アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

地域セミナーin紋別 報告その2

2011-02-12 09:06:01 | インポート
2月4日(金)より5日(土)まで行われた「ESD(持続可能な開発のための教育) 地域セミナーin紋別 地域で学ぶ、未来を学ぶ~地域の歴史・文化・環境とアイヌ民族~」報告の続きです。

二日目は第二部「実践・課題の共有とプログラムづくり」で、午前中は地域のアイヌ民族について学ぼうと、畠山敏さん(北海道アイヌ協会紋別支部長)のお話がありました。また、今年度、実際にアイヌ民族に関する授業を小中学校で行われた 増地行雄さん(紋別市立潮見小学校教員)と、藤田洋平さん(紋別市立潮見中学校教員)の報告がありました。

現在は海浜公園となっているモベツ川河口にあったモベツコタンに生まれ、のちに漁師となった畠山さんのライフストーリーを伺いました。子どものころからひどい差別を受け、中学2年から学校に行けなくなった畠山さんが公に自らをアイヌとして名乗り、生きるようになったのは50歳半ばからだった、と。
現在、異議を唱えているモベツ川上流に建設中の「産業廃棄物最終処分場」問題や畠山さんに関しては、ドキュメンタリー映画「アメリカばんざい」の藤本幸久監督らが4月から紋別入りして映画を撮りはじめるとのことですので(2010/11/4 blog参照)、完成を楽しみにしています。
(先日、留萌9条の会で藤本監督の映画制作に関わった影山あさ子さんをお招きしての講演会&映画会を持ちましたので、少し情報を頂きました)。
産廃最終処分場への抗議情報はモベツサンクチュアリーblogに詳しく書かれています。
http://mopetsanctuary.blogspot.com/

学校には、アイヌ協会紋別支部後援会会長の鷲頭幹夫さんとお二人で行かれたとの事。小学校は5年生、中学校は3年生が畠山さんらのお話に真剣に耳を傾けていたという報告がありました。こどもたちの感想文の紹介もありました。 「畠山さんが自分からアイヌ人だといったことはびっくりしました」 「はじめて知ったことがたくさんありました」 「一番心に残ったのは人種差別の事です・・・私も努力して差別の様な事を無くしたいです」等々、畠山さんらも「思い切って行ってよかった」と感想を書いておられました。

過去blogに北教組が作った「アイヌ民族の学習」を薦めるための指針の紹介を書きました(2010/9/27)。
各学年の社会科や地理、歴史の各社の教科書にどれほどアイヌに関する記述があるかも表にされ、評価と課題も示されています。たとえば中学・公民の項では
「歴史的な差別の実態を押さえるだけでなく、現在も残る差別や偏見にもふれることが必要である。その際には、北海道が実施した「ウタリ生活実態調査(06年度版)」や北海道大学アイヌ・先住民研究センターが実施した「北海道大学アイヌ民族生活実態調査(08年度版)」の結果がインターネット上で公開されており、(略)活用していただきたい」
と。道が実施した「生活実態調査」の大きな誤記は「正誤表」が出ていますね。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/NR/rdonlyres/760B9B59-2006-42C8-8B56-C8B1C19A7DE9/0/chousa_seigo2.pdf

生活意識の項で数字が逆に書かれており、「豊かである」が本来は0,3だったのに29,7と99倍にもなっていたのですから、大変なことです。
ところで、北大の調査は道の「生活実態調査」を参考にしているはずですが、気づかなかったのでしょうか。

午後の部「未来への学びをつくりだそう 課題の共有~地域と学校との連携に向けて」は、翌日に備えて早めに帰ったため、参加できませんでした。さっぽろ自由学校“遊”からの報告を待ちたいと思います。地域と学校とが連携して具体的なプログラムを作り出せていけたらいいと思います。

質疑の中で、紋別のアイヌ民族の人口数について、おおよそ4~500人と畠山さんが答えられました。「でも、自分の親戚の多くはアイヌを隠している」と。隠さざるを得ないほど差別は続いているのです。



バンクーバ空港内に設置されている先住民族のモニュメントのひとつ。たくさんありました。
空港はいわばその国の玄関口。そこに、先住民族を意識しているというのは大切なことと感じました。
少なくとも道内の空港にはアイヌ民族のモニュメントを多く取り入れて、お客さんをお迎えできたらいいですね。

昨夜は独立学園高校の北海道ブロック同窓会があったのですが欠席。こちらで2・11思想・信教の自由を守る集会を少人数でしたが行いました。土井敏邦監督の映画「“私”を生きる」を一部を鑑賞しました。