アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

道内の3つの博物館にアイヌ民族の遺骨が

2016-11-07 13:48:20 | 日記

さる、11月3日に行われた札幌郷土を掘る会主催に参加したことを前回書きました。その補足です。

八幡智子さんの講演前に、今回の案内チラシの以下の一文に関して、主催者側からの謝罪と、「コタンの会」代表の清水裕二さんからの説明がありました。

その一文とは、以下。

「盗掘のアイヌ遺骨・装飾品問題は北大(他大学等にも遺骨保存)の謝罪のないまま、「金目」で解決しようとしています。」

 清水さんは、今回の遺骨返還に関して、知人から「いくらもらったんだ? ふところが暖かいだろう」などと、あたかも和解金が入ったかのような言われ方をする。今回の案内も「金目」が入ったかのような誤解を招く言葉で、昨夜にこの案内を読んで目玉が飛び出しそうにビックリした。今回の杵臼への「ご先祖様」の再埋葬に関しては、北大納骨堂から杵臼までの霊柩車運賃と墓地使用料、再埋葬のための工費は北大が負担したが、それ以外の一切の金銭のやりとりは全くない! 再埋葬は三日かけたが、数ヶ月前からの様々な準備から当日に至るまで多くの費用がかかった。80万円を超える費用は全て全国の賛同者のカンパでまかなったと説明されました。 

主催者側は、誤解を招くような文章を書いたことに謝罪しました。

 和解金をもらったのではないかと言う誤解があることに驚きました。和解条項は北大開示文書研究会のホームページ内にあります。その1にある「引き渡し場所(杵臼)までの搬送に要する費用は被告(北大)の負担とする」というところと、6の「墓地の使用料及び埋葬に要する費用106万7600円を・・・支払う」のところです。

さらに、8の「その余の請求をいずれも放棄する」、10の「訴訟費用及び和解費用は、各自の負担とする」とあるように、裁判費用も自己負担となったのです。わたしたちの杵臼までの往復交通費も自己負担でしたから、みんなで乗り合わせて行きました。わたしは小川隆吉さんと隆吉さんのお姉さんをお乗せして、再埋葬への喜びと緊張感を持ちつつ杵臼に向かいました。

 清水さんは、一週間ほど前にアメリカで行われた先住民族のある会議に参加され、遺骨返還の報告をされて来ましたが、その際に多くの先住民族から、「遺骨」という言葉をわたしたちは用いないで「ご先祖様」(ご本人が日本語でこのように紹介されたのでそのまま)と言うのだと聞き、自分もこれからそうすると言われていたことも印象的でした。

 当日に配布された『〈資料〉アイヌ差別証言—過去と現在の人権侵害』は、10頁ほどの重複がありますが、A3用紙で表裏の100頁という厚いもの。なんとアイヌ民族の皆さん22名の講演をまとめてあり、たいへん読みごたえのあるものでした。葛野次雄さん、熊谷カネさん、伊藤稔さん、楢本貴美子さん、横山むつみさんなど、はじめて知ることばかり。個々に了解を得られたら、ここでも紹介します。

 

函館アイヌ協会より、イチャルパのご案内を頂きました。文部科学省による「博物館におけるアイヌの人々の遺骨及びその副葬品の保管状況に関する調査」において、市立函館博物館にもアイヌ等の遺骨が保管されていることが明らかにされたこと、市教育委員会や博物館と協議の結果、11月13日(日)の午後1時より博物館横の函館公園にてイチャルパを開催するとのこと。

同封の資料「アイヌの人々の遺骨の保管状況」によると、アイヌ民族の遺骨と「考えられるもの」が10体。そのうち、出土場所が函館市3、樺太1、択捉島1、千島シュムシュ島3、十勝伏古1、不明1。シュムシュの3体は1994年に児玉コレクションの一部として寄託(1998年に寄贈)とあります。児玉作左衛門によって1937〜8年に発掘されたとあります。では、1994年までどこに「保管」されていたのでしょう。そして、寄託する側の責任、受け取る側の責任も発生するのではないでしょうか。わからないことだらけです。

 

さらに、リストにはアイヌの人々の遺骨か「特定できないもの」というのもあり、それが19体もあります。出土時期、場所、経緯、保管に至った時期、経緯には「不明」が目立って多く記入されています。中には1961年に「市立函館博物館・市内高校が発掘調査」「採集」し、同年に保管したものがあります。これらの詳しい情報も探せばあるのでしょう。

北海道新聞(7/2付)の記事によると、アイヌ民族の遺骨は大学以外に道内の3つの博物館に16体が保管されていると報じられていました。

道が運営する北海道博物館が5体を、函館市立函館博物館が10体(10人分に相当するか調査中で正確には「10件」)を、室蘭市民俗資料館が1体を、それぞれ収蔵室などで保管していると回答した。

3施設の遺骨は、寄贈などで外部から持ち込まれたり、前身施設から受け継いだりしていた。いずれも、身元や埋葬時期、発掘の経緯などについて詳しい調査は行われていなかった。また、遺骨返還の権利を有するアイヌ民族らに保管状況が広く知らされていなかった。

この記事がさほど問題になっていないような気がしますが、いかがなものでしょう。それらが「収蔵室などで保管している」とありますが、今まで「資料リスト」に記し、公にしてきたのでしょうか。

11月13日には参列できませんが、翌週の20日に八雲に出張ゆえ、数日、道南の各所を訪ねる予定です。函館アイヌ協会にもお訪ね出来ればと考えています。

 

もう少し、写真を大きくしたいのですが、難しい…