燻るエピア色の匂いが漂い遠き日の原風景が浮かんでくる。・・・たしかあ
の時期(とき)は運動会の日の夕暮れだった。数羽のカラスが眠りに就く帰路、
夕日に映えた茜色の空を悠然と飛翔する光景だった。“からす なぜ なくの か
らすは やまに かわいい 七つの 子が あるからよ・・・”眩しそうに見上げた幼
少の頃を思い出す。何の駆け引きもなく純な幼子の心であり、真っ当に物事を
感じる事が出来る遠き日の追億である。四季折々の風物は新鮮で心の襞(ひ
だ)に強く刻まれる。春になれば新緑の柔らかい葉が滴り落ち頭(こうべ)を垂
れる。若夏を過ぎ常夏が来ると濃緑の葉は山並を覆い尽くす。その斜面のスカ
イラインがくっきりと浮かび遠近を際立たせる。何処にでもある日本の自然の
原風景だった。眼を転じると強烈な光と風のファンタジーが亜熱帯沖縄を他と
鮮烈に区別しその圧倒的違いを生み出す。海辺の浴場では ごった返す人の
群れ! エメラルドグリーンが果てしなくワイドに広がる。視界を遠方にやると
濃紺の海原がこれ又 水平線まで波の起伏を辿りながら延々と続く。当たり前
の風物詩は何処彼処(どこかしこ)でも見かけられた。木枯らし吹き荒ぶ本土
の厳冬の頃は、ここ常夏の島、亜熱帯沖縄では寧ろ暖かく感じる。長大な日本
列島の北と南の格差がそうさせるのだ。あれこれと想像逞しく想いに耽けって
いると何時しか時間が経つのも忘れた。・・・そうだったのか・・・と我に還ると、
今日も予想通り定番通りに事が運んだ。・・・