世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

ブレイク2  琉歌名作紀行「じっそう節」の由来!

2010年06月12日 | Weblog

かつて琉球王国時代、地方の有力者は王都「首里」に集められ各自屋敷

を与えられて永住した。当時は、のどかな田園風景が至る所に散在していた。

首里のさむれー(武士)は各自、統治する地方が決まっており、しばしば地方参

りをしていた。見目麗しい花も恥じらう乙女達が、せっせと綿花摘みに勤しんで

いた。鼻歌交りに歌う硫歌は平和そのものの田園風物詩だった。首里の武士

は統治領の地方で恋に落ち入る事も稀ではなかった。身分制度の厳しい当時

は位の高い高貴な武士と百姓の娘では相思相愛になっても実らないのが現実

だった。イギリス国王 エドワード8世の「世紀の恋」に匹敵する琉球武士と田舎

娘のそれにも負けず劣らずの悲恋物語が至る所で起こった。琉歌や琉球史

劇、芝居にと演じられてきた。琉球・沖縄中部の中城伊舎堂(名)の「じっ

そう節」は当時の田舎風景を素直に謳い上げた恋の明朗歌で、ほのぼのとし

た平和な時代を歌いあげている。特に中城伊舎堂には色白の美人が多く

美人の産地としても誉れ高い村だった。隣村の男性や遠路遥々、踏破して来

た未婚の男性が参集した。ここ中城伊舎堂まで遠征して見染めた乙女に恋を

囁くのが当時の男性の慣習とまでなった。その恋心を歌い上げたのが『じっそ

う節』である。・・・

※付記:悲恋物語として「中城情話」(琉球歌劇)がある。幼少の頃から許嫁の

仲だった百姓の男が、不運にも悲恋に泣く物語である。ある日、支配階級の首

里の武士が、当の田舎に纏め役として赴任する。水も滴るイケメン武士であ

る。許嫁の女は一目惚れする。しかし許嫁の男の懇願にも関わらず無視しイケ

メン武士に心を惹かれる。二人の仲が破綻したが後に身分の相違に泣く女の

悲しい物語にもなっている。