goo blog サービス終了のお知らせ 

奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

陽殖園(滝上町)の園主・高橋武市さん、ラジオ深夜便に

2017-11-07 08:42:28 | 滝上町
北海道でよりも道外の愛好家に親しまれている庭園があります。

それが「陽殖園」(滝上町)で、園主の高橋武市さんが50年以上かけてひとりで、
こつこつと整備し続けている庭園(という言い方がいいのかどうか)です。

真鍋庭園、紫竹ガーデン、上野ファームなど、道内には有名な庭園があります。
ここはそれらを見尽した愛好家が最後に行き着く庭園といわれています。

毎年、ここだけを見学するために全国からツアーが組まれていますが、
札幌からツアーが組まれたという話は聞いたことがない。

そういうところです。

園主・高橋武市さんのインタビューがNHKのラジオ深夜便で流されました。
7月6日でしたが、私はそれを聴いていた。

その評判が良かったらしい、再放送されます。
    → http://www4.nhk.or.jp/shinyabin/x/2017-11-08/07/73940/3740884/

深夜というか早朝というか、そんな時間です。

普通は聴くことができない時間でのオンエアーですが、
NHKの“らじる☆らじる”で聴くことができます。

ご興味のあるガーデナーは聴いてみてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同窓会、有り難うございました

2017-10-16 04:55:17 | 滝上町
14日はホテルノースシティで同窓会を行いました。

当日の参加は30名、遠くは東京からも駆け付けてくれ、
大変盛り上がった同窓会となりました。

2次会もそのまま同じ会場で行い通しで4時間、旧交を温めました。

今回の同窓会では会場を紹介してくれたA女史、
私たちの同窓会を担当してくれたホテルのY氏の両名には大変お世話になりました。

特にY氏にはこちらからかなり無理なお願いをしたにもかかわらず、
それにお応えいただき大変有り難うございました。

お陰で宴もそうですが宿泊もスムーズに事を運ぶことができました。
参加者を代表してここにお礼を申し上げます。

また何かあればお願いするとしよう。

そして私から無理やり幹事を押し付けられたH女史、
あ~たのお陰で予想通り盛り上がったぞ。

我ながらいい人選だった(笑)

最後に参加してくれた皆さん、有り難うございました。
次はまた滝上で会いましょう。

では、そのときまで!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『滝上町ハッカをめぐる旅』、催行決定!

2017-09-21 05:37:54 | 滝上町



いつも書いていますが日本で唯一、産業ベースでハッカを生産している滝上町。
1年に2日だけ、ハッカの蒸留を行っています。

その蒸留を見学するツアーが行われると、先日書きました。
    → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/83c83de056b5f337f869d87f976737dd

正直、無謀なツアーだと思ったよ。
催行できるのかいな?

主催の道新観光のHPを覗いてみました。
そうするとそこには“出発決定”とあるではないか!

最低催行人員は20名となっていたので、そこに達したのだな。

ご参加の皆さま、日本唯一の大規模なハッカの蒸留をお楽しみください。
きっと、いい思い出になるはずです。

それにしても、ここに来るまでいろいろあったなぁ。
何とか実を結んでよかった。

あとは天気だけが心配です。
いい天気になりますように!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

S53年度滝上中学校卒業の同窓会を行います【随時更新します】

2017-08-20 08:29:06 | 滝上町
案内状の発送以来更新してきたこのブログですが、これが最後となります。
今まで有り難うございました。



10.16更新

14日はホテルノースシティで同窓会を行いました。

当日の参加は30名、遠くは東京からも駆け付けてくれ、
大変盛り上がった同窓会となりました。

2次会もそのまま同じ会場で行い通しで4時間、旧交を温めました。

今回の同窓会では会場を紹介してくれたA女史、
私たちの同窓会を担当してくれたホテルのY氏の両名には大変お世話になりました。

特にY氏にはこちらからかなり無理なお願いをしたにもかかわらず、
それにお応えいただき大変有り難うございました。

お陰で宴もそうですが宿泊もスムーズに事を運ぶことができました。
参加者を代表してここにお礼を申し上げます。

また何かあればお願いするとしよう。

そして私から無理やり幹事を押し付けられたH女史、
あ~たのお陰で予想通り盛り上がったぞ。

我ながらいい人選だった(笑)

最後に参加してくれた皆さん、有り難うございました。
次はまた滝上で会いましょう。

では、そのときまで!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滝上町「和ハッカと香りの里ハーブフェア」

2017-08-19 05:35:47 | 滝上町



日本で天然ハッカを生産しているのは滝上町と北見市だけ、
そしてそのほとんどが滝上町での生産となっています。

その滝上のハッカを紹介するイベントが札幌で開催されます。


※滝上町「和ハッカと香りの里ハーブフェア」

日時:8月21日(月)10:00~18:00
会場:道新プラザDo-Box(中央区大通西3、北海道新聞社1F道新プラザ内)

イベント

☆生産者と専門家による和ハッカトーク
 ①11:00~12:00 ②14:00~15:00(各回先着50名)
 ・とんたん農園 佐々木渉 ・風工房 田中陽子 ・コーディネーター 奥かおる
☆ハーブハンドケア体験、ハーブ石けん作り(各500円)
☆その他、ミントティーやハーブティーなど試飲・試食、映像・展示など


和ハッカの蒸留を見学するツアーの発表もあるみたいです。

ハッカの蒸留を産業ベースで行っているのは滝上町だけ、
それも1年に2日だけという貴重なもので、実際に見ると大変迫力のあるものです。

それをいよいよツアー化するってんですから、これは必見だ。

それはともかく、生産農家さんのお話を直接聞く機会は滅多にありません。
天然ハッカやハーブ、滝上町にご興味のある方はぜひご参加ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滝上町の記念碑

2017-06-08 05:39:17 | 滝上町
ここ4日間、滝上町に残る“記念碑”のことを書いてきました。
それ以前にもここでは時折、滝上町の記念碑でブログをアップしています。

私のブログで取り上げた町内の記念碑は、数えてみると18か所でした。

そうなのだな、もう18か所も町内の記念碑を紹介しているのか。
でもね、まだ紹介していない、私が確認できた記念碑が8か所あります。

その他に存在は把握しているものの現認できない記念碑が数か所、
また存在が把握できていない記念碑もあると思われます。

知らない間に記念碑が増えていて、確認作業が追い付かない。

滝上町、町中のあちこちにいろいろな記念碑があるのです。
市街地だけではありません、今は無人の原野になっている山中にも建っている。

町全体ではどれほどの記念碑が建てられているのであろうか。

さて、完全制覇はできるかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滝上町商業発祥の地碑

2017-06-07 05:49:03 | 滝上町
  


開拓当初は町には商店がなく、紋別まで買い出しに行っていました。
泊りがけでかつ共同購入のようなもので、大変だったのではないか。

1905年、52線に入植した西森亦吾は農業の傍ら日用品や雑貨を販売。
滝上に最初に入植した西森氏、いろいろなところで名前が出てきますなぁ。

1909年、斎藤伊太郎が元町で食品や雑貨を販売、これが商業の始めとされています。
場所はNTTのところ、プラザの湯の入り口です。

市街地設定が成されていなかった1909年といえばこの地は奥地へ向かうただの通り道だったのではないか。

そこに商店ができたということは開拓者は何かを買うときはここに来るということ。
その吸引力は絶大なものがあったに違いありません。

これをきっかけとして翌年から元町に商店が集積してきました。

1911年に市街地区画設定を出願、1913年に市街地区画設定されました。
それまでに駐在所や郵便局、病院などができ市街地が形成されていきます。

その市街地が形成されるきっかけになったのが商店の立地だったような気がします。

1914年末の市街地の戸数と人口は、43戸163人でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滝上郵便局跡碑

2017-06-06 05:17:43 | 滝上町



開拓当初は通信機関などはもちろんなかった滝上町。

渚滑郵便局の区域に属していた郵便物の集配は上渚滑原野52線、
西森亦吾宅までに限られていたそうです。
    → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/cfb68956d2445061928431ebe2e69918

それより奥の住民は所要のついでに同所まで取りに行ったり取りまとめて受け取っていたという。

1913年、滝上市街地区画設定開放により同年12月16日、元町に滝上郵便局(仮庁舎)が設置され、
郵便、為替、貯金などの業務を開始し本町通信機関の始まりとなりました。

翌年5月、旭町に局舎を新築移転、そこに碑があります。
場所はレストランありす(元・天手古舞)あたりにあります。

郵便局ができたとはいえ開拓当時のこと、今とはまったく事情が違います。

舗装道があるわけではなく町内の幹線道だとしても砂利道以下だったと思われる。
郵便も各戸別に配達するわけではなく“郵便取次所”まで取りに行ったとか。

開拓農家の出身地の宮城から送ってくる「河北新報」を20日遅れで読んだ、
そういう記述が1976年発行の「新撰 滝上町史」にはあります。

1928年に電信電話線架設、1931年は電話交換業務取扱開始、
1973年に滝上電報電話局の開局で電通業務が分離される。

1973年まで郵便局が電話業務を兼務していたのだ。

開拓時代、郵便局の存在は住民にとって貴重なものだった。
当時の郵便局は今の郵便局とは違う存在感があったと思われるその沿革ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村医 菅野留吉診療所跡碑

2017-06-05 05:25:46 | 滝上町



滝上町に医療機関が創設されたのは1911年(明治44年)、場所は上渚滑原野55線です。
渚滑村医として菅野留吉が病院を開業しました。

場所は55線のバス停があるところ、そこに碑が建っています。

同年には同じ55線に上渚滑官設駅逓所が開設されサクルー官設駅逓所も設けられました。
    → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/dbf6f71061f5ef86840a6e0253c255d3

滝上町の開拓は当時、2区、奥札久留、オシラネップまで進んでいました。
そのような状況で、開拓最前線からは遠いとはいえ55線に病院ができたのは心強かったでしょう。

1913年に滝上市街地区画設定開放と共に今の旭町に移転し、
引き続き医療にあたりました。

わずか2年で55線から滝上市街地に移転した、その開拓のスピードに驚きます。
その距離は6㎞ほどとはいえ昔の交通事情を考えると凄いことだったのでないか。

ところで滝上村が渚滑村から独立したのは1918年。
ここに記したことは滝上町が“渚滑村”だった頃のお話です。

滝上市街地区画設定から5年で村が独立、それも凄いスピードだな。

開拓時代はダイナミックだったのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森林鉄道起点跡碑

2017-06-04 09:26:34 | 滝上町



これはどこの森林鉄道かというと、滝上町にあった濁川森林鉄道です。
場所は濁川市街地、南町バス停から少し紋別寄りの道道137号線沿い。

濁川森林鉄道は1936年、濁川ー本流15線間の本流線が開業、
その後オシラネップ線も開業し路線は奥に伸びていきました。

最長時の距離数は町観光協会によると本流線が36㎞、オシラネップ線が28㎞、
これは1956年ですが2年前に襲来した洞爺丸台風の風倒木処理のため。

廃止は本流線が1955年、オシラネップ線が1957年となっています。

本流線は国道273号線の滝上橋の川下や15線、滝西付近に橋脚が残っています。
また2区の軌道跡は町道となっています。

その他オシラネップ線も含め各所に鉄道跡が残っています。

林業が盛んだったころの滝上町の歴史のひとつがここにあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする