前中山国交相の話題もテレビニュースで続きましたが、日教組関連に集中し、「単一民族」発言問題が消えましたね。
会談後、加藤理事長は「謝っている者にげんこを振るわけにはいかない」と、当面は矛を収める意向を示しつつ、「全国にアイヌの人が住んでいる。みんな怒り心頭だ」。
http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY200809260349.html
朝日新聞9/26の記事の一文です。だから、ニュースから消えていったのでしょうか。やさしいなあ。
以前、萱野茂さんから、アイヌはやさしいから自分の持ち物を誉められたら、みなあげてしまうんだ、という話を聞きました。これはいい彫り物ですね~と褒めると、「それはこの家にいるの飽きたというから持っていけ」と。
やさしいんです。
1890年、文豪チェーホフはサハリン島をくまなく歩き、当時、島に送られたロシアの囚人たちの悲惨な生活を記録すると共に、「謎の民族」と言われていたカラフトアイヌの印象を書きます。
「アイヌは温和で控えめで、善良で信じやすい。また、自分の財産を大切にし、狩猟に関しては勇敢な民族だと定評がある。無欲、正直、気前のよさがアイヌの持ち前の性質だ。あまりに誠実すぎて偽りに耐えられないのである。」(「サハリン島」)※1
昔から、やさしいんだな~
しかし、アイヌの善意は踏みにじられていきます。
「それまでも、数ヶ月家を留守にして稼ぎから帰ってくると、いろりの隅で使っていた民具が一点、また一点という風に消えているように思っていました。それが今度は、父自身が大切にしていたトゥキパスイ(奉酒箸)がなくなっているのです。・・・
わたしはこのころ、アイヌ研究の学者を心から憎いと思っていました。・・・わたしが彼らを憎む理由はいくつかありました。二風谷に来るたびに村の民具を持ち去る。先生名は(火)をあばいて先祖の骨を持ち去る。研究と称して、村人の血液を採り、毛深い様子を調べるために、腕をまくり、首筋から襟をめくって背中をのぞいてみる・・・・・。わたしの母などは、どれくらいの量の採血をされたのか知りませんが、ふらふらになって帰ってきたことがありました。」
萱野茂さんの著「アイヌの碑」の一節です(P.126f)。他にも学者達は空のリュックを持ってきて帰る時にはリュックを満杯にしていったこと、無料同然に持っていかれたことを怒っています。そのため、K教授は萱野さんの父に会いに来るのにわざわざ茂さんがいないことを近所で確かめていたほどだった、と。※3
それらは「学者のもの」になり、中には高額で博物館などに売却されたものもあるようです。
国連先住民族権利宣言の12条に先住民族の精神的・宗教的伝統、慣習、そして儀式の実践やその使用物の返還を「公平で透明かつ、効果的処置を通じて」目指すことが書かれています※4。是非、このような実態を考えて、アイヌ民具はアイヌに返還するべきだと思います。
日高ケンタッキーファームの「ロッキー」
昨夜は「北海道キリスト者平和の会」に招かれ、1時間お話させて頂きました。
国連の先住民族権利宣言の成立過程や、昨今の状況を知っている範囲で話させていただき、わたしたちの出きることを考えるときを持ちました。
パワーポイントを使っての二作目が形となりました(昨年はJ.バチェラーのことを調べて作りました)。
今回の反省を踏まえて、11月3日の石狩・空知地区の地区集会、
そして、11月23日の道北地区集会に向けてそれぞれさらなる手を加えていこうと思います。
状況も変わりますので常にアンテナを張って把握していたいと思います。
今日は教会事務をして、午後に旭川にお見舞いに行きます。
参照
※1 NHK ETV特集「世界が見つめたアイヌ文化」Ⅱ 流刑週の遺産・ロシア1996年6月11日放送内容より。
※2 「トゥキパスイ(奉酒箸)は、神さまにお願いごとするときに、お酒をこのトゥキパスイの先にひたしてお祈りすると、願いが神に通じると信じられている大切な道具」(前掲書126頁」
※3 ここで言うK教授については植木哲也さん著「学問の暴力」にて言及されている)
