蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

どこか・とおくへ・いきたい:宗谷岬と平和公園(8/4)

2012-08-12 00:38:41 | 朽ちゆく草の想い

4日、北海道ブラブラの当初の目的である、宗谷岬へタッチしに行く。
観光客が湧きだす前をねらって7時半にホテルを出る。

8時過ぎ到着。それでも観光客が既にウロウロ。

Imgp3508

Imgp3509 最北端の印「N」にタッチ。

振り返ると、丘の上に何か建っている。
登っていく途中には、「キツネにエサをやらないで」との看板がやたら立てられていた。

Imgp3510 これはロシア帝国の軍艦を監視した建物らしい。
大国の野蛮な侵略志向が世界の常識だった頃のハナシですナ。
この国は、そんな世界に巻き込まれたのか、それともウデまくりして、勇んで飛び込んだのか。あぁ、アホクサ。

Imgp3511 1943年、日米海軍が宗谷岬で戦って、ニホンジンが700人程、アメリカジンが80人死んだらしい。
やはり米帝国主義の戦力はスゴイ。

Imgp3512 平和の碑と戦没者慰霊碑が並んでいる。

Imgp3513 そして、冷戦時代に民間機がソビエト帝国主義の戦闘機に撃墜された事件の慰霊碑「祈りの塔」。先端は事故のあった海域を指しているそうです。

Imgp3514 韓国機が領空侵犯をした原因は、位置や速度を算出する装置の単なる操作ミスらしいが、ソ連の防衛官僚はイテマエと命令し、戦闘機のパイロットはミサイルを発射して、民間人269人が亡くなった。
まぁしかし、当時の韓国もクーデターを起こして大統領になった軍人がトップにいて、ソ連とは国交もなかったワケで、只々、航空券の安さにつられたとは言え、偶然この大韓機に乗った不幸な人達を悼みます。 

宗谷岬は「平和」のモニュメントばかりだった。その先は国境の海なので、紛争の舞台となるのは仕方ない。

しかしネ、チョットひとコト言わしてもらいますが、こう言う「平和の祈り」とか「平和の誓い」とかの碑を立てたりする人達の中には、クニを守るための軍隊を持つべきだ、増強すべきだ、と言うのが多くて、どうもワタクシ、彼らの「平和」にスッキリしない。
彼らの「平和」とは、敵を武力で抑えたり、敵をせん滅したり、要は戦争に勝って得られる「平和」でしょ。
ユダヤの財力で裏付けられた圧倒的な武力で、パレスチナを押さえつけ得ているイスラエルの「平和」と同じでしょ。
こんなン「平和」と言えるンでしょうか。
大体、「平和」維持「軍」とか言う、言葉かあっていいのだろうか。
平和とは、まず武器を捨てて、話し合いで紛争を治めて得るべきです。
人類は野蛮な勇ましい時代から、穏やかにモノゴトを進める時代に、進化したはずです。

しかし、まだそういう事が判らンおバカは多いし、逆に増えてきそうな感じもして、ホント厭になる。
そして、あまり「平和」「平和」が多いと、チョットちゃうやろ、と言いたくなってしまう。あぁアホクサ。

Imgp3515 宮沢賢治サンの文学碑。後輩(教え子?)の就職を、樺太の製紙会社(?)に頼みに行った時、詠んだ詩だそうです。

Imgp3517 車の屋根に立っている様に見えるのは、間宮林蔵サンの像。江戸時代に樺太へ渡り、それが島であることを発見したとか。
と、言う事は樺太は江戸時代からこの国の領土(?)

まァ今は稚内と友好都市になっている街もあるそうだし、フェリーで定期的に繋がっている様でもあるので、どっちでもイイけどネ。