おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

稲垣吾郎の八つ墓村。

2004-10-04 00:01:46 | 我思う、故に書くなりよ。
録画していたのを観賞。あー。なかなか良かったなぁ。欲を言えばもっと「陰惨」とか「暗い」イメージで、舞台のベースとなる環境が持ち合わせる「しきたり」とか「風習」とかが色濃く出て来ると良かったのではないかと思うですねぇ。

その辺が「横溝正史ワールド」とでも言うのでしょうか、たまらないのですね。個人的には「悪魔が来たりて笛を吹く」とか「悪魔の手毬唄」なんてのもグッと来る物があります。後ろめたさの残る「禁忌」に近づく覗き心とでも言うのか、小出しに明らかになっていくそういった要素に触れる度に、どんどん引き込まれて行くのですね。

昨今の社会環境を考えると、原作を忠実に表現する事が難しくなって来ていると思われます。ぶっちゃけて言えば「放送禁止」って判断される世界を表現するワケですからね。この辺が残念な所でもありますが、致し方無いので諦める他にないでしょうけれど。

この話は実際に起きた大量殺人をモチーフにしている事でも有名ですね。昭和13年に起きた死者30人重傷者3人を出した事件ですけれど、あくまでもモチーフであって、事件を忠実に再現したワケではありません。最近も親族を7人殺害した事件が起きていますが、真っ先に思い出したのが「八つ墓村」でした。

度々、リメイクされる作品が多い横溝正史ワールドですが、昔、TBSでやっていたシリーズの印象がとても残っています。古谷一行さんが金田一耕助を演じていたシリーズで、なんとなく原作のイメージに近いと感じていたからだと思います。他にもいろんな俳優さんが演じていますが、石坂浩二さんも良かったなぁ。
昭和生まれでも知らない「昭和」って時代がそこに見え隠れしているのも魅力だと思います。最近のナウでヤングな人達には、原作を読んでもイメージが膨らまない所が多々出て来ると思いますが、日本を代表するミステリーの傑作だと思いますので、秋の夜長に「読書」で決めるのもいいのではないでしょうか。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ところ変われば…。

2004-10-03 00:32:24 | 我思う、故に書くなりよ。
朝鮮日報の日本語サイトに「くらしの知恵袋」ってコーナーがある。

これ、内容を端的に表したイラストがメインでもあるのだが、これがシュールで良いっ。
肝心な中身は「ホントかよっ…」って突っ込みたくなる物もあるが、国が変われば「知恵袋」も変わる所がおもしろい。

以前、一緒に働いていた同僚は、単身フランスへ乗り込み、家政婦をしながらフランスの文化と言葉を物にしてきた強者だった。彼女から教わったのが…

「そんな時はコーラを飲めばいい。」

と言う事。ちょっと頭が痛いとか、気分が悪いとか、そんな時に「コーラ」なんだそうだ。フランス全土で共通する「おまじない」なのか「迷信」なのか「知恵袋」なのかは判らない。フランスのコーラは薬っぽい味なのかも知れない。その日、私は朝からずっと解剖室で写真撮影だったので、コーラどころじゃ無かった事はハッキリ覚えているが…。

中南米の某国で、小汚いレストランで食事をした時、メニューがさっぱりわからず、きょろきょろと周囲を見渡して「物色」して見ると、小さな赤いピーマンをカジカジしながら、ライスを食べてる厨房のおやじが目に止まった。その「カジカジ」ぶりがなんともリズミカルで、本能的に「あれは美味しいものに違いなひっ!」と思った私は「あれを出せコノヤロー! 金なら持ってるぞコノヤロー」と勢いで言ってみた。

するとウェイターらしきおっさんは目をまん丸にしながら「NO! NO!」と繰り返すんである。そんなのでひるんでいたんでは、こんな所くんだりまで来てジャーナリストがすたる…とまでは思わなかったが、

