日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

東芝問題の根源である社内派閥実態は、ディスクローズを義務づけすべきと思う件

2015-07-24 | 経営
東芝の粉飾決算問題(あえてこう言わせていただきます)について、歴代3社長が辞任すると言う極めて異例の事態となりました。東芝の社内事情を詳しくは存じ上げませんが、客観的に見て組織における派閥争いが嵩じて今回の事態に陥ったというのがもっぱらのところであるようです。

これに関連して組織管理の話を少しします。
東芝のような代々サラリーマン社長がリードする組織と、オーナー系企業あるいはオーナでなくともカリスマトップが率いる組織とでは、組織内における「権力の構図」という点からかなり大きな違いが見て取ることができます。オーナー企業やカリスマトップ企業ではいわゆる独裁型の組織管理になることが普通で、よほどのことがない限り権力の逆転は生じないので、基本的に権力争いは発生しません。例外はまさに起業経営上におけるクーデターです。古くは三越の岡田茂氏やメイテックの関口房朗氏の解任がこれにあたります。

ナンバー2の座を巡る権力争いだってありうるのではないかと思いがちですが、所詮はナンバー2。個人的にな争いはどこにでも存在しますが、派閥になって組織内で権力争いが生じるというのは非常に稀なことです。なぜなら、たとえナンバー2になったところで手に入れる権限はたかが知れており、派閥メンバーを十分に潤わせるだけのものは得られないからです。

例えば、私の出身母体の銀行。代々旧大蔵省からトップが天下ることが既定路線となっており、プロパー社員はどんなにがんばってもナンバー2止まりでした。従い社内に派閥というものは存在せず、当然グループ同士での権力争いは起こり得ない環境にありました。他の企業見てみても、オーナー系やカリスマ系の企業では派閥というものはほとんど見たことがありません。せいぜい仲良しグループやゆるい学閥グループが存在する程度なのです。

ところがこれがサラリーマントップ企業になると、たいていは厳然たる派閥というものが存在するわけなのです。専務派とか常務派とか。それぞれのグループで組織のヒエラルキーとは別のピラミッドが存在して、派閥の点数稼ぎやら足の引っ張り合いやらが起きるわけなのです。もちろん、トップになったところでたかがしれている中小企業や、赤字・借金まみれでトップの椅子に座るメリットのない大企業は別ですが。

東芝のような大きな企業なると、トップになるかナンバー2で終わるかでは権限、カネ、名誉共に雲泥の差であり、トップ争いを支える派閥争いも相当な規模になるのは想像に難くありません。特に同社は、様々な事業部がありそれぞれの事業部ごとの主導権争いも半端ないので、次のトップがどこの事業部出身になるかで末端の社員の処遇にまで大きな影響が出る可能性もあるわけです。黙っていてもトップ人事を巡る争いは、所属事業部をベースにした派閥争いの様相を呈してくるのが当たり前でもあるのでしょう。考えてみると、自民党の派閥争いもしかりであり、もっと言えば猿山のボス猿争いも基本は同じと言うことができるのではないでしょうか。トップ利権をめぐる権力争いは、動物の本能に由来するゆえ避けがたいものなのではないでしょうか。

今回のような粉飾決算に手を染めてまで権力争いをするケースは稀と見るか、どこのサラリーマントップ企業でもあり得ると見るのか、意見は様々でしょう。ただ一つ言えることは、少なくとも今回のような問題が発覚した以上、日本企業の信頼回復ならびにマーケットの信頼性回復を考えなんらかの再発防止策は国としても講じる必要があるのではないかということです。

私はこれを機に、社外取締役による「社内派閥の実態」を対外的に決算報告と併せ報告させてはどうかと思っています。ちょうどGCコード導入で強化される社外取締役の役割が、今ひとつ見えないわけでもありますし。自民党の派閥よろしく、誰が領主で誰が参謀役か、勢力図はどうなっているのか等々。それが分かったからどうなんだ、という意見もあるでしょうが、少なくとも派閥実態がディスクローズされれば犯罪的な悪事は躊躇するのが人間というものではないでしょうか。抑止力としての効果ぐらいは期待できると思いますし、社外取締役のち中立的な役割は社内には浸透できるのではないでしょうか。

私の案はさておくとしても、東芝問題は単なる粉飾決算の問題ではなくガバナンスの問題であるのは周知のところですが、さらに一歩踏み込んでサラリーマントップ企業ではどこでも発生しうる、よからぬ派閥争いの問題であるとの認識に立って再発防止策を検討すべき問題であると思います。


