昨日のブログ記事は横マチとスマホポケットの部品を木型を作って革を成形した内容でした。
今日はそのほかの部品を作り、革の染色剤を使って色を付けました。
水分が残って十分に乾燥されていないので、写真で見るとかなり、色むらが出ていますが、革が乾けばよくなると思っています。
右端は肩掛けベルトです。
この後の作業工程は、部品を縫い合わせて、仕上げ加工したり、金具で止めたりする工程です。
昨日のブログ記事は横マチとスマホポケットの部品を木型を作って革を成形した内容でした。
今日はそのほかの部品を作り、革の染色剤を使って色を付けました。
水分が残って十分に乾燥されていないので、写真で見るとかなり、色むらが出ていますが、革が乾けばよくなると思っています。
右端は肩掛けベルトです。
この後の作業工程は、部品を縫い合わせて、仕上げ加工したり、金具で止めたりする工程です。
昨日は思い立って「小ぶりの肩掛けカバン」を作るために構想図を描いた。
今日は、加工に入った。
牛のナメ革を使って部品作りを始めた。
ポイントは簡単な木型を使って、①鞄のマチ部分の成形、②スマホポケットの膨らみ部の成形です。
簡単な木型を使いました。
①横マチ部分の部品の大きさの木型を作り、左右の二枚のマチ部品を成形しました。
次に、スマホを収納するポケット部分の上部分の革の成形です。
この木型は以前、スマホケースを製作した時に作った木型を、再度使用しました。
成形は牛ナメ革を水に濡らし、木型で固定して、乾かすと成形完了です。
最近、出先でよく見かける女性が持っている小ぶりの肩掛けバッグを作ってみようと思い立った。
作って持つのは、奥さんしかいないので、注文を聞いてみた。
こんな写真が送られてきた。
これらは、大抵、フェークレザーを使っているので革を使う場合と作り方が違うので、
写真の要望を牛の生皮のオイル仕上げで作る予定で、図を描いてみた。
財布や小物を容れれるように4センチのマチをつけ、かぶせの蓋をつけます。
表にスマホを収納出るポケット、裏に、鍵等を容れれるポケットも付けることにしました。
大きさは18cm×11cm×5cmです。
今日は設計と革の選定の完了までです。
現在の株価は円安とともに、過去最高の株価になっている。
庶民が物価高で困っている時に、日本の資産を株価が上がることで海外のインフレに合わせようとしているのか上がっている。
上の図は過去十年間の平均株価の値上がりを示している。
日本国民の大半は株価が上がることで、自分の資産を増やしている人は少ないと思う。
さて、株価であるが、ドルの為替が少しづつ安くなっているので、長い目で見ると平均株価は落ち着いていくと思われる。
最近、PBRという株価指数が見直されている。
日本の会社の資産が適正に株価に反映されているかという事を表す値らしく、PBR=1.0くらいが目安らしい。
まだまだ、PBRの値が小さい会社が多い、外人投資家はこんな指数を見ているらしい。
そもそも、野菜栽培はそれほど、力を入れて無いのですが、一応、ベランダのデッキ近くに置いたプランターに毎年、キュウリ、ナス、ピーマンなどを植える。
プランターの土の量が多くなく、且つ、入れ替えもしてないので良く頑張って育っていてくれると思っています。
野菜への肥料と水だけは切らさないように注意しています。
しかし、キュウリなども、蔓が多く出ないので、収穫量は少ないです。
それでも、奥さんは、今は野菜が高いからと言って、収穫を喜んでくれる。
福岡の方はとてもひどい災害が起きているのに、こちらは快晴の天気の中散歩に行ってきました。
と言っても、この時期の天気としては、変で、午後からはひどい土砂降りの雨が降ったりと、明らかに、ここ数年、天候が地球規模で変化しているように思う。
上の写真は快晴の天気の下のヒマワリの写真です。
