今日は昼からずっとピアノ漬けで、もう音楽はいいよ・・・・というくらい堪能して帰ってきたのだが、これがまたN響アワーを見ていたりして、もういい加減にしなさいっ、という感じだ。
本日なにがあったかというと街中某所で、先日ブログに書いた若いピアニストさんのコンサートがあり、その前座というか前半プログラムでちょっと弾かせていただいた。
曲はリサイタルのリサイクルというか(逃)、「子供の情景」から9曲を弾いた。
ピアノもちょっと勝手が違ったし、前後の出演者もあることなので、今日はあまり集中できそうにないなあ・・と思っていたが、今日もある意味、やはりおかしかった。
どういうわけかこの曲、本番になると自分でも相当「ヘン」になる気配が濃厚になり、最後の2曲ではどうも感情失禁状態になってしまう。
いや、こういうことではいけないとほんとに反省するのだが、ダメだ。
シューマンが結婚以前に書いたこの曲、未来への青写真もあったかもしれないのだが、その生涯とか子供たちのその後を思うと(いや実際はそんなこと演奏中は考えもしない)、やはりちょっと複雑な思いを禁じえない。
そういう自分のことはともかくとして、若いピアニストさん、繊細なタッチと歌心あふれるモーツァルト&メンデルスゾーン、
深い音とぐっと胸せまる激情のリスト、
どちらも大変すばらしかった。ほんとに楚々としたお嬢さんなのだが、ちょっと別の一面も垣間見た気がした。
ピアノ仲間の3人も、それぞれが弾きこんだ曲を持ち寄り、ホールに集まったかたたちとの相互の交流を感じる、あたたかい演奏を披露した。
そのコンサートが終わったあと、
街中からバスで30分ほどの場所で行われるステップを聴きに行った。
サークルの仲間が3人でる予定だ。
会場内はアドバイザー以外は「ほぼ身内」な感じで、これなら髪が逆立つほどの緊張はしないかも、とちょっと思った。
それにしてもなのだが・・・ほんとに一人一人の演奏に感銘を受けた。
わざわざ自分のコンサートが終わってから駆けつけた甲斐があった。
ちょっとおおげさかもしれないが、これはもう涙ものだった。
もちろん私は最近、音楽を聴いてはすぐ「コワレル」傾向が顕著だが、
そのせいだけではなかったと思う。
結果、今日出演されたかたのほとんど一人一人に、感激のコメントを渡してしまった。
なかでも、サークルの3人は日頃を知っているせいもあるが、「よくここまで」とまるで親かなにかのようにしみじみした。
詳細はご本人に伝えてあるのだけれど、
「雨だれ」を弾いたK君・・・・・ほとんど独学でやってきたというのに、ほんとに「よくここまで」(泣)。
冒頭の美しい音、中間部のムリのない音量ゆえに一層胸にしみる激情、再現されたテーマのいっそうの美しさ&しみじみ、そして最後の雨上がりのつややかさと静けさ。
もちろんいろいろ考えての末だろうけど、低音の上にきっちり和声が構築され、すみずみまで音色に心が配られていたと思います。
でも、そういうことが、「計算」としてまったく現れず、自然な流れとして表現されたのはアッパレとしか言いようがないです。
「エチュード 10-1」と、冬ソナの中の1曲を弾いたHちゃん・・・・
実は10-1というのは、本番で大変なことになるケースが多いので、結構心配していたのです。
ですが、そんな心配は無用でした。この曲、私もかじったことあるから想像つきますが、たとえCDのようなテンポでないにしても、人前であれだけ弾くには並の練習では絶対ムリなはず。
こういう「大変な曲」から逃げていた自分を、深く反省いたしました。
2曲目は私よく知らないので、うまくいえませんが、歌を自然に、でも染みとおるように表現するHちゃんの真骨頂だったと思います。
それからギターとのアンサンブル「アランフェス」を演奏されたhiroさん、
感心したのは、音色がギターよりになっていたこと。
鍵盤からアクションを伝わって出た音というよりは、弦を鳴らして出る音のように感じました。
音色についてはブログなど拝見しても考えに考えておられたようなので、そのあたり工夫されての結果かと思いました。
コンビとしては長いようなので、そのへんの息はよくあっておられたし、テンポのとりかたが私としては大変好ましかったです。
最後には、現代曲を弾かれることで有名なS先生が三善晃作曲のソナタを弾かれた。
これが20分を超える曲で、この長さの現代曲を弾かれるだけでも驚きなのに、
私のような現代曲ちんぷんかんぷん人間でも、最後の音まで連れていかれた(驚)。
おそらく緻密な楽曲分析、多彩な音色、情緒など相俟ってのことだと思う。
やっぱり現代のピアノのために書かれた現代の曲をいちどは自分も弾いてみたいと思った。
という、一日で聴くには多すぎるほどの音を聴いた日だったが、すばらしく充実していた。
ただ、あまりにすばらしい演奏をたくさん聴くと「もう自分は聴く側で」とついつい思ってしまうのだが、よい演奏をよりよく聴くためにも、自分でも弾きつづけていかなければなあ・・・・・と気をとりなおして、また明日から練習だ。