※4 北海道ウタリ協会日本語仮訳‘07年11月14現在を引用させていただきました。感謝。
会談後、加藤理事長は「謝っている者にげんこを振るわけにはいかない」と、当面は矛を収める意向を示しつつ、「全国にアイヌの人が住んでいる。みんな怒り心頭だ」。
http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY200809260349.html
朝日新聞9/26の記事の一文です。だから、ニュースから消えていったのでしょうか。やさしいなあ。
以前、萱野茂さんから、アイヌはやさしいから自分の持ち物を誉められたら、みなあげてしまうんだ、という話を聞きました。これはいい彫り物ですね~と褒めると、「それはこの家にいるの飽きたというから持っていけ」と。
やさしいんです。
1890年、文豪チェーホフはサハリン島をくまなく歩き、当時、島に送られたロシアの囚人たちの悲惨な生活を記録すると共に、「謎の民族」と言われていたカラフトアイヌの印象を書きます。
「アイヌは温和で控えめで、善良で信じやすい。また、自分の財産を大切にし、狩猟に関しては勇敢な民族だと定評がある。無欲、正直、気前のよさがアイヌの持ち前の性質だ。あまりに誠実すぎて偽りに耐えられないのである。」(「サハリン島」)※1
昔から、やさしいんだな~
しかし、アイヌの善意は踏みにじられていきます。
「それまでも、数ヶ月家を留守にして稼ぎから帰ってくると、いろりの隅で使っていた民具が一点、また一点という風に消えているように思っていました。それが今度は、父自身が大切にしていたトゥキパスイ(奉酒箸)がなくなっているのです。・・・
わたしはこのころ、アイヌ研究の学者を心から憎いと思っていました。・・・わたしが彼らを憎む理由はいくつかありました。二風谷に来るたびに村の民具を持ち去る。先生名は(火)をあばいて先祖の骨を持ち去る。研究と称して、村人の血液を採り、毛深い様子を調べるために、腕をまくり、首筋から襟をめくって背中をのぞいてみる・・・・・。わたしの母などは、どれくらいの量の採血をされたのか知りませんが、ふらふらになって帰ってきたことがありました。」
萱野茂さんの著「アイヌの碑」の一節です(P.126f)。他にも学者達は空のリュックを持ってきて帰る時にはリュックを満杯にしていったこと、無料同然に持っていかれたことを怒っています。そのため、K教授は萱野さんの父に会いに来るのにわざわざ茂さんがいないことを近所で確かめていたほどだった、と。※3
それらは「学者のもの」になり、中には高額で博物館などに売却されたものもあるようです。
国連先住民族権利宣言の12条に先住民族の精神的・宗教的伝統、慣習、そして儀式の実践やその使用物の返還を「公平で透明かつ、効果的処置を通じて」目指すことが書かれています※4。是非、このような実態を考えて、アイヌ民具はアイヌに返還するべきだと思います。
日高ケンタッキーファームの「ロッキー」
昨夜は「北海道キリスト者平和の会」に招かれ、1時間お話させて頂きました。
国連の先住民族権利宣言の成立過程や、昨今の状況を知っている範囲で話させていただき、わたしたちの出きることを考えるときを持ちました。
パワーポイントを使っての二作目が形となりました(昨年はJ.バチェラーのことを調べて作りました)。
今回の反省を踏まえて、11月3日の石狩・空知地区の地区集会、
そして、11月23日の道北地区集会に向けてそれぞれさらなる手を加えていこうと思います。
状況も変わりますので常にアンテナを張って把握していたいと思います。
今日は教会事務をして、午後に旭川にお見舞いに行きます。
参照
※1 NHK ETV特集「世界が見つめたアイヌ文化」Ⅱ 流刑週の遺産・ロシア1996年6月11日放送内容より。
※2 「トゥキパスイ(奉酒箸)は、神さまにお願いごとするときに、お酒をこのトゥキパスイの先にひたしてお祈りすると、願いが神に通じると信じられている大切な道具」(前掲書126頁」
※3 ここで言うK教授については植木哲也さん著「学問の暴力」にて言及されている)
※4 北海道ウタリ協会日本語仮訳‘07年11月14現在を引用させていただきました。感謝。