よく見ると、ヒマワリの花が太陽に背を向けていました。
この花は、パイナップルリリーと云います。
花の形がどう見ても、パイナップルです。
毎日、何かをしないとあっという間に、一日が消えていく。
したがって、必然的に、毎日、家の雑事を一つは、するようにしている。
今日は、長らく、包丁研ぎをしていなかったので、それを、やることにした。
写真は、家にある料理用の包丁である。
これ等のうち、中央の菜っきり包丁が一番よく切れる包丁なので、よく使われている。
また、この包丁の鋼は、硬い鋼なので、刃の修理を中心に注意して研いでいる。
家庭用の安い包丁は大体の包丁は使っている鋼の種類で値段と切れ味が比例している。
四千円~五千円程度のステンレス包丁がよく切れて使いやすいように思う。
今年は栗の当たり年のようです。
当家の二本の栗の木は写真のようにたくさんのイガ栗が付いています。
二週間前は外径一センチくらいのイガ栗が、今は外径五センチ以上に成長しています。
このところの雨で、下草も茂っていますが、イガグリもしっかり大きくなってきました。
最近、何とはなく朝に、ラジオ体操をしている。
昔懐かしいのは、ラジオ体操の出席カード。
夏休みになったら、親にカードにひもを通してもらって首にかけて、ラジオ体操に出かけたものです。
上の写真はインタネットに公開されている夏のラジオ体操の写真ですが、最近でも、首からカードをぶら下げている子供の姿に懐かしさを覚えます。
私が毎朝、ラジオ体操していて、いくつか気づいたことがありますが、
①ラジオ体操を始めた最初の頃は、首を回す運動で、骨がゴギゴギと音が立つのが分かったが、最近はその音を感じなくなった。
②ラジオ体操の中で、移り変わっていく音楽についていくのが大変でしたが、今は意識しなくても、体操が楽にやれるようになってきた。
③体操を始める前にラジオに合わせて、声の運動のつもりで、ラジオ体操の歌を歌う事にしているが、最初は歌詞を忘れていて、歌えなかったが、今は、意識しなくても歌えるようになった。
④ラジオ体操の指導員の指示が音声で聞こえてくるが、それを忠実に体操をすると、全身の筋肉を使っている気がします。
ラジオ体操をすることによる効果ですが、私には下のように、とても効果があるように思いました。
①座って立ち上がる時に、腰のあたりが痛かったのが、なくなりました。
②朝夕の便通が良くなったように思う。
③年取ってから多かった、立つ時だけでなく、いろんな動作での痛みが、なくなって、動けるようになった。
ラジオ体操を真剣にやると、普段使わない筋肉を使うようでとても年寄りには良いように思います。
念のために、インターネットで調べると、ラジオ体操をきちんとやる事で、身体にある400種類の筋肉を満遍なく鍛えれるようです。
当面ラジオ体操を続けて、身体の調子を整えたいと思っています。
今年は早くから、りんごの袋掛けをしています。
一般的には果実に袋を掛ける理由は、
と本などに、書いてありますが、私にとっては⒈に書いてある理由です。
その他に、長く道路の傍の木にあると、車のばい煙などで、実が汚れて汚くなるのも袋掛けの理由の一つです。
今の時期に、散歩道でみられる花の中でも、咲いている様子が華やかで、大きな花です。
我が家の庭にも植えてありますが、名前が和風にもかかわらず、何と無く日本の風雅というのとは、ちょっと違う感じがします。
調べてみると、日本に入ってきたのは、平安時代初期と云うから、日本でも1200年の歴史がある花です。
しかし、日本の華道では、初期の華道で基本的には用いるべきではない花とされ、「嫌花」として名が挙がっていて、使われない花だそうです。
確かに、伝統文化の稼働とは合わない気がします。
しかし、隣の韓国では、日本の桜のように、国花のように扱われているそうです。
こんなところにも、韓国と日本の国の気風の違いが現れているようですね。
さつま芋ほど素晴らしい野菜は無いと私は考えている。
勿論、私は食べ物として、サツマイモが大好きで一年中、朝の味噌汁に入れて食べている。
さつま芋の苗の植え付けの適正時期は六月の初旬だと思っていたが、プランターで育てていた、苗の成長が悪くて、今年は、サツマイモの苗を植えるのが遅れた。
今日、10本ほどの苗を植えた。
さつま芋の苗はDIY や、園芸の店で売っているが、私は自分で、サツマイモの苗を育てている。
さつま芋は簡単に育つし、連作障害もないなど、とても素晴らしい野菜です。
今日の新聞のトップ記事に「マイナ保健証 困る高齢者施設」という記事が載っていた。
そして、他に、国内4面の記事は「息詰まる立憲」という、どうにも迫力のない野党の姿の記事が載っている。
これらの記事から、今、日本をリードする政治家の「日本を良くしようと」という覇気が伝わらない事が多い。
前記のマイナーカードの普及記事についても、何故うまくいかないのか。
記事に書かれる内容からは政治家たちの行動が的外れ であるように感じる。
それは、普及のリーダー、河野氏は強引に物事を進めることが得意なだけの政治家で、到底、IT技術に長けた人だとは思えないからだと思う。
もっと、若い、IT技術に詳しい人が、この問題のリーダーになれば、うまくいくでしょう。
これが大事な政策と思うのなら、自民党であっても、人を選ぶべきである。
派閥や政治力学でこんな大事な問題のリーダーを選んでおるようでは、物事が、うまくいかないのは当たり前である。
私は古代スター好きですそれも古墳時代の辺りの年代は興味があります。
日本の国の歴史のスタートは史学的に言うと、詳しく書かれている魏志倭人伝に乗っている、女王卑弥呼の「邪馬台国」が一番確かな古い日本の国かと思います。【国の定義はむつかしいですが】
その他に、詳細はわからないのですが、
中国の後漢書に載っている西暦57年頃の倭の「奴国」(志賀島の金印で有名)、
同じく、後漢書に書かれている西暦107年の倭王の師升が「倭国王」と書かれている。
などが中国の史書には、倭国の国という表現がある。
日本の歴史書である、日本書紀、古事記では初代天皇は神武天皇となっている。
現在の古代史の研究では、本当に実在した天皇は、10代垂神天皇が最初の天皇、または15代応神天皇が最初の天皇、26代継体天皇が最初の天皇、などの説がある。
ちなみに、令和の今上天皇は126代天皇です。
神武天皇という記紀に書かれている内容に当てはまる天皇は、ちょっとそのままに人はいなかったと思うが、仮に初代がいたとして、日本の国の始まりの天皇の年代を考えてみると、
中国の歴史書から、年代がハッキリとわかっている歴史上の年代は、倭王武(21代雄略天皇)の上表文が中国の歴史書に西暦478年のことだと書かれている。
この年代から、初代天皇の年代を計算してみると、
日本の天皇の在位年数は歴史の統計学的な処理で4世紀~5 世紀の天皇の在位年間は10年/代とわかっている。
したがって、雄略天皇は21代天皇ですから、初代神武天皇の在位の時代は、
21代×10年=210年前となり、
初代が在位したのは、478-210=西暦268年頃となる。
面白いことに邪馬台国卑弥呼は魏に最初に使いを送ったのは、西暦239年で、最後に書かれている使者を送った年は、邪馬台国の女王が、西暦266年と中国史書に書かれている。
邪馬台国の後に、古代ヤマト朝廷が出来たとすれば、その最後の使者が贈られた266 年以降となるので、上で計算した初代天皇在位期間西暦268年頃と合う。
こんな、他愛もない計算をしたのも、ユーチューブ動画で、こんな計算をしている歴史学者がいて、それを見て、面白いと思ったからです。