本日なにがあったかというと街中某所で、先日ブログに書いた若いピアニストさんのコンサートがあり、その前座というか前半プログラムでちょっと弾かせていただいた。
曲はリサイタルのリサイクルというか(逃)、「子供の情景」から9曲を弾いた。
ピアノもちょっと勝手が違ったし、前後の出演者もあることなので、今日はあまり集中できそうにないなあ・・と思っていたが、今日もある意味、やはりおかしかった。
どういうわけかこの曲、本番になると自分でも相当「ヘン」になる気配が濃厚になり、最後の2曲ではどうも感情失禁状態になってしまう。
いや、こういうことではいけないとほんとに反省するのだが、ダメだ。
シューマンが結婚以前に書いたこの曲、未来への青写真もあったかもしれないのだが、その生涯とか子供たちのその後を思うと(いや実際はそんなこと演奏中は考えもしない)、やはりちょっと複雑な思いを禁じえない。
そういう自分のことはともかくとして、若いピアニストさん、繊細なタッチと歌心あふれるモーツァルト&メンデルスゾーン、
深い音とぐっと胸せまる激情のリスト、
どちらも大変すばらしかった。ほんとに楚々としたお嬢さんなのだが、ちょっと別の一面も垣間見た気がした。
ピアノ仲間の3人も、それぞれが弾きこんだ曲を持ち寄り、ホールに集まったかたたちとの相互の交流を感じる、あたたかい演奏を披露した。
そのコンサートが終わったあと、
街中からバスで30分ほどの場所で行われるステップを聴きに行った。
サークルの仲間が3人でる予定だ。
会場内はアドバイザー以外は「ほぼ身内」な感じで、これなら髪が逆立つほどの緊張はしないかも、とちょっと思った。
それにしてもなのだが・・・ほんとに一人一人の演奏に感銘を受けた。
わざわざ自分のコンサートが終わってから駆けつけた甲斐があった。
ちょっとおおげさかもしれないが、これはもう涙ものだった。
もちろん私は最近、音楽を聴いてはすぐ「コワレル」傾向が顕著だが、
そのせいだけではなかったと思う。
結果、今日出演されたかたのほとんど一人一人に、感激のコメントを渡してしまった。
なかでも、サークルの3人は日頃を知っているせいもあるが、「よくここまで」とまるで親かなにかのようにしみじみした。
詳細はご本人に伝えてあるのだけれど、
「雨だれ」を弾いたK君・・・・・ほとんど独学でやってきたというのに、ほんとに「よくここまで」(泣)。
冒頭の美しい音、中間部のムリのない音量ゆえに一層胸にしみる激情、再現されたテーマのいっそうの美しさ&しみじみ、そして最後の雨上がりのつややかさと静けさ。
もちろんいろいろ考えての末だろうけど、低音の上にきっちり和声が構築され、すみずみまで音色に心が配られていたと思います。
でも、そういうことが、「計算」としてまったく現れず、自然な流れとして表現されたのはアッパレとしか言いようがないです。
「エチュード 10-1」と、冬ソナの中の1曲を弾いたHちゃん・・・・
実は10-1というのは、本番で大変なことになるケースが多いので、結構心配していたのです。
ですが、そんな心配は無用でした。この曲、私もかじったことあるから想像つきますが、たとえCDのようなテンポでないにしても、人前であれだけ弾くには並の練習では絶対ムリなはず。
こういう「大変な曲」から逃げていた自分を、深く反省いたしました。
2曲目は私よく知らないので、うまくいえませんが、歌を自然に、でも染みとおるように表現するHちゃんの真骨頂だったと思います。
それからギターとのアンサンブル「アランフェス」を演奏されたhiroさん、
感心したのは、音色がギターよりになっていたこと。
鍵盤からアクションを伝わって出た音というよりは、弦を鳴らして出る音のように感じました。
音色についてはブログなど拝見しても考えに考えておられたようなので、そのあたり工夫されての結果かと思いました。
コンビとしては長いようなので、そのへんの息はよくあっておられたし、テンポのとりかたが私としては大変好ましかったです。
最後には、現代曲を弾かれることで有名なS先生が三善晃作曲のソナタを弾かれた。
これが20分を超える曲で、この長さの現代曲を弾かれるだけでも驚きなのに、
私のような現代曲ちんぷんかんぷん人間でも、最後の音まで連れていかれた(驚)。
おそらく緻密な楽曲分析、多彩な音色、情緒など相俟ってのことだと思う。
やっぱり現代のピアノのために書かれた現代の曲をいちどは自分も弾いてみたいと思った。
という、一日で聴くには多すぎるほどの音を聴いた日だったが、すばらしく充実していた。
ただ、あまりにすばらしい演奏をたくさん聴くと「もう自分は聴く側で」とついつい思ってしまうのだが、よい演奏をよりよく聴くためにも、自分でも弾きつづけていかなければなあ・・・・・と気をとりなおして、また明日から練習だ。