仕事中心の生活を終え、「第三の人生」ともいうべき人生の後半期にさしかかれば、その生き方も自ずからそれまでとは違ったものが求められる。
典型的な「第三の人生」の生き方として、親や配偶者の介護に明け暮れる、病いを得て療養する、ボランティア活動に汗を流す、日々悠々自適に好きなことをして過ごす、などが挙げられるが、これらの生き方に求められる共通の要件があるように思う。それは何か? 一言でいえば、それは「いかに枯れるか」だと思う。
「枯れる」といっても、単に「老いる」のとは違い、例えば「ドライフラワー」のように、生花とは違った魅力を醸すような成熟の仕方が、本来の「枯れ方」なのだろう。
ここで、うまく「枯れる」ための要件を挙げれば;
1。「浮利を追わない」こと。
未公開株への投資話にだまされたという話がよく出る。うまい話などないと気づくべきだ。
2。「覇権主義」から脱すること。
覇権を追い求めないこと。代わりに、名誉を求めること。
3。尽くす対象を見失わないこと。
退役して社会への貢献が終わり、親を看取り終わって家族への貢献が終わると、本当に生きる目標を見出すことが難しい。ボランティア活動は、社会への貢献を実現する数少ない生きがいとなる。
4。打ち込む対象を持ち続けること。
多人数で楽しむ趣味、夫婦で楽しむ趣味、一人で楽しむ趣味。これらをそれぞれ持つのが老後を生き生きと過ごす秘訣だといわれるが、趣味は多ければ多いほどいい。
5。あるがままの生を受け入れること。
健康の不安、身近なものに先立たれる喪失感、人生への後悔などが織り交ざって襲い来るのが人生の後半期だが、それを受け入れることが大事だ。
こう書いてくると、「枯れる」ことは並大抵のワザではない。世の中を見回してみても、上記の1から5までを達成している人は数えるほどだということがわかる。まことに生きることは難しい。(2010/12)