「いいから出しやがれコノヤロー! ウェルダンのウェルダン焼きの牛肉は噛めねえんだコノヤロー!」

ウェイターも「ちっ…しょうがねぇヤツだ…」的な態度で厨房に消え、カジカジ親父に何か言っていた。

5分もしないうちに、皿にさっきの赤ピーマン(小)が6個と、ライスに豚肉の煮込んだのが少しだけかけられた物が出て来た。

「賄い料理は裏メニューで、馬鹿うまってのが常識なんだコノヤロー!」

そんな、銀座の裏通り的なグルメ魂が勝利を呼び込んだに違いないと確信していた私ではあったが、赤ピーマン(小)を齧ってほどなく…

「無条件降伏。玉砕。ポツダム宣言受諾。デス バイ ハンギング…」

強烈な辛さに脳味噌が痛みを大江戸花火大会。ゲストずうとるび。あー。俺って中南米で死ぬんだ…。

生ハバネロ完熟ちょい手前をむさぼり食って、無事でいられるワケが無い。その様子を見ていた厨房は大爆笑だった。涙と鼻水にまみれまみれて苦しむ私に、わざわざ食べ方まで教えに来てくれた。ハバネロをカジカジカジと、3回噛んで、ライスを1スプーン。これが正しいのかどうだかどうでも良かったが、あの連中は苦も無く食べやがる。こっちは舌の痛みが取れずにもがき苦しんでいるのに。

生青唐辛子の比ではない「激辛」を超えた食材を「美味しい」と信じて食べた私が間違いだったが、彼らはその中に「美味しさを求める」と、後から聞いた。確かに、市場でハバネロを試食する人達は、何事も無かったようにむしゃむしゃ食べて、気に入ったのを紙袋に詰めてもらっていた。あの辛さの中に、味の違いを見分けられる舌を持つ事に、帰国後痛く感心したものである。

顔は30代後半だけど、ナイスバディなウェートレスが笑いながら出してくれたのは、生ぬるい「コーラ」だったなぁ。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運動会。

2004-10-02 19:10:40 | 我思う、故に書くなりよ。
小学生の甥の運動会だったので、行って来た。

甥と私は先輩・後輩にあたり、同じ小学校である。校庭に足を踏み入れたのは、卒業以来に近く、実に28年振りと言う事になる。私が学んだ頃は木造校舎が残っていて、床板の節穴から下の教室が覗けたり、おばけがでるとか伝説が受け継がれていたりもした。

少子化の波は確実にこんな田舎の街にも訪れており、生徒数はぐっと少なく、余った教室を何に使うか? と言う問題は切実だそうだ。

寂れた想像をしながら、校庭に入ると、大盛況。意外と広い校庭いっぱいに「運動会」は行われていた。

自分に、運動会の思い出は無い。運動が苦手だったので、楽しい事はなく、かったるい…印象しかないからだと思う。まぁ、どこのクラスにも1人はヒーロー、ヒロインがいるので、運動会なんてそういう人のためにある行事って考えていた。一日中、日に照らされ、砂埃にまみれるだけの1日って事かな。

さて、運動会は淡々と進み、可も無く不可も無く終わりを迎えた。戻ってきた甥に感想を聞くと「こんなもんだよ…」だって。元気いっぱいに走っていたし、めでたしって事なんだろう。

さて、我が母校にはシンボルがある。とてつもなく大きなイチョウの木だ。私が学生だった頃も大きく、見上げれば空は枝で埋め尽くされる。秋も深まると、周囲にはうんち臭さが漂い、なんであんな臭い実をわざわざ拾いに来る「ジジババ」がいるのか不思議に思ったものだ。黄色く熟れ切った実をわざわざほぐし、木の棒の先にたっぷりと塗りつけて、相手の服になすりつけるとんでも無いゲームに熱中した日が懐かしい。
今日、見たイチョウも壮大だった。青々と茂る葉で、空が埋め尽くされる。あの頃は、なーんにも考えずに遊んでばかりいた。それで良かったし、今でも良かったと思っている。小学生なんて、そんなものだ。

塾やら、習い事で忙しい生活を送る同級生が、甥には多いという。まだ4年生なのに、そんな心配をしながら毎日を過ごしているのだと言う。そういう時代になってしまった。

おじたん。がとやかく言う事では無いが、甥にはいっぱい遊んで欲しいと思っている。塾や習い事は、本人が望めば与えればいいと思う。小学生や中学生は将来なんか心配せずに、遊んで欲しいと思う。その中から「ルール」をたくさん覚え、仲間を増やして欲しい。世の中のルールを触れる間口を狭めずに、広く、いろいろな物を見て、考える時間であって欲しいと思う。

写真を撮りながら、そんな事ばかり考えていた。

Comments (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イージスって何よ?」

2004-10-01 09:39:37 | 我思う、故に書くなりよ。
およそ、国防関係とは無縁な妹が姪を抱えながら唐突に訊く。

戦艦の種類である。戦艦と言えば「宇宙戦艦ヤマト」であり、もう少しおっさんだと「海底軍艦」だったりもするが、巨大な大砲をどっかんどっかん撃つんである。確かに、昔はそういう戦艦も実際にあった。

日本海軍が作った「大和」「武蔵」なんかがそれ。とても大きくて、大砲も大きい。東京で大砲撃つと、弾は藤沢辺りまで飛んで来る。アメリカ海軍で言えば「ミズーリ」とかがこれに当たる。でも、現代の戦艦にはこう言う大きいのは使われていない。見栄えはいいんだけどねぇ。

現代では大きな大砲をどっかんどっかんする意義が無くなってしまったからだ。もちろん、そこそこの大きさの「砲」は付いている。ミサイルよりも弾代が安く済むからね。でも、あまり主役というべき兵器ではない。もちろんこの「砲」が主役になってる艦船もあるが、やはり主役級ではない。

では何が主役か? 「ミサイル」なんである。高性能爆薬を載せた、命中精度の高い、撃ち落されにくい「ミサイル」が主役なのだ。敵対する艦船や航空機に対して「砲」では歯が立たない時代になり「ミサイル」に全てを託す時代になっているのだな。

で、イージス。元々は空母とかで構成される「艦隊」を敵から守るのが主な役目である。強力なレーダーと高性能ミサイルと、それらをいつでも最適に制御するコンピューターからなる「システム」が主役なんである。まぁ、「空の見張り」って感じだろうか。だが、攻める方もローテクではない。水平線の向こうからミサイルを撃って来る。当然、目視なんかじゃ見つけられないし、普通のレーダーだって見つけるのは困難である。となると、黙っていれば「当たって」しまうし、やっと見つけた時には遅い場合も有り得る。

これを遥か彼方で見つけ出し、複数ならばどれから叩けば良いか? どのミサイルを使うか? 味方の艦船との連携は? とかいろいろを、半ば自動でやってのける高性能な戦艦なのよ。その気になれば全自動だって出来るのだ。

で、敵の飛行機やらミサイルやらをやっつけるのに優秀な成績を収めた「イージス艦」なわけだが、ここ数年、新しい役目を仰せつかっている。それは、すんげぇ高高度から落ちてくる「ミサイル」を撃ち落すと言う役目だ。

ここで言う「ミサイル」は普通のミサイルではない。弾頭に「核」とか「生物兵器」を積んだもので、遠いところからやってくる。じゃあ、飛行機みたいにやってくるのかと言うとそうでもない。打ち上げられたミサイルは、一旦、宇宙に出る。この方が圧倒的に速く、遠くに飛ぶからね。で、まさに流れ星の如く、猛スピード、超超すんげえ速く「マッハ」で落ちてくるのだ。

これを、イージスの優秀なレーダーで捉えて、途中で撃ち落そうってのが、最近の役目である。んが、しかし、まだまだ実験の域を超えておらず、100発100中では無い。近隣に危ないハバネロ国家が控えている日本では、100発100中でないと困るわけだが日本のイージスには、この「優秀なミサイル」はまだ積んでいない。アメリカでも実験段階なので、日本は購入希望中だが、ちょっと先になると思う。

100発100中でなくても、まぁ置いておくだけで結構な「妨げ」にはなるし、このレーダーで得られる「情報」もかなり貴重なものだから、出来れば沢山持っていたいのだが、値段がやたら高い。超高額商品なのであまり作れない。従って、イージスを持っている国は世界でも3カ国。アメリカ、日本、スペインだそうだ。近々、韓国とか中国とかが所有する予定だったりする。

まぁ、似た様な艦船は作れるだろうけれど、電子大国・日本やアメリカが持つ電子分野での最先端技術はおいそれと真似できない。そこがイージスの肝心な所でもある。優秀なミサイルだけではダメ。優れた目と耳と脳味噌が無ければ「イージス」とは成り得ないのである。またいかに高性能な「イージス」であっても、これだけでは万全ではない。やはり「艦隊」として機能しなければ、有事に備えるには何かと不都合でもある。餅は餅屋ってところだろう。他の役目を備えた艦船が必要になるのである。

さて「イージス」って言葉の意味は、ギリシャ神話に出て来る神様の親分「ゼウス」さんが娘の「アテナ」さんプレゼントしてやった「全ての邪悪を払いよける盾」の事。なかなか粋な名前を付けるもんだ。日本の艦船は他国への攻撃を目的としない。あくまでも、攻撃されたら、国益や財産を守るために存在する。刀や剣と捉えずに「盾」として守りを固めるに相応しい艦船であって欲しい。せっかく作ったんだし。

もちろん、攻めて来るヤツがいなければ「盾」もいらないんだけれどね。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする