世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

改憲論議は「憲法の定義」が大前提! 

2005年11月29日 | Weblog
そもそも”憲法とは?!”・・・の定義と位置づけから始めないとボタンの掛け違いのまま、あらぬ方向に暴走しヒョンな誤認した結論に到達しかねない。国が政府が国家が国民を縛り拘束するのが最高法規としての「憲法」ではない。国・国家・政府が暴走し国民を縛り付ける規則ではない、という事である。国の暴走を食い止め国家に対して命令し拘束しているのが「憲法」である。あくまで国家の恣意を縛るル-ルが”憲法”なのである。国民の信任を受け選挙によって選出された選良が国会議員であり、その国会議員が国会で決めたルールが所謂「法律」である。それは国民を縛る。国民に対して命令し拘束しているのが「法律」である。そこの定義を大前提として護憲・改憲論議をしないと可笑しな結論が導き出される。”論理的文章”として「哲学的定義」の”字句の選定・配列”(例えば<責任>、<責務>等を吟味して作文しないと日本を代表する「根幹の文章」として世界に提示できない。この国のアイデンティティーとしての容(かたち)を「理念」として歴史性・伝統文化・民族性を網羅・内包した事項(前文などに明記)を内実として構成作文する事である。その幹の部分、”骨格・根幹”が「憲法」である。その為に法曹界を中心に哲学者、民族学者、国語学者等、名実共に各界を代表する構成員で当たるべきである。政党や政治家の役割・スタンスは、「この国の骨格づくり」つまり、”この国のアイデンティティーとしての容(かたち)”を「理念化」する作業に当たる役割が政治家である。そして上記の面々を構成員として個々の作業化をし、成文化していくことになる。実施・具現化の段階は個々の「法律」で規制していけばいい。最近のテレビの論調(識者・評論家等の言辞を拝聴するにつけその感を強くしている)を視聴するにつけ益々その感を強くしているし、一国民としての感想でもある。・・・