アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

カムイコタン

2006-11-07 09:17:42 | インポート

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秋になりましたので模様を変えてみました!

(字体はどの配色がいいと思います?)

 

昨日も所用で旭川まで出たのですが、時間が合わずアイヌ記念館によることが出来ませんでした。チプもほぼ完成していることでしょう。残念です。<o:p></o:p>

11月に入って、いつも使う留萌から旭川への峠が冬期閉鎖されました。やむなく春が来るまで国道12号線を使わなければなりません。山道と違い、国道は交通量が多いので疲れます。<o:p></o:p>

国道12号線に沿って流れる石狩川をさかのぼり、旭川入り口付近にカムイコタンと呼ばれるところがあります。<o:p></o:p>

よくここで鹿を見つけることが出来るのでここを通るのは楽しみです。<o:p></o:p>

しかし、そこは険しい断崖と激流のために、上川アイヌの人々が石狩方面と往来する時の最大の難所でした。そのため石狩川を舟でさかのぼって来た人は、現在の神居古潭吊り橋付近にて舟を降り、川岸を春志内付近まで歩いてそこで別の舟に乗り換えるか、あるいは吊り橋付近より空舟を人力で春志内付近まで引っ張っていくか、のどちらかの方法で上川に入ったと伝えられています。またその遡行並びに下降の際には、吊り橋及び春志内(本来のカムイ・コタンは、この区間を総称した地名)付近で、通過の無事をカムイに祈ったり、あるいは通過できたことをカムイに感謝する習わしがありました。(現在では、カムイコタン祭を年に一度開催しています)<o:p></o:p>

川岸に奇岩怪石が連なる神居古潭の景観は、多くの伝説を生んでいます。その最も代表的なものが、「ニッネカムイとサマイクルの戦い」です。 <o:p></o:p>

  むかし、神居古潭にニッネカムイという凶悪な魔神が住んでおり、アイヌの人々を苦しめていた。あるとき、ニッネカムイは大岩を石狩川の川幅のいちばん狭いところに投げ込み、アイヌの人々を溺死させようと企む。これを見ていたヌプリカムイ(山の神)のクマは、アイヌの人々を救おうとその岩を取り除いて水を流した。ニッネカムイは怒ってヌプリカムイに襲いかかるが、文化神サマイクルが駆けつけ、格闘となる。劣勢となったニッネカムイは逃げ出すが、泥に足を取られたところをサマイクルの刀で切り殺される。

言語学者の知里真志保(1909-1961)は、<st1:MSNCTYST Address="『旭川市" AddressList="01:北海道旭川市;" w:st="on">『旭川市</st1:MSNCTYST>史』第4巻(昭和35年)所収「上川郡アイヌ語地名解」の中で、このニッネカムイとサマイクルの戦いにちなんで名付けられた神居古潭付近の奇岩を多く挙げています。
 
ニッネカムイ・オラオシマイ Nitnekamui-o-rawoshma-i(魔神が・そこで・ぬかった・所)  
  右岸の岩に深さ一丈以上もある穴があり、魔神がサマイクルに追っかけられた時に踏みぬいた

 足跡だという。
 エムシケシ Emushi-keshi(刀・の端) 前記の穴のそばの岩の上に幾つもの条痕があり、 

 それはサマイクルが魔神に切りつけたときの刃痕だという。
ニッネカムイパケヘ Nitnekamui-pakehe(魔神・の頭)

ニッネカムイネトパケ Nitnekamui-netopake(魔神・の胴体)

ニッネカムイノッケウエ Nitnekamui-notkewe(魔神・のあご) 


北海教区2006年度修養会

2006-11-07 08:14:25 | インポート

11月3~4日と北海教区 2006年度修養会が富良野で行われ、全道から500名の方が集まりました。学びと交流のひとつにアイヌ民族の部屋があり、赤平の太田マルクさんにお話を伺いました。

とても残念でしたが、わたしは年修の事務局で飛び回っていたため、お話を後からテープで聞かせて頂くことにしています。

参加された方はとてもいい学びだったと感想を言われていました。

太田さんはロシア正教の信徒でもあり、アイヌ語で聖書翻訳を行っていることも話されました。

多くの資料も用意くださり、1897年に出版されたJ.BACHELORのアイヌ語聖書も紹介されました。

早く聞きたいデス・・・録音を頼んだ方にお願いしないと・・・。

希望者は情報センターまで!<o:p></o:p>

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会場となった新富良野プリンスホテル<o:p></o:p>

とてもいいホテルでした<o:p></o:p>