「エエ、途中までですけど、ところで先程までいたオネエサン、ムスメさんですか、二人ともスゴイ美人ですねぇ、皆さん、利尻の人?」
「ハイ、親子でやってます、また来て下さい、今度はチャンと登って下さい」

ハイハイ、また来年来ますよ、美人姉妹のいる店でウニ丼喰らいに。

稚内へ戻るフェリーが着いた。

Imgp3507 フェリーに乗ろうとした時、初めて利尻のテッペンが見えた。

稚内に着くと、もう食べに出歩く元気なく、コンビニで惣菜とお酒買ってホテルへ戻る。

ホテルは前夜に引き続き、卓球中学生と同宿らしい。「学生さんは静かにして下さい」との貼り紙があった。

風呂場へ行くと、騒いでいた男子がフッと静かになった。

「なんや、君ら、他の客からモンク言われたンか」
「イヤ、それもありますけど、仲間に静かにせんといかん、と言うのもいるンですよゥ」
「ショーモないのがおると困るなぁ」
隣でビショビショのまま、下着を履こうとする子がいた。
「君、チャンと拭かんとビショビショのママやでぇ」
どうやらバスタオルを持ってきていない様だ。
「バスタオル、無くてもさっきまで使っていたタオル、絞って拭いて、また絞って拭くンや、そのうち、乾くでぇ」
「ハ、ハイ、判りました」
とてもイジメなどしそうもない、素直な中学生ばかりだった。

このホテルの温泉はここで湧いていなくて、源泉から運んでいるそうだ。
ナンカ、トロっとした、ヌルッとした透明なお湯。
利尻でツッた脚は、これで癒やされるだろう、きっと。

壁の向こうから、女子のキャツキャキャッキャの声が聞こえる。

良いなぁ、あっちへ行きたいなぁ。行ったらエライ騒ぎになるけど、行きたいなぁ。