ミャンマ-、ガザ地区、アフガニスタン、シリア等々・・・世界のいたるところで、深刻な争いが起きています。
そんな中、第二次世界大戦・日本陸軍主導の史上最悪の作戦して名高い「インパ-ル作戦」の舞台となった現地を慰霊した方のお話を聴くことが出来ました。
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陸軍中将牟田口廉也指導者の無知無策で、撤退路は 飢えと病に依る将兵の死体で溢れ「白骨街道」と言われたそうです。
無謀な作戦を遂行したにも拘らず、彼は、戦犯になることもなく、戦後日常を暮らし、往生されたとの事です。
その過酷さと矛盾に胸が塞ぐ思いでした。
話しの中で紹介された インド マニプ-ル州 マパオ村で50年以上、歌い継がれている「日本兵を讃える歌」に慰められました。 ♪♪♪ ♫♫
1)父祖の時代より 今日まで 美しきマパオ村よ いい知れぬ喜びと
平和 永久に忘れまし
美しきマパオの丘に 日本兵来たり 戦えり インパ-ルの街目指
して
願い果たせず 空しく去れり
2)日本兵 マパオの丘に来るも それは4月の火曜日 1944年の事な
りき
我は忘れじ4月のあの日
3) 4)広島の悲報 勇者の胸を貫き・・・・
戦後80年。戦時下 当時3歳のわたし、防空壕から出て見上げた、隣の市、徳山に落とされる焼夷弾の様子が未だ記憶に残っています。
不謹慎にも バラバラと落ちる焼夷弾が夕日に反射して煌めき、夢のような光景として脳裏に刻まれています。
今の日本のリーダ-達、国民を不幸にしないように舵取りをお願いします。