安倍首相の情けない答弁に思う

2015-07-13 | 経営
組織におけるリーダーシップの話を少しします。

リーダーに求められる決断力とは、正しい判断に基づいたあるべき決断をすみやかに下し、あるべき方向に導くことに他なりません。間違っても、あるべき方向とは異なる方向での誤った判断を、あるべき判断どおりにできない理由を前面に立てて、誤った判断のまま押し通してしまうのは、リーダーの資質において失格であると言わざるを得ないのです。

そしてもうひとつ、現状の誤った方向が仮に過去に他人が下した判断に起因するものであったとしても、それを受けてかじ取り役を任されたリーダーの立場からは、私にその方向を正す責任はないとするのは、リーダーにあるまじき無責任な行動と言わざるを得ないでしょう。

申し上げているのは、安倍首相の新国立競技場案見直しを求められての答弁についてです。首相の回答は、「事務方に問い合わせたところ、この案をやめて新たに国際コンペを行ってデザインを決めることをやっていては、2019年のラクビー・ワールドカップに間に合わないし、2020年の東京オリンピックにも間に合わない可能性が高いという報告を受けた」との返答。現状の世論を見る限り、国民の限りなく大多数が「計画の見直しが必要」と感じている新国立競技場に関して、この答弁はいかがなものかと思われます。

さらには、「国際コンペをやると約束し、監修権等をザハさんに与えると決まったのが2012年11月、我々が政権につく前のことだ。事実として述べると、民主党政権時代に、ザハ案でいくということが決まり、オリンピックを誘致することが決まった」と、この誤った事態を民主党政権に押し付けて、我々には責任がないとでも言いたげな姿勢を示したことは、あまりに国民をバカにしているのではないかと思えもするのです(この質問をしたのが、民主党所属で総理の“天敵”辻元清美議員であったという特殊事情はあるにせよ、です)。

特に第一点、誤った方向にある事態を正すのに、「時間的に無理」という論理を押し通すのは、あるべきリーダーの行動として完全に失格でしょう。事務方はどこまでいっても事務方であり、事務的に間に合う間に合わないを言っているにすぎません。リーダーが事務に流されてどうするのか、ということです。明らかに誤った方向に進んでいるものは、「どうしたら正せるのか」「やれる限りやる」を前提として即刻検討に移さなくてはいけない、そんなことはリーダーシップの基本中の基本じゃないでしょうか。

仮に今ある方向を正さない、誤っていないと言うのならば、その論拠を明確に提示しなくてはいけません。2520億円と言うシドニー、アテネ、北京、ロンドン4大会のメインスタジアム建設費を足してもおつりがくると言う、巨額計画を押し通すことの正当性を国民に提示すべきなのです。「他人が決めたことだから、僕には関係ないよ」は理由になりませんし、それは完全なリーダー職放棄です。

問題のキールアーチをやめるとか、ラグビーワールドカップの新国立利用をあきらめ現行案を白紙に戻すとか、コンペ時に最終選考に残った案を代替採用するとか、方法はいくつもあると思うのですが。とにかく今の首相の態度は、文科省がからんでいる国家プロジェクトに対して、全くリーダーシップが発揮されていないとしか言いようがないと思うわけです。

リーダーにとっての絶対にやってはいけないが、この安倍首相の言動にあります。できない理由を盾にあるべき改革を拒むこと。以前のリーダーの決定を理由に責任回避しその決定に基づく誤った方向を正そうとしないこと。一国の首相の言動として、あまりに恥ずかしい限りではないでしょうか。マネジメントを生業とする立場から、情けなく思った次第でありました。

スズキのトップ人事に思う事業承継の難しさ

2015-07-02 | 経営
自動車メーカー大手スズキの鈴木修会長85歳が、「90歳まで社長をやる」と宣言したその舌の根も乾かぬうちに、社長のイスを長男に譲ったことが話題になっています。事業承継の問題は、企業規模の大小を問わず非常に重要な経営課題でもありますので、少し取り上げておきます。

今回の社長交代に際しても、修会長は引き続きCEO兼務を続けるようで、結局実権はそのまま待ち続けたい訳なのでしょう。よく似たケースは、カシオ計算機。同じく今年の株主総会で、樫尾和雄会長は長男和宏氏に社長の座を譲ったものの、CEOは依然兼務を続けるとのこと。詳しい内部事情も存じ上げずに「老害」の一言で片づけてしまうのはどうかと思いますからそれはやめておきますが、その歳になるまで後継に道を譲れなかった原因と責任は確実に経営者ご自身にあるわけです。

