天神の放生祭も過ぎました。
いよいよこれからは秋祭・・・そして七五三のシーズンが近付いて来ます。
こんにちは。禰宜です。
さて本日はお久しぶりの「遠くに行きたい」。
今回の行き先は筑後地方。
旧県社・風浪宮(大川市)
風浪宮は筑後地方の名社で、海神・阿曇磯良丸(あずみのいそらまる)が神功皇后に従ってこの地に来た際に住吉神を祀ったのが始まりとされています。
こちらがその磯良の木像。
ふむ。「その身には海産物が付着していた」との伝承どおり容貌魁偉な姿です。
拝殿。朱塗りの社殿が綺麗です。
本殿は重要文化財(室町後期)で、建立したのは筑後の戦国大名・蒲池鑑盛(かまちあきもり)です。
この蒲池鑑盛という人物は、星の数ほどいる戦国武将の中でも指折りに男前な武将です。
・・・別にイケメンであったとかじゃなくて、男の生き様の事ですよ?
鑑盛は筑後随一の勢力を誇る下蒲池家に生まれ、若年より武勇の誉れ高く、また詩歌管弦にも通じた花も実もある武将でした。
そして例え敵であっても困っている者は決して身捨てず、「義心、鉄(くろがね)の如し」と称えられるほど情けを知る人物でした。
よく知られるエピソードに次の様なものがあります。
肥前の龍造寺家兼という武将が肥前国内の内紛に敗れて筑後へ亡命してきました。
当時、家兼は90歳を超えた老人。厄介事を抱え込むことに反対する家臣も多かったのですが、鑑盛は己を頼ってきた人物を身捨てる事はせず、領内に住まわせてやがて肥前への復帰を援助しました。
時代は下って、家兼の曾孫にあたる龍造寺隆信も肥前を追われて筑後へ身を寄せてきました。この時も家臣は反対しましたが、鑑盛は隆信を家兼と同じように手厚く保護し、肥前復帰の援助を行います。これによって隆信は肥前の主に返り咲けたのでした。
鉄の義将・蒲池鑑盛。
その最期は病身をおして耳川の合戦に大友方として参戦。味方が総崩れとなる中、薩摩勢に突入し、ついに戦死するという壮絶なものでした。
突然お邪魔したにも関わらず御丁寧に応対していただいたA禰宜さん。
ありがとうございました!!
さてさて。
風浪宮を後にして、次に向かったのは・・・
旧県社・水田天満宮(筑後市)
水田天神は太宰府天満宮の荘園・水田荘の鎮守社で、幕末の志士・清河八郎が「太宰府に続きたる九州第二天満宮」と称えた神社です。
九州第二の天満宮の名に恥じぬ豪壮な社殿です。
楼門も御覧の通り立派です。
ここ水田天満宮の中にはもう一つ有名な神社があります。
それがこちらの恋木神社。
「恋命(こいのみこと)」という神様をお祀りしている神社です。
恋・・・ということで全国から縁結びを求める参拝者が来られるそうですよ。
ハートの参道が縁結びに御利益がありそうです。
おみくじもハート。
平日の午後なのに女性のお参りの方がチラホラ見えておりました。
縁結びでしょうか?やっぱり女性は気になるんでしょうね~(笑)
勉学と恋愛が気になる方はぜひ水田の里へ!
禰宜