てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

ブログ再考

2009-06-24 12:17:00 | パソコンとインターネット
 最近あるブログを拝見してネチケット(ネットマナー)について気掛かりなことがいくつかあります。自分自身のブログのあり方も含めて再考いたしております。気持ちの整理がつくまで暫く更新を休ませて頂いております。
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心の杖

2009-06-19 21:27:00 | ファミリー


 冒頭の写真は92歳になる義父が14年間無事故無違反で通した愛車(走行距離33,000㎞)である。先月中旬に帰省した義妹が老親の身を案じて車を降りるようにやっと説得した。周りはみんな心配していた矢先なので、よくぞ我々の声を代弁してくれたと感謝し、一同胸を撫で下ろしたものだ。

 しかし、そのまま廃車にするには偲びないので我家で引き取り、ほぼ1カ月が経過した。その間、義弟が車で代行してくれていたはずだし、どうしても不都合があれば電話をくれればいつでも駆けつけるからと申し出ていた。

 今日ご機嫌伺いがてらのぞくと、意気消沈した声でかみさんに如何にも言い難そうに「あの車は使っとんか?」と尋ねる。続けて問わず語りに、ちょっと買物や病院に行くにも、手足をもがれたようで…と様々なことを話す。弟は毎日グラウンドゴルフで家を空け、日常の生活に事欠いていたようだ。それとやはり何よりの“心の杖”でもあったようだ。

 早速に取って返し、預かっていた車を返却した。独りで運転せず、弟の監視の下で最小限の使用に留めて貰いたいと念じて止まない。
 今日は思わぬことから義父の元へ二往復もする羽目になったが、肝心の義妹から託されていたハワイ土産が間に合わず仕舞だった。
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広がる“油揚げメニュー”の輪

2009-06-19 06:17:00 | グルメと料理
 小欄「2009/6/3 揚げじゅんばり」でご紹介したように、内田百けんの好物の一つは油揚の焼いたものだった。これを彼一流の独特のセンスで「揚げじゅんばり」と命名した。

 5月24日付の山陽新聞の掲載記事を巡って読者から「うちと同じだ!」と投稿があった。更に別の読者からは、「我家にはまだ油揚げのおいしい食べ方があります」との情報が同新聞社に寄せられ、その取材結果が6月19日付の山陽新聞に載った。

 改めて、その「油揚げ わが家の食べ方」をご紹介する。たかが油揚げを食材にした簡単メニューであるが、斯様に各家庭で広く愛用され、様々に工夫を凝らして料理されている。油揚げはどう料理しても美味しい、欠かせぬ食材である。
 


2009年(平成21年)6月19日付山陽新聞より


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OB再会の場

2009-06-17 12:34:00 | 健康と医学
 梅雨とは名ばかりで、今日も気温が上がり、蒸し暑い一日となりそうだ。

 睡眠時無呼吸症候群(SAS)の経過観察に岡山S総合病院を訪ねた。今回は朝一を予約していたので珍しくスムーズに、40分ほどの待ち時間で診察を終えた。
 C-PAPの1日平均装着時間は約6時間で、着けてる間は殆ど無呼吸はなく、喉の不完全な閉塞を合わせても5回以内で正常の範囲内。
 無呼吸と不整脈との因果関係を尋ねたら、無呼吸が頻繁に起きてる人の場合には、不整脈もみられることがあるが、無呼吸を治療すれば、不整脈も改善されるとのことで一安心した。

 順番を待つ間、待合室の一角のパーティションで仕切られたボックスの中で激しく咳き込む患者が一人。何度も「えれー(しんどい)」と口走りながら、しきりに痰を吐いたりはなをかむ様子が伺える。他にもすぐ傍らには酷く咳き込む患者がもう二人いるが、いずれもノーマスクである。不覚にもマスクを持参しなかったことが悔やまれる。「マスクくらいしろよ!」と言い出す勇気もなく、せめて病院関係者から一言の注意とマスク指導をして欲しかった。
 病気を治しに来院して病気をうつされたでは洒落にもならないが、院内感染はよくある話。小児・老人など抵抗力が弱い者や、小生のように持病のある者には合併症を発症する恐れがあるから要注意だ。

 やっとの思いで内科の待合所を出た所で、3歳年上のK子OBにばったり。外見の白い開襟シャツの颯爽とした姿は5年前そのままで少しも衰えを感じさせないが、「肺癌手術と前後して心臓動脈瘤開胸手術を4時間がかりでやり、今は首に入れとるステントを丈夫なやつと入れ替えてと要望しとるんじゃ」と満身創痍の様子を屈託無い笑顔で話される。
 小生には開口一番「太ったなぁ!」と言われたが、「これ以上太らんよう、気を付けられぇよ(お気を付けなさい)!」と横腹を軽く抓る仕草をされて別れた。

 先月は同病院で人間ドックを受けるM岡社長に、先々月はO原さんにと毎回OBの誰かに会う。世間は広いようで狭いものである。さて次回は誰と邂逅するのか楽しみではあるが、出来得れば病院の外来ではなく、別の機会にゆっくりとお会いしたいものだ。
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父の日を前に

2009-06-15 08:16:00 | ファミリー
○父の日の 忘れられをり 波戻る(田川飛旅子)
○父の日を ベンチに眠る 漢かな(中村苑子)
○父の日と 暦にありて さびしき日(駒木秋影子)
○山深く ゐて父の日の暮れにけり(柴崎七重)

 いずれも「父の日」を詠んだ句だが、事程左様に「母の日」に比べて認知度が低く、ややもすれば忘れられがちのようだ。世のお父さん方の背中と同じで、哀愁すら覚える。

 それもそのはずウィキペディアによると、
 『1909年にアメリカ・ワシントン州のJ.B.ドット夫人が、彼女を男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことがきっかけ』と記されている。しかも、そのアメリカで国民の祝日に制定されたのは1972年(昭和47年)とかなり後になる。
 母の日の花が「カーネーション」なのに対して、父の日は「バラ」というのも些か華やか過ぎて気恥ずかしい。

 幸いなことに我が家に限っていえば「忘れられをり」ではない。昨日長男家族から「父の日の21日はバレーの発表会があるから」と前倒しで焼肉屋へ誘って祝ってくれた。
 また、本番の21日は次男の所の孫娘の誕生日イブに呼ばれている。三男の所からは、いつも気の利いたプレゼントが届き、例年のことながらサプライズ父の日が続いている。

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