アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

遺骨・副葬品「発掘」の真実を!

2010-01-29 13:12:20 | インポート
やはりかなり重要な内容ですので、北海道新聞のWEBから関連記事をUPします。

アイヌ民族の副葬品放置 北大医学部 段ボール28箱分
(北海道新聞 01/29 07:33)
 北大医学部で、刀や漁具などアイヌ民族の墓の副葬品が段ボール箱に詰め込まれた状態で大量に放置されていたことが28日分かった。昭和期に医学部教授らが民族の系統などを調べるために墓を掘って人骨を集めた際に収集されたとみられる。同大は「アイヌ民族の人骨などについて放置されたものがないか、以前に調査したが見落としていた。調査が不十分だったことを道アイヌ協会に謝罪した」と話している。
 アイヌ民族の死生観には、死後はあの世で、この世同様に暮らすという考えがあり、墓には生前の愛用品などが副葬されている。
 同大の逸見勝亮(へんみまさあき)副学長によると、医学部の改修工事などに伴い、昨夏までに段ボール箱28箱分の副葬品が見つかった。はさみや鍋などもあり、道内各地やサハリンの集落名と墓の番号が付されていた。個人名はなかった。劣化が激しく、現在北大総合博物館に移し、さび止め処理などを行っている。見つかった状態は「医学部に照会中」としている。
 医学部では児玉作左衛門教授(故人)らがアイヌ民族の骨格研究のため、戦前から戦後にかけて各地で19世紀から20世紀前半の墓を中心に発掘した。最近は同様の研究はなく、同大は「この過程で集められた以外、考えられない」としている。
 逸見副学長は「副葬品をぞんざいに扱ってきたことを恥ずかしく思う。今後は保管に努め、尊敬の念を表したい」と話している。同大は同協会に対し、返還の求めがあれば応じる意向を伝えた。<北海道新聞1月29日朝刊掲載>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/212694.html


今朝の道新紙面は第一面にありました。
WEB記事はその省略版でした(逸見さんの名前の読み方が間違っていますが・・・人のことは言えないわたしです)。
省略されている記事の中で、小川隆吉さん(アイヌ長老会議)が、「ずさんな管理の実態を明らかにしてほしい」と訴えていました。

児玉らの遺骨収集に関してはさらに真実を調べて、違法性を含む問題を明らかにしてほしいものです。
児玉は発掘現場を「遺跡」と言っていますが、1955年と56年に発掘した静内の「墓地」では、一部の遺体が埋葬された時期を1920~1930年と記載しています。埋葬後2~30年しかたっていないのです。それで、「その場で骨から肉を剥がして持っていった」という証言と一致します(過去blog09/11/10と植木哲也著「学問の暴力」春風社2008年 P212参照)。

加えて、今回のダンボール28箱分の品が、児玉らが掘ってきた副葬品であるならば、その違法性は問題にならないだろうかも調べる必要があるでしょう。児玉の論文には相当数の副葬品を「発掘」したことを記していますが、それがどこに行ったかは不明のままでした。児玉が昭和天皇の来道した1954年に解剖学教室で遺骨の説明を得意げにしている写真がありますが、その背景にはアイヌ民族の頭蓋骨がずらりと並び、さらに机の前のほうには発掘したと思われる刀剣がずらりと並んでいます(「北海道行幸啓誌」さっぽろ市1955年)。その時の映像では天井からタマサイがずら~りとぶら下がっていることも確認できます。それらが行方不明だったのですから、今回の件は大変おおきな問題と発展していくことでしょう。注目したいと思います。

この件に関しては、小川隆吉さんが2008年1月に「北海道大学医学部、児玉作左衛門収集のアイヌ人骨の台帳とそれに関連する文書」開示請求を行ない、そのやりとりのもとで同年8月から真実を明らかにすることを目的に「北大開示文書研究会」(清水裕二・殿平喜彦共同代表)が発足。
同研究会は2009年9月1日付で「アイヌ頭骨と副葬品に関する質問書」を北大へ公開質問として出し、同月3日には道政記者クラブで記者会見を行ないました。しかし、マスコミには「週刊金曜日」以外は記事にならず、北大からの返事もありませんでした。
真実が知りたいですね。北大は管理責任も含めて真摯に取り組んでほしいと願います。


そうとう雪が降っています。東京は暖かかったです。いまから札幌に向かいます。


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