ムジカノーヴァ 2005年8月号のインタビューにおいて、
フェルツマンは、<ピアノを弾く基本の姿勢>について次のように語っている。
「自然のまま、ありのままに体を使って演奏するということです。
自然な形で楽に座ったら、自分の重心が分かります。そうして手も自然な位置にあると全ての力が自然と指先を伝わってくる。
他の誇張した動き、体の使い方、座り方はナンセンスです。だから私は学生が来たらまず最初にすることがあります。
10人のうち9人は私のところに来た時には高い位置に座り過ぎています。
音楽について話を始める前に、どう座るか、どう座れば自分の重心を感じられるかを理解してもらうのに時間を費やします。身体的にしっくり心地良くない座り方からでは、音楽を作り出すことなど決してできはしないからです」
椅子の高さというのは、ピアニストによってほんとにそれぞれで、リヒテルやポゴレリチは大変高い位置にすわっているし、ホロヴィッツやグールドは相当低いと思われる。
椅子の高さというもの、体格が大きく関係あるようで、もちろん<椅子が高い>といえば体の小さな子供を思い出すのだけれど、リヒテルやポゴレリチは大男なのであって、それはなぜなのか・・とずっと考えていたのだが、たぶん、手や腕と鍵盤の位置関係もさることながら、脚の長さというものも大いに関係のあることで、椅子の座面よりも膝の方が高いようだとペダルの操作がしにくかったりするのではなかろうか、と思ったりもしている。
私自身も椅子の高さについてはもう毎日毎日考えたり試したりしているのだが、いまだに決定打はない。
ずっと以前は大変高くにすわっていて(普通の自在椅子で上から2~3目盛り)、和音の多い曲だとかフォルテの多い曲は楽なような気がしていたけれど、どうしても手首が高くなってしまうので、モーツァルトの音の細かい曲は動きも鈍くなるように感じたし、何よりも指先をわざわざ<上げなければ>ならないように思った。
なので、自分としては低めにすわっているつもりなのだが、これとて一番いい位置という自信があるわけではなくて、曲によって変えたりもしている。
単に「弾きやすい」ということであれば、それはもういろいろなバージョンがあっておかしくないが、フェルツマンのいうような
「どう座れば自分の重心を感じられるか」ということになると話は別だ。
だいたい自分の<重心>とはなんぞや・・ということになるわけであって、
う~ん・・・体重でもなければ中心でもないのよね・・・
でも確かに、重心をしっかりとらえておかなかったら、たとえば前傾して弾いたり、うしろにそったりした場合の体の戻りが不自然になるわけで、これは緊張してしまったりなんかするとますますロクでもないことになる。
だいたい私がステージで失敗した時というのは、両手の跳躍があったりしたときに、ヘンな位置に体が戻ってしまい、いわゆる<バランスをくずす>という状態になった時なのであって、おきあがりこぼしのように自然な位置に返れれば、起きなかったであろうミスだと思われる。
そういうことを考えると「たかが座り方、されど座り方」なのであって、たしかに<自分の重心>については一考を要すると思った。
ところで、フェルツマン自身は、テレビで見た限りでは、座ると割にさっさと弾き始めるタイプなのであって、もちろんリハーサルなどでしっかり確認してのことなのだろうけど、実は歩いている時ですら、自分の重心はわかっているのではなかろうか・・と思ったことであった。
私にはまったく心得はないことなのだが、これって武道とかそのあたりに通じることだったりするのではないのだろうか?
・・・というわけで、ただ楽しいだけといいたい楽器演奏も、ステージで没頭するためには一体どれだけの心得というか常日頃の精進がいるものなのだろうか・・・と思わずため息をついたことなのであった。
フェルツマンは、<ピアノを弾く基本の姿勢>について次のように語っている。
「自然のまま、ありのままに体を使って演奏するということです。
自然な形で楽に座ったら、自分の重心が分かります。そうして手も自然な位置にあると全ての力が自然と指先を伝わってくる。
他の誇張した動き、体の使い方、座り方はナンセンスです。だから私は学生が来たらまず最初にすることがあります。
10人のうち9人は私のところに来た時には高い位置に座り過ぎています。
音楽について話を始める前に、どう座るか、どう座れば自分の重心を感じられるかを理解してもらうのに時間を費やします。身体的にしっくり心地良くない座り方からでは、音楽を作り出すことなど決してできはしないからです」
椅子の高さというのは、ピアニストによってほんとにそれぞれで、リヒテルやポゴレリチは大変高い位置にすわっているし、ホロヴィッツやグールドは相当低いと思われる。
椅子の高さというもの、体格が大きく関係あるようで、もちろん<椅子が高い>といえば体の小さな子供を思い出すのだけれど、リヒテルやポゴレリチは大男なのであって、それはなぜなのか・・とずっと考えていたのだが、たぶん、手や腕と鍵盤の位置関係もさることながら、脚の長さというものも大いに関係のあることで、椅子の座面よりも膝の方が高いようだとペダルの操作がしにくかったりするのではなかろうか、と思ったりもしている。
私自身も椅子の高さについてはもう毎日毎日考えたり試したりしているのだが、いまだに決定打はない。
ずっと以前は大変高くにすわっていて(普通の自在椅子で上から2~3目盛り)、和音の多い曲だとかフォルテの多い曲は楽なような気がしていたけれど、どうしても手首が高くなってしまうので、モーツァルトの音の細かい曲は動きも鈍くなるように感じたし、何よりも指先をわざわざ<上げなければ>ならないように思った。
なので、自分としては低めにすわっているつもりなのだが、これとて一番いい位置という自信があるわけではなくて、曲によって変えたりもしている。
単に「弾きやすい」ということであれば、それはもういろいろなバージョンがあっておかしくないが、フェルツマンのいうような
「どう座れば自分の重心を感じられるか」ということになると話は別だ。
だいたい自分の<重心>とはなんぞや・・ということになるわけであって、
う~ん・・・体重でもなければ中心でもないのよね・・・
でも確かに、重心をしっかりとらえておかなかったら、たとえば前傾して弾いたり、うしろにそったりした場合の体の戻りが不自然になるわけで、これは緊張してしまったりなんかするとますますロクでもないことになる。
だいたい私がステージで失敗した時というのは、両手の跳躍があったりしたときに、ヘンな位置に体が戻ってしまい、いわゆる<バランスをくずす>という状態になった時なのであって、おきあがりこぼしのように自然な位置に返れれば、起きなかったであろうミスだと思われる。
そういうことを考えると「たかが座り方、されど座り方」なのであって、たしかに<自分の重心>については一考を要すると思った。
ところで、フェルツマン自身は、テレビで見た限りでは、座ると割にさっさと弾き始めるタイプなのであって、もちろんリハーサルなどでしっかり確認してのことなのだろうけど、実は歩いている時ですら、自分の重心はわかっているのではなかろうか・・と思ったことであった。
私にはまったく心得はないことなのだが、これって武道とかそのあたりに通じることだったりするのではないのだろうか?
・・・というわけで、ただ楽しいだけといいたい楽器演奏も、ステージで没頭するためには一体どれだけの心得というか常日頃の精進がいるものなのだろうか・・・と思わずため息をついたことなのであった。
曲によっては高さをかえる必要もでてくるかもしれませんね。
どうみても、脚の下のコロというか輪が小さく、よって鍵盤の位置が低くなってました。
リハーサルがあったので、それにあわせて椅子を調節しましたけど、いやこういうこともあるのね・・・と思いました。
動きの速い曲とか、移動の大きい曲では、座り方は結構命とりになりますよね。
こういうこともじっくり考えていかねば・・と思うこのごろです。