日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

娘の勝利で遠のく「父娘和解」~大塚家具はこれでよかったのか

2015-03-27 | 経営
父娘戦争として世間を騒がせていた大塚家具の株主総会が開かれ、娘久美子社長の勝利という結果に至ったようです。

一般的には、「老兵は去るのみ」的な論調で年老いた経営者が退場することで問題ない、あるいは騒動発覚後におけるプレゼンの巧拙から久美子氏の勝利が正当であったと、受け止められる傾向が強いのではないかと思っています。しかしながらこの結果で本当によかったのか、個人的にはなんともスッキリしない気分なのです。

確かに、旧来路線の勝久会長の戦略は古臭く感じられ、このままのやり方で同社が生き残れるのか疑問符が付けられてもおかしくはない状況ではありました。ただ一方の久美子社長の戦略も斬新なものであったのかと言えば決してそうではなく、ニトリやIKEAの後追い的な部分からすれば決して目新しくはないものであったと言わざるを得ないでしょう。

勝久会長の戦略は、高級感のある好立地の店舗を軸につなぎとめている高所得層顧客という同社のコアコンピタンスを踏まえ、ニトリやIKEAとは異なるマーケットを狙うというドメインの確かさも持ち合わせていたと思います。一方の久美子社長の戦略も、顧客動向を入念に分析しまたニトリやIKEAの成功検証に基づく同業のセールストレンドをしっかりと分析していると言う点から、戦略的な納得性の高さに優れていました。

ではどちらが正解でどちらが不正解なのかといえば、どちらもが決め手に欠けているとするならば、どちらでもないというのが本当のところなのではないかと思うのです。この手の戦略論争はゼロサムで結論を求めるのではなく、双方のいい点を認めた上でむしろ並列の可能性を模索する流れこそが、本来望ましいのではないかと私は今なお思っております。要するに、望ましきは和解への道をあゆむことではないのかと思うのです。

並列の可能性を模索するなら、どちらかの戦略を別会社化するか、持ち株制度の下に二事業会社をぶら下げるか、でしょうか。決してできないことではありません。現状のビジネスモデルにおいてコストの根源とも言える今の店舗配置を前提に考えるならば、久美子社長のビジネスモデルを新事業会社で興し旧事業と並列させ相乗効果を狙うのがよろしいのではないかと。もちろんこれは言うほど簡単ではなく、現状の店舗を見直ししつつ旧来路線をいかに効率運用しながら新規事業の投資をねん出するか等、越えるべき高いハードルは当然あるわけなのですが…。

このような並列策化という長期的和解こそが望ましい結論であるという展望に立ってことをすすめるためには、株主総会で父勝久氏が勝つ必要があると私は思っていました。なぜなら、親はどこまでいっても子に対しては無償の愛情を注げるものでありますが、子は親に対して同質の無償の愛情を注ぐことはできないと考えるからです。

つまり父勝久氏が勝つなら、娘をここで退任させようともどこかのタイミングで父から娘への愛情ある和解が投げかけられ、「別会社でお前のやりたいことをやってみるか」という和解的流れに至る可能性は十分にあり得ることであろうと思ったのです。しかし、娘久美子氏が勝ったことで、父勝久氏は完全に排除されることでしょう。子から父への無償の愛情が存在しえないなら、将来にわたり決して会社経営における和解はあり得ないだろうと。

企業経営をお手伝いする立場の人間からすれば、どちらかが絶対的に間違っているかあるいは絶対的に正しいのでなければ、できれば和解の可能性を少しでも残しつつすすんで欲しいと思っていたわけです。しかしながら娘久美子氏が勝利したことは、和解の可能性をゼロにすることに等しいと私は受け止めています。

勝敗を左右する要因と言われていた取引金融機関が恐らく久美子氏サイドに付いたことで今回の結果に至ったとするならば、金融機関が取引先企業の将来にわたる本当の意味での発展を考える立場として、その判断は果たして正しかったのでしょうか。個人的には首をかしげざるを得ない気持ちでもおります。父と娘どちらが正しいか、より正当性が高いかではなく、どちらが覇権を握る方が長い目で見て企業にとってより望ましい展開をもたらしそうか、これは金融機関の判断基準として大切にして欲しい部分でもあると思うのです。