~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

音楽のひと

2007年02月21日 18時26分57秒 | ピアノ
本日某所で、練習会をした。
日曜に街中の小さなホールでコンサートをやるのだが、メンバーはその5人。

このコンサートのメインは、おととし音大を出られた若いピアニストさんで、
モーツァルトやリストなどを弾かれる予定。大変楽しみだ。

さて、ひとりひとりに割り当てられた時間は30分。
その若いピアニストさんがアドバイスをしてくださるということだったので、
さてどうやって有効にこの時間を使おうかと考えた。
モーツァルトが大変すばらしい方だときいていたので、今オケパート練習中の
20番コンチェルトのさわりだけでも聴いてもらおうと思っていた。
だが、ここ数日で12日の録音をチェックしてみたところ、今度の日曜に弾くシューマン「子供の情景」のなかの3拍子の曲3曲が微妙にハマってないことが気になってきた。
そうだ・・この件についてもきいてみよう・・・

初めてきいてもらったということもあるけれど、彼女の資質も大きいだろう、とても新鮮だった。
ほ~   と感心。
またこれが声がきれいで、歌ってフレーズ作りを説明してくれるのだけれど、
実によくわかる。

それをききながら思ったこと・・・私は楽譜のタテの線に気をとられすぎてました。
シューマンがすばらしい対位法の使い手だということをうっかり失念していた・・・、リズムが激しく刻まれているようにみえても、実は独立したいくつかの旋律や持続するリズムが束ねられているのだということ。
アウフタクトはアップボウのように考えると入りやすいように思えたし、小節線のあとでは、少しスラー気味に歌うと拍がしっかりするところもある

・・・といったようなことを、言葉でというより、歌ってくれたのだが、これだけのことがいきなりみえたというのはオドロキだ。

モーツァルトはほんとにちょっとの時間しかなくて残念だったが、
拍感、特に、シンコペーションによって全体が引き締まっているというのだということを具体的箇所で示してくれて、
それを意識することによって、自分の中で3楽章までのある種の統一感が、これまたみえた気がした。

あたり前といえばあたり前なのだが、
彼女は「音楽の世界」の住人なのだった。
この前、喫茶店で隣あってお茶を飲んでいるときには感じなかったものをビシビシと感じた。
私のなかでは、<音楽のプロ>というのは、常に種火がついている状態で即音楽に反応して火を大きくできる人種であり、またそういう形で音楽の神様に献身している方々のことを指すのだけれど、そのような意味において彼女もまたまぎれもない<プロ>なのだと思った。

今日はそれ以外には練習をしないという困った日ではあったが、
ただ弾きつづけるだけでは、やっぱりというかまったくダメなのよね・・・
と心底思った日でもあった。一人での分析や練習には所詮限界があります。
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