スズキの修会長は創業家2代目の娘婿で、1978年に先代の後を継いで3代目社長に就任。既に40年近い年月にわたりトップ として企業を牽引しています。経営難にあった同社を軽自動車の商品性の向上で立て直し、インドはじめアジアへの積極進出を展開するなど卓越した経緯手腕を発揮してきました。経営者としての手腕がほめられることはあっても問題視されるようなことは少ないのですが、こと後継づくりに関しては決してほめられた状況ではないようです。

実は組織マネジメントにおいて、トップに課された最も重要な役割のひとつは、後継の育成とスムーズは事業承継なのです。トップがワンマンでカリスマであればあるほど本人自身が唯一無二の存在になってしまうわけであり、そのことは裏を返せばトップの身に万が一の事があれば、企業として大きなリスクを負うことになりかねないのです。中小企業などでは、それこそ会社の存続を揺るがしかねないわけで、後継の育成と事業承継はとにかく早期に着手しなくていけない大きなリスク管理案件であると言っていいでしょう。

ワンマン経営者はなぜ後継づくりが下手なのか。これまで見てきた多くの事例から経験則的に言えることは、ワンマン体制が長くなると経営者の立場がより高みに登ってしまい、「私経営する人」「私たち言うことを聞く人」という社内の意識のかい離が明確化され、イエスマンたちが増殖するようになるのです。そうなってしまうと、トップは皆が自分の言うことを聞く居心地の良い環境に安住しながらも、イエスマンの中から後継者を選ぶリスクをヒシヒシと感じてしまうことになります。

これは後継が親族であろうとも同じこと。父がカリスマ経営者の場合などには特に強く、親子言えども父と子ではなく社長と後継の関係を入社前から意識させられることになります。そうなると、結局偉大な社長の前にはイエスマン社員にならざるを得ない状況に追い込まれ、社長とすれば後継としては例え息子であろうとも、物足りない、まだまだ自分は辞められない、ということになるのです。スズキの場合もこれに近いようです。

それともうひとつは、歳を重ねることによる弊害も加わって来るように思います。ある知り合いの経営者が数年前にご子息に社長のイスを譲ったもののうまくいかず、70代半ばで会長職からも降りられた折にこう話されていました。
「自分はいつしか姑になっていた。自分が育てた可愛い可愛い会社という子供に、おかしなことを吹きこもうとする嫁にあたる後継を、ついついいびりたくなるわけです。テレビドラマの姑の嫁いびりを見て気がつかされ、これじゃいかんと思って身を引きました」

45年にわたってオリックスの経営を先導してきた宮内義彦氏は、引退後に「会社の事を世界観で語ってきた経営者が70歳を過ぎると自己中心の言動をとるようになる。そんな人を何人も見てきた」と話しています。氏はそれと知りつつも、実際に会長兼CEOの座を退いたのは79歳でした。長年ワンマン経営を続けた経営者が後進に道を譲り、身を引くことの難しさを如実に物語っているとも言えそうです。

話をスズキに戻します。
修会長は、一度は後継に社長の座を譲り会長職に退いたものの(00~08年)、結局実態は変わらず再び会長兼社長に逆戻りしたという“暗い過去”もあります。今回も会長専任とは言え実質トップであるCEOの地位を譲らなかったこと、会見でも「基本方針は私が決める。新社長には決められた範囲内でやってもらう」と公言してはばからないこと等から、まだまだ引退の二文字は見えていない、また同じ轍を踏む可能性もあるのではなかとの懸念も根強くあるわけなのです。

ホンダの創業者本田宗一郎氏は、ある時自ら育てた後進に道を譲ると、それ以降は決して会社に顔を出さなかったと言います。会社に顔を出せば、あれこれ目について絶対に口出しをしたくなる、そう思い会社へ行きたい気持ち、自分不在の不安な気持ちを抑えつつ事業承継を見事に貫徹させたことがホンダの自由闊達な文化をつくり、その後の同社の大躍進にもつながったと言えそうです。同業のスズキが今後ホンダのような発展軌道を描けるか否かは、修会長の今後の身の振り方にかかっているように思えてしまうのです。

※9月1日修正:カシオ電算機⇒カシオ計算機

ハイアールこそシャープ救済の本命と思う理由

2015-06-18 | 経営
東洋経済オンラインに、中国の家電メーカーであるハイアールが非常に元気だと言う記事が掲載されていました。
http://toyokeizai.net/articles/-/73298

