アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

『アイヌ民族副読本』問題を考える市民の集いパート2 報告3

2012-07-21 20:34:51 | インポート
後半のシンポジュウムでは、小野有五さん=O(北大名誉教授)、清水裕二さん=S(考える会代表)、阿部ユポさん=A(北海道アイヌ協会札幌支部長、市川守弘さん=I (弁護士)が、各10分話し、会場からの質疑応答がなされました。いくつか紹介します。詳しくは後日に報告集を出すということですのでそちらをごらん下さい。以下、イニシャルで発言者を付けます。

「編集委員会に副読本の編集権はない、理事会で決めれば内容はいくらでも変えられる」と言っている推進機構の理事メンバーが一番問題だ。そういう理事をそのままにしていいのか。(Oさん)
集団の権利ゆえ、アイヌ民族とは誰かをアイヌ民族の中で定めていく必要がある。そして、アイヌ協会は代表ではないから、別に民族の代表機関をつくるべきだ(Oさん)

午前の編集委員会で、全国発送の際の鏡文が問題になった。書き換えの「白紙撤回」をせず、再修整とした。新しい編集委員会では冊子ではなくパンフレット程度にしようとしている。(Sさん)

アメリカのモニュメント・バレーをご存知だと思うがナバホ政府が管轄している場所だ。観光業者もナホバが行っているし課税権もある。裁判所や国会もある。それらはもともとあったものを保存している。(Iさん)
集団権利は自治区を作ることだ。日本国憲法の地方自治の章で「地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」(92条 補足筆者)とあるから作れるんだ。あとは国会が法律の範囲内でどういう権限を盛り込んでいくかだ。今の自治体も罰則が決められる。だから色々な権限が決められる。これらを考えるのが今後の課題。(Iさん)

「北方領土」には日本よりも先にロシアが行ったとロシアは言う。その前に先住していたのがアイヌだから、日本には返さないがアイヌには権利があると言っている。日本政府は北方の居住者連盟はたくさんの組織があってそこに膨大なお金を出しているのにアイヌには一切ない。北海道ウタリ福祉対策を35年やっている(2008年に名称が変わり「アイヌの人たちの生活向上に関する推進方策」)が、その8割はアイヌにではなく、公共事業として使われた。アイヌ政策は進んでいない。(Aさん)

今なぜ副読本問題なのかを考える時、教科書採択問題が絡んでいると考える。「新しい歴史教科書をつくる会」が分裂してできた育鵬社(いくほうしゃ)の教科書が各地で選択されている。実は今回の件で大騒ぎをしている義家議員はその教科書を採択させる国会議員連盟の会の事務局長だ。昨年に尖閣諸島を抱える沖縄の八重山地区で義家議員に指南を受けた教育長がこの育鵬社教科書を採択、竹島を抱える島根県も密室で採択した。次は「北方領土」を抱える北海道が狙われているとしか思えない。そのために副読本攻撃があったのでは?育鵬社教科書でアイヌ民族の記述はたったの15行で内容も問題だらけ。(他の社会科教科書は9頁)〈会場から中学教師さん〉。


などの発言がありました。他にも、函館のある教授は今回の「修整」にたいへん立腹し、今後このような書換えをするようなら自分が提供した資料一切の使用を禁止すると言われたという報告や、推進機構の理事である常本照樹さんや佐々木利和さんは園遊会に行く時間があるのだから、彼らをこの考える会にご招待して、書き換えを認めるのか聞こうではないかというような意見もあり、驚きや拍手が響きました。


留萌の花火(うまく撮れません)


最終的に、集会宣言を採択しました。後半の主要部分を添付します。

しかし、財団は、不当な政治介入によって行った記述「修整」と同時に提案していた編集委員の総入れ替えによる「新しい副読本の発行」は断念していない。それどころか、8月1日の評議委員会、2日の理事会で、「新しい副読本」の提案をしようとしている。財団が行ったアンケートでも、8割以上が「活用しやすい」と高く評価し、ようやく活用が定着しかけている現行副読本を、発行からわずか4年しか経っていない現時点で「新しい副読本」に変更する理由はどこにも見当たらない。「新しい副読本」は歴史改ざんを行った「修整」の延長上にあるとの疑念は消えない。
 アイヌ民族副読本の副題は「未来を共に生きるために」である。そのためには、日本の近代化の課程におけるアイヌモシリへの侵略・植民地化、アイヌ民族への過酷な同化政策とそれに対する民族の命懸けの抵抗の史実が明らかにされ、アイヌ民族の先住権が確立されなければならない。歴史事実の改ざん・削除は、「共に生きる」未来には到底つながるものではない。
 よって、本集会参加者の創意として次の点を財団に強く求めるとともに、北海道教育委員会、日本国政府に対してもこの決議文を送付し、問題の所在と私たちの意思を明らかにするものである。
1.アイヌ文化振興・研究推進機構は、歴史改ざんとなる3月27日の「修整通知」を即時撤回するとともに、編集委員会の創意で「再修整」された副読本を早期に発行して子どもたちの学習権を保障すること。
2.アイヌ文化振興・研究推進機構は、不当な政治介入による「新たな副読本の発行」計画を即刻中止し、現行副読本の周知徹底と活用の条件整備に力を注ぐこと。
3.「未来を共に生きるために」、歴史の真実を改ざん・削除することなく、アイヌ民族の歴史と文化の記述をさらに充実させること。
以上、決議する。 2012年7月16日 アイヌ民族副読本問題を考える市民の集いパート2 参加者一同


