蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

どこか・とおくへ・いきたい:天然ウナギと幸徳秋水の四万十川

2012-08-29 23:38:10 | 車でブラブラ

暑い、とにかく暑い、どこかへ避難しないとこのままではワタクシ、溶けて消えてしまう。
どこへ避難するか、また北海道もイイけど、人や車がほとんどいない地域なら、南でも涼しいかもしれない。

しかし、中四国はかつて特殊機械メーカーで営業をやっていた時、イヤと言う程通ったエリア。行けば当時の腹立たしい事なども色々思い出すし、あまり行きたくはない。
そんな事を考えていたりしていて、フト思い浮かんだのは四万十川。

愛媛の宇和島までは何度も通った。しかし、宇和島から裏山を越え四万十川に沿って中村までのコースを、特殊機械メーカーの営業で走ったのは、多分1回か2回。
覚えているのは、中村市の東にある小さな造り酒屋へ機械を納めて、試運転に立ち会った時のこと。

そのビジネスの代理処理を任せたのは、新居浜の小さな商社。
東京の大手商社で、その特殊機械メーカーの製品を扱っていたA氏が、大手商社を辞めて新居浜へリターンした後、四国でも売りたい、とアピールしていたからだ。そういう人物の心意気は大切にしないといけない。

しかし、実際に動いた担当のオニイチャンは、頭とクビが同じ太さで、歩くよりコロがった方が速く移動出来そうなおデブのB氏。いつも汗を拭きフキ仕事をしていた。
ただ、とにかくマジメで、全てに懸命な態度には好感が持てた。とは言え、よくからかってましたけど、ゴメンネBサン。

特に難しい仕様ではなく、納めてオワリ、のつもりだったが、Bサンは試運転に立ち会って欲しいとTELして来た。
「そんなン、Bサンが行ってスイッチ、入れるだけですよ、ナ~ンも難しいコト、ありませんよ」
「しかしボク、昔、ある機械の試運転、行って、スイッチ入れたら、工場の電源、全部落してしもて、お客さんからエライ、怒られて、今回もナニ失敗するか判ラン、出張費払うてもエエから、メーカーさんに来て貰え、とAからも言われまして」
「そやけど、ウチの技術、まともに呼んだら、今回のお宅のマージン、飛びますよゥ、ボクの都合に合わせて貰えるなら、宇和島へ行くついでに行きますけど」
と、言う事で四万十川を下った。

試運転は無事終了。お客さんの検収も済んで片付けていたら、ナゼか客先のブレーカーが、ボン、と落ちた。
「アレエっ、Bサン!、何したのォ」
何もしていないBサンは、大慌て、「ボ、ボク、な、何もしてませんけど」
また、Bサンをからかってしまった、ゴメンネBサン。

そんな愛すべきBサンは、その後ヘンな病気になったりして、オカシクなり、その新居浜の商社を辞めてしまった。
仕事のストレスが溜まりにたまったらしい。要するにBサンはA氏からパワハラを受けていたのだ。それを察するシーンは多々あった。
お別れのあいさつの後、「田舎へ引っ込んで、また畑でもします」とBサンは言っていた。

Bサンは、この後どうしたのだろうか、頭とクビが同じ太さで、歩くよりコロがった方が速く移動出来そうな体型は、少しはマシになっただろうか。

と、言う思い出話はオワリにして、取りあえず、あのノンビリした四万十川沿いの道を中村まで行くことにしよう。
そして、中村に着いたら四万十川の天然ウナギを喰おう。

そして何と言っても、中村と言えば、自由・博愛・平等、非戦、公娼制度反対等を訴え続けたあげく、明治政府による冤罪でコロされた社会主義者、幸徳秋水の生まれた地。お墓もあるし、顕彰碑もあるそうだ。
更に25日には四万十市の中央公民館で、彼を含む12人をコロした大逆事件のドキュメンタリー映画「100年の谺(こだま)」があるらしい。四万十市民大学の特別講座として、2回目が14時から。夜明け前に出れば、これに間に合う。

25日、出発3時。何回も通った山陽道から瀬戸大橋へ。

Imgp3639 何度も立ち寄った与島のSAへ5時過ぎ着。

駐車場は半分程度埋まっていた。当然、売店、食堂は営業前。休憩室、トイレ、洗面には学生らしき若者でいっぱい、さすが夏休み。こんな沢山の若者をここで見たのは初めてだ。
20年以上前からの約10年間、四国からの帰りは必ずここへ寄り、公衆TELから事務所へ連絡、場合によっては、客先や代理店にも連絡していた。ハードネゴをしたこともあった。あぁ、アホクサ。

Imgp3640 松山道を宇和島へ入り、三間ICで降りる。

道の駅・みま着、8時過ぎ。何かのイベントがあるらしい。お揃いのTシャツを着た人が集まっている。お子チャマも集まっている、夏休みだモンね。

この辺りの風景に見覚えはないので、掃除をしていたオバちゃんに道を訊いた。
「ここを出て、信号を左、左、右へ松野町の方へ行って、その先はまた訊いて下さい」

Imgp3641 県道57に出ると、見たことがある風景。確か近くに練り製品の食品工場があったはずだ。

Imgp3643 R381、見覚えのある川沿いの狭い道。

Imgp3644 四万十川らしき風景だがこれは広見川と言うらしい。

Imgp3645 R441に出るといよいよ四万十川。同時に雨が降りだした。

Imgp3646 頻繁に道が狭くなる。昔走った時とあまり変わっていない気がする。

Imgp3647 ナントカ(岩間?)沈下橋。

Imgp3648 晴れだした。

Imgp3650 この休憩所には、昔来た時も立ち寄った。

東屋でオバアサンお二人が休憩中。毎週、この休憩所とトイレの掃除に来られているらしい。「ワタシはこの上から、この人は下から歩いて来ちゅうがです」
河原にカヌーが並べられて、人が集まっているのが望める。近くの宿泊所(ユースホステル?)のカヌー講習会とか。「あそこの奥さんが教えちゅうがですよ」

Imgp3651 沈下橋を渡って見ることにした。

と、先からダンプが。ワタクシ1/4位しか渡っていなかったのでノロノロとバック。しかし道の両サイドは石がゴロゴロ、どうして交わそうかと思っていたら、ダンプのオジサン、プッとクラクション鳴らし、軽く会釈した後、ゴロゴロの河原をゴォ~っと走り去った。
ダンプのオジサンの仕事の邪魔をしてしまった。

Imgp3652 渡りなおして、Uターンして対岸から見た景色。これは勝間沈下橋と言うらしい。

四万十市には10時半前に着いた。

中央公民館は大きなショッピングセンターの隣にあったが、駐車場に空きスペースなし。
市民大学の受講者はJA高知の職員駐車場に停めよ、との看板あり。そこへ行ってみると未舗装のガラッとした広場。柵もゲートもないが、勝手に停めると罰金1万との表記。
中村駅がすぐそばにある様だ。

取りあえず停めて、中央公民館へ戻り、停めたことを届けておこうと思った。
しかし、公民館の受付に人がいない。いくつかの部屋では何かの講習会をしている様だが、施設全体を管理している様な人が見当たらない。
2Fの大会場では1回目が上映中。しかし通路にはスタッフ等、誰もいない。
フト見ると壁に内線電話が。事務室への連絡はこれを使うらしい。

掛けると暫くしてオニイチャンが出た。「ハイ、受講者はテキトーに停めてよかですよ、今日1日はJAから許可とっておりますき」
あの状態じゃ誰でも自由勝手に停め放題なんですけど、まぁエエか。
罰金とるぞと言いつつ、皆さんノンビリしてはります。

まず、幸徳秋水の生家跡へ行ってみよう。

市役所横のR439沿いにあるらしい。と言う事はつい先程、逆方向に車で走った道沿いだった。

Imgp3654 途中にあった海産物屋サン、煮干し、鰹節がバラ売りされていた。鰹節は当然削る前のかたまり。

Imgp3656 生家跡はその直ぐ先にあった。薬屋さんと酒屋さんの息子だったそうです。

Imgp3657 辻を隔てた先には昔のままの陶器屋サン。四万十市は土佐の小京都だそうです。

Imgp3660 山の上の城跡が公園になっていて、そこに秋水の絶筆碑があった。しかし、漢詩なので、何が書いてあるか判りません、ワタクシ。

Imgp3663 隣に解説が書いてあった。(国家による冤罪で)罪人になって、改めて無官の平民の尊さを知った、と書いてあるらしい。 

Imgp3662 絶筆碑の裏の略歴。

Imgp3664 少し進むとお城を模した郷土資料館があった。

Imgp3665 とにかく暑い。山を上がって来たので汗だくだ。入場料310円払って涼みに入った。客は他にいなかった。
幸徳秋水のコーナーもあったが、ほとんどはこの地を治めたお殿サンや古墳のことばかり。
こう言う資料館、博物館はどこも同じパターンですナ。

Imgp3668 最上階:天守閣から見た四万十市、後川方面。

Imgp3669 西の方向に四万十川。

Imgp3670 山を下ると昔のままの長屋。立派な屋敷や大きな商家より、こう言う長屋の方が小京都の雰囲気でイイと思う。

Imgp3671 その先を山側へ入ると墓地があった。

Imgp3672 幸徳一族の古い墓石が並んでいた。隣には秋水の「後輩」である坂本清馬サンのお墓があり、この人の墓石はまだ新しかった。
とりあえず皆さんに念仏十念、ナムアミダブツ。
清馬サンは大逆事件では無期懲役。刑務所を出たのは30年以上後の戦後。
何度も再審を請求したらしいが、結局認められず、40年程前に亡くなられたそうだ。ホント、ヒドイ話。

Imgp3673 墓地に立てられていた顕彰を解説する看板。毎年1月24日の命日には墓前祭が行われているそうです。

市役所の中の図書館に秋水の資料室があるらしいが、とにかく暑い、汗だくでフラフラ。とにかくビールが呑みたい。

時間は13時前。中央公会堂近くまで戻って四万十ウナギが喰える店を探すことにする。

しかし、四万十の中村とは言え、そんな沢山のウナギ屋サンがある訳ない。市役所の近くに大きな店が一軒あったが、表まで客が並んでいた。
駅前の客待ちのTAXI運チャンに訊いてみると、もう一軒、四万十川沿いにあるそうだが、チョット遠いらしい。

もうウナギは諦めて、通りがかりの店へ入った。とにかく冷えたビールが呑みたい。
お寿司屋さんの様な店構えだが、丼、定食、何でもやってます、と言う雰囲気。
案内されて席に座ると、四万十天然ウナギの大きなポスターが掲げられている。
まずビールを頼み、「こちらでも、ウナギありますのン?」と、この店の奥さんらしきオバサンに訊ねると、
「ハイ、やってますき、四万十の水で育てた養殖は¥1,650.-、天然は大体その倍です」
「14時に中央公民館へ行きたいンですが、間に合います?」
「今から焼きますので20分程掛りますが、ギリギリですかねぇ」

Imgp3674 天然のウナギと言うより、アナゴのオヤブンの様な感じ。天然とはこんなモノなのか。
しかし、2匹分がギッシリ入っていて、濃い目のタレの焼き具合は美味かった。
ナマ中2杯呑んでオアイソは計4千円。「まさか車やないがですきねぇ」
ハイハイ、歩いて公民館まで行きますよ。

Imgp3653 14時ジャストに到着。

大逆事件とは日露戦争を推し進めようとした維新政府が、それに異議を唱え、自由・平和・博愛を訴え続けていた平民新聞の制作者、読者を、天皇暗殺を企てたとの冤罪で捕え、ロクに審理もせず死刑を宣告し、一週間も経たない間に12人をコロした、100年前のトンデモナイ国家犯罪だ。
海外からもサンザン非難され、石川啄木は政府によるデッチあげを見抜いて嘆き、徳富蘆花は助命嘆願に奔走し、永井荷風は無力を恥じて隠遁した、そうだ。

戦争に反対するマトモな人達の大多数をコロして、この国は更なる戦争をし続けて、最後は米国に原爆おとされてギブアップ。
「維新」でスタートした、この国の近代化は、結局敗戦と言う悲劇で終わった、と言う事ですね。ホント、バカバカしい。

しかし、原作者が映像化するな、と遺言したにもかかわらずドラマになった「坂の上の雲」のウラで、こんなヒドイ事件があったことを知っている人は少ないらしい。
そして、この映画に出ている人も、それを見ている人もお年寄りばかり、嗚呼。

最近、勇ましいコト、物騒なコトを言う若いノが増えて来て、選挙をするとそんなおバカに沢山の票が集まるらしい。
「維新」を叫ぶ輩には用心すべきだと思いますが、ワタクシ。

映画は15時半に終わり、この夜、四万十市で宿は取れなかったので宿毛へ。

宿毛道路経由で、宿毛のビジネスホテル着16時半。
営業時代の昔と相変わらず、お泊まりはビジネスホテルです。

3時に出発して、四万十市内を汗だくで歩く廻ってもうフラフラ。
食べに出歩く元気なく、コンビニでお酒と総菜買って、翌朝まで一歩も部屋から出る事はなかった。