ハイアールと言えば、11年に旧三洋電機の白モノ家電部門を買収。AQUAのブランドを引き継いでその後どうしてしたのかと思っておりましたが、買収当時どん詰まり状態にあった三洋の家電事業の再生を着々進めてきていたようであります。

実は同社、この3月に我が地元の熊谷市駅近にどでかいビル(都内では珍しくない規模ですが、熊谷界隈では1社占有のビルとしては圧倒的に大きいです)を建て研究開発拠点を作ったことから、「おー、がんばっているんだ」という認識はありました。また最近時は携帯洗濯機はじめその製品のユニークさ故、メディアに取り上げられることも多く、改めてちょっと注目したい存在になりつつあった、そんな状況でありました。
http://news.mynavi.jp/news/2015/01/14/418/

東洋経済オンラインの記事にもあるように、6月上旬に開かれた新製品発表会ではさらなるユニークな製品が続々登場しました。液晶パネル搭載型冷蔵庫やらスケルトンタイプの洗濯機やら水を使わずに服を除菌・消臭できる衣類エアウォッシャー等々、従来の家電イメージを打ち破る製品の数々に、同社のなみなみならぬ努力と発想力の素晴らしさに感心させられたところでもありました。

これらの製品を見て私が感じたのは、単におもしろいという感情だけでなく、どこかで同じようなモノを見てきたことがあるという記憶でした。それはシャープ。古くはダブルカセットデッキあたりにはじまり、目ざまし時計付テレビやらプラズマクラスター付コピー機とか…。製品の良し悪しや当たり外れは確かにあったものの、「目のつけどころがシャープでしょ」というシャープペンシル開発以来の同社独自の企業コンセプトの下、数々のアイデア製品と言いますか、ニッチなニーズに応える製品を次々と生み出していたそれでした。
http://matome.naver.jp/odai/2138268998652262601

今回登場したハイアールの製品は、非常にコンセプトが近いのです。冷蔵庫の全面扉が液晶画面で録画画像を再生して家族間のメッセージ交換ができるとか、スケルトンの洗濯機で洗っている中身が見えますとか、一見便利なようでいてそれって本当に必要ですか的な微妙な感覚が、まさに「目のつけどころがシャープでしょ」路線そのものなのです。

昭和の高度成長期のように、黙っていても皆がこぞって三種の神器と言われた白モノ家電を購入していた拡大志向のマーケットを抱えた状況下では、どのメーカーも同じような製品ラインアップを並べるだけで十分な食いぶちを確保できていました。しかし低成長期に移り、どう考えても超大手家電メーカーと同じ製品で戦うには分が悪いシャープは、独自路線でニッチ・マーケットを開拓したからこそ、がんばってこれていたわけなのです。どの家庭にもニーズがある家電業界ほどの市場規模であるなら、ニッチ・マーケットもそれなりの規模で存在するわけで、そこを狙ったシャープの戦略はランチェスター弱者戦略的成功であったのです。

ところが同社は、たまたま優れていた液晶技術に自信過剰気味になり、王道路線で超大手や海外の巨大企業相手の真っ向勝負を始めてしまいます。これがもとで勝てるハズのないトータル技術競争や価格競争に巻き込まれ没落の一途をたどってしまったと言う、成功に導いた空き家狙いのランチェスター弱者戦略の放棄こそが、自らの首を絞めたと言える戦略的誤りであったと思うのです。

シャープ再生への道は、ニッチ・マーケットへの回帰、すなわち「目のつけどころがシャープでしょ」路線への原点回帰以外にないのではないかと思っております。となると、今回のハイアール登場は最大のライバルか?いやむしろ、ハイアールのニッチ戦略は超後発ゆえの生き残り策に他ならず、シャープの過去の成功戦略を研究し尽くした上での決断であったのではないでしょうか。もっと言うなら、債権整理が進んだ段階でニッチ戦略の本家シャープの買収までも視野に入れた長期戦略なのではないか、と思えてくるのです。ズバリ、自力では原点回帰さえままならないどん詰まりシャープ最後の救世主はホンハイでもサムスンでもなく、ハイアールに収まるのではないかと感じさせられるところです。

こう考えてきますと、第三分野家電とも言える白モノ家電ニッチ・マーケットをめぐって、暑い熊谷を舞台に熱い熱い家電業界再編の駆け引きが展開されるのではないかと、シャープ再生を軸になにやらおもしろくなりそうな予感がした次第であります。