第十一章からの続き
旅鳥は羽を休めた・・・
「のぞみ」出発の40分前に新大阪に到着,お土産を買い込んで,2時の列車を待ちます。
案の定3連休の最終日,自由席は大混雑,5台の自転車を車内に持ち込んだ場合,かなり物議をかもしたことでしょう。
単身さらに2号線を西に向かって消えていった若旦那のことが心配で心配で,一同ビールを飲んで新幹線が発車する前に爆睡していました。というわけで,あまり記憶にございません。起きたらもう焼津付近,若旦那が土砂降りのなか明石までついたとかで,車内は盛り上っていましたが(他人事)。
新幹線は自転車で10時間掛かるところを1時間でヒャッホウと通過し,新横浜には4時過ぎに到着。
かなり余裕をもち,普通の出で立ちで帰宅することが出来ました。余裕をもった電車を予約してくれたニョホ氏に敬礼であります。
第二回東京~大阪キャノンボール
Good:
先頭交代 先頭にでても消耗せず,後ろにつくと足が回復する30km近辺の速度域は絶妙の設定であった。
軽装備 結局ウインドブレーカーも使わず
ライト メガ粒子砲多連装は闇クライム,闇ダウンヒルで大変心強かった。
仲間たち 自転車にのっていて暇になる,ということがなかった。常に誰かが引っ張ってくれた。補給面のアドバイスもよかった。
Bad:
酷暑 前回は寒かったが,今回は暑すぎた。特に気温33度の名古屋~桑名~四日市~鈴鹿の消耗が激しく,熱中症が出なかったのが不思議なくらい。やはり10月がベストか。
荷物 一番楽そうだったのがウッチー氏のフロントバック,もしくは珍太郎氏のリクセンカウル。私の鉄は15kgもありましたよ・・・
地図 コピーして軽量化すべきだった。2冊の地図は重かった!
時間 人数が多ければ多いほど到着時間は遅くなる。この逆説的真実をうけとめるべし。
~~~エピローグ:古 珍太郎氏のその後~~~
若旦那あらため,古 珍太郎氏は,自分探しの旅に四国まで漂泊していきました。珍さんとは大阪は十三でわかれ,その後1号線改め2号線を西へ落ち延びた模様。
その後の珍氏について,ほんの少しの目撃情報,伝聞,創作をかき集めてまとめてみた。
二号線~尼崎~西宮~芦屋~神戸~明石
大阪から2号線で西へいくも,途中で土砂降りの雨に遭遇。ままよ,とレーパンだけぬいで明石へ失踪,そのままの格好で本場明石焼きの行列に並んだ模様。満面の笑顔で明石焼をほお張る珍氏を想像して下さい。
その夜明石にとまった珍氏は,よく朝「明石たこフェリー」にのって淡路島へわたり,岩屋港へ。28号線で洲本を抜け,淡路島南部のアップダウンにひ~こらします。
ここで緊急事態発生!淡路島から四国へ渡るフェリーがないではありませんか!しかたがなく珍氏は疲れた脚を引きずってタクシー乗り場に向かいます。
淡路島でのアップダウンに脚を削られた珍氏。遠くなり行く意識を呼び戻しながら,必死にタクシーの運転手に質問をぶつけてみます。
古:「運転手さん,四国は坂のアップダウンは多いの?」
運転手:「いや~四国に入ればあとは下りだけですよ!」
運転手:「ィヒヒ」
古:ィヒヒ?って聞こえたぞ?「あの・・・運転手さん?」
そこで振り返る運転手。
運転手は,なんとさくぞうそっくりの顔をしていた。
・・・古氏はこの恐怖のタクシーから逃げ去り,ジャージを脱ぎ捨て泳いで鳴門海峡を古珍で渡ったそうだ。
あまりにも疲弊しているとはいえ,有栖川氏の幻影まで見てしまうとは,おそるべしキャノンボール
その後四国に上陸を果たした海獣若旦那,20km巡航で高松の先輩の家まで海岸線をつないでいく。そして川崎から730km,金毘羅詣でをして当初の目的をはたし,おなじみの笑顔一杯で高松空港から帰途についたのであった・・・
飛行機のはるか下,鳴門海峡の渦の中に一枚のレーパンが浮いたり沈んだりを繰り返しながら,やがて見えなくなっていった・・・
<完>
完結したはずだったが、実は続きがあった。
大阪から四国を目指してしまった、珍太郎のその後を・・・読む
旅鳥は羽を休めた・・・
「のぞみ」出発の40分前に新大阪に到着,お土産を買い込んで,2時の列車を待ちます。
案の定3連休の最終日,自由席は大混雑,5台の自転車を車内に持ち込んだ場合,かなり物議をかもしたことでしょう。
単身さらに2号線を西に向かって消えていった若旦那のことが心配で心配で,一同ビールを飲んで新幹線が発車する前に爆睡していました。というわけで,あまり記憶にございません。起きたらもう焼津付近,若旦那が土砂降りのなか明石までついたとかで,車内は盛り上っていましたが(他人事)。
新幹線は自転車で10時間掛かるところを1時間でヒャッホウと通過し,新横浜には4時過ぎに到着。
かなり余裕をもち,普通の出で立ちで帰宅することが出来ました。余裕をもった電車を予約してくれたニョホ氏に敬礼であります。
第二回東京~大阪キャノンボール
Good:
先頭交代 先頭にでても消耗せず,後ろにつくと足が回復する30km近辺の速度域は絶妙の設定であった。
軽装備 結局ウインドブレーカーも使わず
ライト メガ粒子砲多連装は闇クライム,闇ダウンヒルで大変心強かった。
仲間たち 自転車にのっていて暇になる,ということがなかった。常に誰かが引っ張ってくれた。補給面のアドバイスもよかった。
Bad:
酷暑 前回は寒かったが,今回は暑すぎた。特に気温33度の名古屋~桑名~四日市~鈴鹿の消耗が激しく,熱中症が出なかったのが不思議なくらい。やはり10月がベストか。
荷物 一番楽そうだったのがウッチー氏のフロントバック,もしくは珍太郎氏のリクセンカウル。私の鉄は15kgもありましたよ・・・
地図 コピーして軽量化すべきだった。2冊の地図は重かった!
時間 人数が多ければ多いほど到着時間は遅くなる。この逆説的真実をうけとめるべし。
~~~エピローグ:古 珍太郎氏のその後~~~
若旦那あらため,古 珍太郎氏は,自分探しの旅に四国まで漂泊していきました。珍さんとは大阪は十三でわかれ,その後1号線改め2号線を西へ落ち延びた模様。
その後の珍氏について,ほんの少しの目撃情報,伝聞,創作をかき集めてまとめてみた。
二号線~尼崎~西宮~芦屋~神戸~明石
大阪から2号線で西へいくも,途中で土砂降りの雨に遭遇。ままよ,とレーパンだけぬいで明石へ失踪,そのままの格好で本場明石焼きの行列に並んだ模様。満面の笑顔で明石焼をほお張る珍氏を想像して下さい。
その夜明石にとまった珍氏は,よく朝「明石たこフェリー」にのって淡路島へわたり,岩屋港へ。28号線で洲本を抜け,淡路島南部のアップダウンにひ~こらします。
ここで緊急事態発生!淡路島から四国へ渡るフェリーがないではありませんか!しかたがなく珍氏は疲れた脚を引きずってタクシー乗り場に向かいます。
淡路島でのアップダウンに脚を削られた珍氏。遠くなり行く意識を呼び戻しながら,必死にタクシーの運転手に質問をぶつけてみます。
古:「運転手さん,四国は坂のアップダウンは多いの?」
運転手:「いや~四国に入ればあとは下りだけですよ!」
運転手:「ィヒヒ」
古:ィヒヒ?って聞こえたぞ?「あの・・・運転手さん?」
そこで振り返る運転手。
運転手は,なんとさくぞうそっくりの顔をしていた。
・・・古氏はこの恐怖のタクシーから逃げ去り,ジャージを脱ぎ捨て泳いで鳴門海峡を古珍で渡ったそうだ。
あまりにも疲弊しているとはいえ,有栖川氏の幻影まで見てしまうとは,おそるべしキャノンボール
その後四国に上陸を果たした海獣若旦那,20km巡航で高松の先輩の家まで海岸線をつないでいく。そして川崎から730km,金毘羅詣でをして当初の目的をはたし,おなじみの笑顔一杯で高松空港から帰途についたのであった・・・
飛行機のはるか下,鳴門海峡の渦の中に一枚のレーパンが浮いたり沈んだりを繰り返しながら,やがて見えなくなっていった・・・
<完>
完結したはずだったが、実は続きがあった。
大阪から四国を目指してしまった、珍太郎のその後を・・・読む