アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

知里幸恵さん文学碑

2006-11-12 15:08:17 | インポート

今週は明日にアイヌ奨学金キリスト教協力会の委員会が札幌であり、翌日、マンローの調べもので二風谷に行かれる方のお供をします。水曜日以降にその報告をいたしますので、今日は、以前にわたしたちのセンター機関紙「ノヤ」に書いたことを少し載せます。前回、カムイコタンの写真のことを以前にも載せていたのに忘れていて同じ内容のことをUPしてしまいました。こんなうっかりは注意しますね。<o:p></o:p>

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<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道旭川市;" Address="旭川市">旭川市</st1:MSNCTYST>北門中学校(<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="35:錦町;" Address="錦町">錦町</st1:MSNCTYST>15)の庭の一角に、いくつかの御影石が配置され、重なりあわさって知里幸恵さんの文学碑が立てられています。北門中学は「旧土人学校」があった場所で、幸恵さんはこの学校に通っていました(ちなみに真志保さんの記念碑は登別の小学校校内)<o:p></o:p>

Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan.<o:p></o:p>

金のしずく降る降るまわりに・・・  銀のしずく降る降るまわりに・・・<o:p></o:p>

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この碑は、彫刻家・空充秋の製作で、「小さな滴一つでも素晴らしい力を夢を持っている」というアイヌの教えを表現して、その心を伝えたいとの思いを込めて作られていると言われています。<o:p></o:p>

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アイヌ民族の知里幸恵(1903-1922)は「アイヌ神謡集」(岩波文庫)でこう書いています。<o:p></o:p>

「その昔この広い北海道は、私たち先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚子(ちし)のように、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは、まことに自然の籠児(ろうじ)、なんという幸福な人たちであったでしょう。冬の陸には林野(りんや)をおおう深雪を()って天地を凍らす寒気(かんき)をものともせず山また山を踏み越えて熊を狩り、夏の海には涼風(りょうふう)およぐみどりの波、白いかもめの歌を友に木の葉のような小舟を浮かべてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久にさえずる小鳥と共に歌い暮らして(ふき)とり、(よもぎ)つみ、紅葉の秋は野分(のわき)に穂そろうすすきをわけて、(よい)まで鮭取るかがりも消え、谷間に友よぶ鹿の音を外に、(まど)かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。<o:p></o:p>

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美しい大自然に抱かれてのんびりと楽しく生活していた、その昔のアイヌの人々の生活は漁猟、狩猟、採集の生活でした。 アイヌの人たちにとって全ての食べ物は天から与えられる恵みであり、神の使者がもたらす物と考えられていました。ですから、サケやマスなどには「使者を迎える儀式」が行われたり、熊にはイオマンテ(熊送り)の儀式が行われていました(熊は毛皮や肉を運んで来てくれる「神の仮の姿」と考えられ、踊りを見せたり、たくさんの贈り物を贈り天井に送り返すことで、次回も恵みを持ってきて下さることを願っていた)。季節に伴った猟をして、自然と共に生活をしていたのです。 <o:p></o:p>

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しかし、です。その続きにはこう書かれています<o:p></o:p>

平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。<o:p></o:p>

その昔、幸福な私たちの先祖は、自分の此の郷土が末にかうした惨めなありさまに変ろうなどとは、つゆほども想像し得なかったでありましょう。

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幸恵さんの生まれた時代はすでにアイヌモシリは和人に侵略され、アイヌの生活も苦境に追われ、差別の厳しい時代でした。わたしたちは先の文章をアイヌ民族の自然と豊かに生活していた美しい情景として思い描くだけではなく、その豊かさを奪いつくされ踏みにじられ続けている中で幸恵さんが描いていることをも意識するべきだと思います。<o:p></o:p>

 さらに、そのような現状でありながらも「今は惨めな私たちだが、その中から一人でも二人でも立ち上がっていってほしい」という想いが込められているという解釈をされる方がいます。<o:p></o:p>

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四方に配した小さな碑に囲まれ、中央左の五段に積み上げられた(高さ2.m)碑の最上段に三好文夫さんの梟が刻まれ、上から空、風、火、水、地を意味し、中央右の四段(2m)の最上段には荒井源次郎さんの書で上記句文が刻まれ、上から春、夏、秋、冬を意味しています。その四方にある石は東西南北。
この碑の前で毎年、68日に知里幸恵さんの誕生記念を覚え、チノミシリが行なわれます。また、この中学校では校舎の一室をアイヌと知里幸恵に関した資料室として開放されています。(199068日設置)
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