アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

平取アイヌ協会の怒り

2016-11-17 06:23:35 | 日記

遺骨返還問題で木村ニ三夫さんが、北大に対してそうとう怒っておられることが木村さんのご友人のBlogを介して紹介されていました。 

北大側が平取アイヌ協会・三役に対して遺骨問題の説明をしに来たそうですが、「最初から白老への週骨ありきの、面倒な手続きの説明に終始した」と(週骨→集骨?)。「盗掘した側が条件を付けるとは!これでは逆さまではないのか」と怒りをあらわにされています。以下、引用。

********

「盗んだ物は元へ、自らの手で再埋葬する事が、先人達へのせめてもの供養、償いではないのか、盗掘に対する一言の謝罪もないのか」と散々悪態をついたが、北大側はなにも反論も言い訳も無しに帰ってしまった。 あの者達は、説明したことのアリバイ作りに来ただけの様だ。

そもそも、どこから持ち出されたか判明している遺骨を元の場所に環さず、国にとって都合の良い白老に集約するというのは、明治政府が川沿いに点々と住んでいたアイヌを国にとって都合の良い場所に移住させた「強制移住」と同じではないのか?

 アイヌは死んでからも強制移住させられるのか?「ふざけるな!」と俺は言いたい。(略)

 遺骨問題に関わっている者達よ。「人である人」であってほしい。こんな理不尽がまかり通る日本国であってはならない。賢明な皆さんの声と力を貸してほしい。

********* 引用、以上。

これは、FMピパウシで放送した原稿の一部でもあるとの事。そのご友人が木村さんから依頼されてご自身のBlogに掲載したそうです。

文科省が各大学に調査して2014年(更新)に「大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の調査結果」を発表しました。

ただし、ずいぶんと「漏れ」があったようで、2016年、今年の8月3日に再度、文科省から各国公私立大学担当課宛に、前回の調査時に「教職員・研究室等への学内の周知・調査が徹底されていなかったため、結果として不十分な回答となっていたことが分かりました」ので、再確認をするとの知らせがあったようです。各大学も適当にやっていたのでしょう。あるいは、今回の杵臼への再埋葬で大事件である事を認識して焦ったのか、とも想像しますが。提出期限は10月31日で電子メールとのこと。すでに集積されていることでしょう。ちなみに、そのような動きがあることは、個人的に大学関係者の知人からの情報ですが、アイヌ政策推進会議等で公になっているのを見逃しているのか見た事はありません。

そのことは横に置いて、上述の調査結果をもとに、政府は「アイヌ遺骨の返還・集約に係る基本的な考え方について」(2013)をつくり、

「各大学等に保管されているアイヌの遺骨について、遺族等への返還が可能なものについては、各大学等において返還すること」

とし、それが返還に関する基本姿勢となっています。

さらに、この度、札幌地裁の裁判によって、遺族「」にあたる(のか?)、コタンの構成員が返還を「認められ」、杵臼に再埋葬という要望を実現させることが出来ました。

文科省はさらに「大学が保管する特定遺骨等の返還に関する手続の詳細について(意見のまとめ)」を今年(2016)の3月30日に出し、

「各大学は具体的な取組を加速することが求められるとともに、文部科学省は返還の促進に向けて、広範かつ積極的な関与、協力を行っていくことが必要である。これを契機に、広く我が国の先住民族政策におけるアイヌ、国、大学、その他関係者間の協力体制がさらに強固なものとなることを強く望むものである」

と、まとめています。

それなのに、北大側は最初から白老への持って行くことを前提としての説明をしに(「アリバイづくり」に)行っただけとは、問題にしなければならない事ですし、文科省も注意するべきです。

『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』(2013.3 P171)によると、平取町から掘り出されたご遺骨は4体、上貫気別から6体、長知内4体、荷負2体、二風谷1体の17体。

平取のご遺骨1体、および、上貫気別の全6体、荷負2体が全身骨で個人特定が「可能」、1933年10月20日、26日、28日の連続での発掘とあります。

ちなみに、手書きの『アイヌ民族人体骨発掘台帳』(医学部解剖学第2講座 P75)には、平取4体、上貫気別5体、長知内4体、荷負2体、(不明1体、二風谷未記入)で、15体となっています。

北大の「特定遺骨に関する情報の公開」によると、番号で書くのは気が引けますが、8番から13番までが貫気別のご遺体、14、15番が荷負の2体。 平取の1体のご遺体の公開はここにありません。

この表で目に留まるのは貫気別から持ち去られた60代の男性は、埋葬が1927年で「発掘」が1933年、埋葬の6年後に「発掘」、さらに、70代男性と40代の女性は埋葬して3年で「発掘」されていることが明記されていること。

肉片をついた骨をメスを使って削ぎ落とし、北大に持って行ったという証言をテープで聞きましたが、ここでもそうだったのでしょう。

北大が今までの対応をあらため、ましてや「アリバイつくり」をやめて、誠実に向きあうことを望みます。 

2010年のカナダ研修の際、野生のオオカミを偶然見ました。同じく目撃したネイティブの友人がわたしにオオカミのしおりをプレゼントしてくれました。雪が舞う中にグレイのオオカミが立っており、しおりをゆらすと絵も動くものです。わたしの机のスタンドにぶらさがって動いています(写真は旭山動物園にいるカナダから来たオオカミくん)。

明日はさっぽろ自由学校「遊」の講座

http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive/e/b0d1e0c1442efd9a0b8b4d689e8e8dc4

それに伴い、札幌周辺の教会を訪問し、土曜日からは八雲、利別、七飯、江差、函館、渡島福島と大移動の予定です。