アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

差別は続いている

2012-02-23 20:08:54 | インポート
前回、紹介した『学術の動向』2011年9月号の特集「今、アイヌであること―共に生きるための政策をめざして―」の佐々木利和さん(北大アイヌ・先住民研究センター教授)の講演「ひとつの列島、ふたつの国家、みっつの文化」を読みながら、疑問に思ったことを追加します。

佐々木さんは、以前からも言っておられることとして日本には「二つの国家、三つの文化」があったと論じます。
日本に①天皇を核とする国家、②琉球王国を核とする国家の二つの国家があり、それら二つの文化に加えてアイヌ文化があった。ここでは、アイヌは国家としては認めていませんし、なぜ国家ではないかの説明もありません。

では、他の国ではどうかと調べて見ると、アメリカでは先住民族はそれぞれのトライブ(主権の主体の意味)が、独自の法制度と独自の支配範囲を確保していたとされ、各集団に主権が認められています。トライブの小さいものはバンドと呼ばれ、一家族程度のもあります。
これをアイヌ民族に当てはめると、コタンがトライブだといえるのでは?
アイヌ民族は大きな全体的な国家はつくってはいませんでしたが、各コタンが独自の法を有し支配領域(イオル)を持っていたことは、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書(2009/7)にも書かれています(P.7)。
そうだとすれば、イオルという独自の支配領域内の利用権は先住権として確保されますし、アメリカでは先住民族とは条約を結んでいますが、アイヌ民族には条約がありませんから依然として各コタン(トライブ)には利用権があり、鮭などを取る権利があるはず。

先住民族の先住権は憲法以前の権利(それを前憲法的権利と言うのだそう)だと法律の専門家から聞きました。たしかに、不本意に土地を含むあらゆる権利を奪われたのですから、後から来た人々の憲法よりも先住権は強いというのは納得が行きます。

佐々木さんがアイヌを国家としないのは、アイヌは国家ではなかったので、諸国では先住民族に返還を続けている先住権だけれども、日本では認めなくていい、という考えにつながっていくように読めるのです。
常本さんも前述したように、国際的な先住権をアイヌに与えることは無理だとして、「文化」を薦めます。
お二人ともアイヌ政策推進会議のメンバーであり、北大の教授。


札幌駅から大通りにつながった地下道に展示されているアイヌ文様。素敵な作品がたくさんあります。


『学術の動向』のアイヌ民族特集に、アイヌ民族の文章も掲載されています。原田公久枝さんこと、キクちゃんは、アイヌ関連のいろいろな集会でお会いする度に声をかけて下さいます。彼女の「今、アイヌであることを語る」には、アイヌであることで学校や職場で差別を受けたことが書かれています。現在もスーパーのレジで働いている彼女に向って、「アイヌのくせに、何偉そうに客商売してんの?」「なんでお前みたいなもんが触ったものを俺が喰わなきゃなんないのよ」とあからさまに差別をしてくる人がいるというのです。なんと悲しいことでしょう。これでも以前に比べれば全然無いに等しい、と。
榎森進著『アイヌ民族の歴史』(草風館2007年)のプロローグに、キクちゃんの中学一年の時の作文が掲載されています。13歳の子が、「帰れアイヌ」と罵倒され、石を投げられながら、その作文で「みんなは人権というものがほんとうにわかっているのだろうか?」と問うています。アイヌであることで差別を受けるのは昔の話ではないのです。

なお、そのプロローグでもうおひとり、差別体験の作文が引用されています。この度、北大に先祖の遺体の返還請求をしている城野口ユリさんです。彼女の時代は学校の教師も校長も差別をしたことが記されています。是非とも、『アイヌ民族の歴史』を手にとって読んでほしいです。


留萌から南30キロほどにある雄冬(おふゆ)にある滝が凍った写真。毎年、趣のあるかたちを見せてくれます。

このところ、猛吹雪やインフルエンザの猛威で、近所のこどもたちが遊びに来ても6~7名でしたが、今日は久しぶりに晴れて、やんちゃな4年生を中心に17人も来ました。小さな礼拝堂でサッカー、バレー、長縄跳び、はんかち落とし、リーダー探しなど2時間半ほどですがたっぷりと遊びました。こどもたちの真剣な顔や笑顔、不思議な行動に笑いっぱなしです。
こんな純粋なこどもたちに差別を教えるのはオトナなのです。こどもたちの笑顔を絶やさないようにと最近は児童相談所との連携も持っています。


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