報道として北海道新聞が7月19日の社説で紹介していますので紹介します。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/388697.html


音威子府に建てられている碑 稚内から名寄に向う途中で撮りました。
みなさん、ご存知でしたか? 解説文は後日に掲載します。


『アイヌ民族副読本』問題を考える市民の集いパート2 報告2

2012-07-21 05:38:31 | インポート
市川守弘弁護士の提言「アイヌ民族の先住権とは何か(仮)」の報告です。概要をまとめると以下のとおり。

副読本の書き換え問題の第1ラウンドは、「修整」を撤回させた。しかし、今回は手続きを誤ったと謝っただけで、修整内容について謝っていない。第2ラウンドは次回から新しい編集委員を選んで全面改定して内容を変えるだろうから、「一方的に」を削除した問題、「先住権」などの内容に関する議論をこちらでも深めるべきだ。

先住権には大きく分けて二種類あるとわたしは考える。ひとつは先住権、もう一つは新しい権利(例えば、民族議席を求めるなど。それは政策論になる)。後者ばかりにとらわれていると大もとを見失う。
本来の権利は所有権だ。民法での所有権とは「使用、収益、処分する権利」。アイヌは所有概念がないということを聞くがそれは間違い。アイヌ民族は先住権、つまりその土地の使用、収益、処分する権利を持っていたし、今も持っているはず。

なぜなら、徳川幕府が松前藩に黒印状を渡し、自由に交易しているアイヌに対して松前藩とだけ交易するという松前藩に独占的交易権を与えた(アイヌはそれまで交易していたロシアや中国と交易ができなくなる)。しかし、一方で、黒印状の「付」で「蝦夷のことは蝦夷まかせ」とあり、アイヌの支配領域内における権限はすべて保全された(だからアイヌは人別帳を作られなかったし課税一切なかった)。アイヌは経済的には従属下におかれていくが政治的には自決権は保持されていたのだ(明治までは)。

アメリカの例を参照すると(配布資料 『アメリカインディアン法の生成と発展』 市川守弘著 『現代法律実務の諸問題』平成15年版 日本弁護士連合会編)、インディアンは何千の集団があったが、イギリスが「発見」したあと、土地に関することは対外的にイギリスとだけ交渉可能になる。インディアンの国家主権が一部だけ制限されるが、インディアンの内部の権利は独立している(「発見の論理」)。
ワーセスタ・ジョージア州事件判決で、チェロキーの内部では国家主権は独立しているためジョージア州政府は関与できないとした。

対外的には制約があったが対内的には諸権利は保持された。たとえば、石狩アイヌの土地では自分達の規則に従って鮭を獲る。それを他の地域のアイヌが来て勝手に獲ると民事紛争(チャランケ)になった。それを決める慣習法という法律があった。対内的には民事法制、刑事法制、それに対する補償手続きを各コタンが持っていた。各コタンが一種の国家なのだ。国家としての権限に裏打ちされた土地の使用、収益、処分する権利を先住権という。

明治に入り、開拓使はこれを全く無視して勝手に土地買貸規則(明治5)により、一切の土地は「官に属す」として国有地として宣言した。国有地にできる根拠はない。そして、先住民族アイヌが先住しているにもかかわらず、それを承知で、地所規則で和人のみに土地を払い下げる政策をとった。国際法からすれば権利侵害であり、これを「一方的」と言うのだ。

これは賠償の対象になる(先住権)。アメリカの例ではブラックヒルズをめぐる戦いで合衆国側が違法な手続きによる土地取得だったとの判決が1970年代にあり、当時の土地代金に年5%の遅延損害金(いわゆる利息)を百数十年分付けてスー族に返済させたのがある。
おなじことが日本でもやられなければいけない。それは日本が世界に合法的でちゃんとした民主主義的国家であることを宣言する以上は当然にやらなければいけない義務だ。

では、だれがこの権限を持つのか。それは個人ではなく、主権を背景とした集団の権利だから、アイヌ民族では各コタンだ。今でいうとコタンの子孫だ。

先住民族の権利といっても先住民族の実態がもうないのではないかという言い方をされるが、アメリカ連邦高裁は、政府がインディアンを保護することを怠ったために生じたことであり、その事に時効とか権利が行使されないから失効するという考えは絶対にとることが出来ない、と判決した(前掲書1018頁)。

もうひとつ、日本国憲法との関係については、先住権とは日本国憲法が出来る前の権利であって、前権利なのだ。依然、日本政府とアイヌ民族は対等なのだ。日本政府は勝手にはアイヌを日本国憲法下に置けなかったということ。
この前憲法的権限を持っている先住権の回復には乗り越えるべき課題はある。
副読本は単にアイヌの生活ぶりを伝えるというのではなく、権利も伝えるものにするべきだ。


留萌から稚内に向う途中。