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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月24日(日) 晴れ

2024-11-25 11:59:33 | Weblog

8時15分、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

朝食後、論文の再校ゲラを近所のポストに出しに行く。「12月23日」が締め切りだが、12月は忙しいから、サッサとすませてしまう。

「まいばすけっと」でアーモンドチョコレートを買って帰る。

昨日のブログを書く。

「ベイクマン」に電話をして食パンの取り置きをお願いする。

「本の庭」に電話をして、スープランチとタルトタタンの取り置きをお願いする(タルトタタンは最後の一個だったそうだ)。

1時半を過ぎた頃、昼食を食べに出る。今日も晴天。昨日は風が冷たかったが、今日は風はない。

大森に行き、ジャーマン通りを歩く。

教会にはクリスマスの飾りつけ。

「ベイクマン」に着く。今日は食パンを一斤だけ(まだ前回の分が残っているので)。

「本の庭」に顔を出す。

けっこうお客さんが入っている。座れるかな。

私のための席がリザーブされていた。電話ではスープランチとタルトタタンの取り置きをお願いして、席の予約はしなかったのだが(空いているだろうと楽観して)、お店の方が気を聞かせて席も確保しておいてくださったのだ。ありがとうございます。

クリスマスの飾りつけがされている。

注文を済ませて、カウンターに置かれていた本(新刊のようだ)を手に取る。

 小林康夫『君自身のアートへ』(水声社)

 私にとってアーティストであるということは、究極的には、たったひとりでこの世界の中にー「いる」ではなく―「ある」ということです。(中略)この孤独な「ある」から、その都度ごとに、それぞれ異なった一個の世界を汲みあげる―これこそが、わたしにとっては、アーティストであるということの本質です。
 だから、わたしにとっては、それは職業名ではない。それによって生活が成り立つなどということでは必ずしもない。ましてや、それで社会的な承認が得られるなどという保証はない。にもかかわらず、それを引き受ける。孤独を引き受ける。そしてそこからひとつの世界を汲みあげ、花開かせ、つまりは表現する・・・誰かから依頼されたわけでもないこのミッションに応答する―そこにしかアーティストである意味はない。(110~111頁)

 いま演習「現代人と孤独」では、任意の具体的な「作品」を取り上げてしてそこに描かれている孤独について考察するというのを課題の一つにしているが、その「作品」の作り手(アーティスト)の孤独ということについても思いを巡らす必要があることをこの文章は示唆している。

野菜とお豆のミネストローネ、キノコと牛肉のハヤシソース&マッシュポテトのパニーニ。だんだんパニーニの中身がボリューミーになっている。ランチとして申し分ない。

タルトタタンとフレンチブレンド。今季はこれで最後である。

店には1時間ほど滞在した。滞在中にある「悲劇」が起こった。

背中の方に荷物を置いて座っていて、食パンを押しつぶしてしまったのだ。「あまりにもお馬鹿さん」「あまにも悲しい」・・・そういう言葉がつい脳裏をよぎったが、これが新谷のり子という歌手の『フランシーヌの場合』(1969)という歌の一節であることがすぐにわかる人は60代も半ば以上の人だろう。

帰宅して、蘇生を試みる。「戻ってこい!」「帰ってこい!」・・・医療もののドラマでよく見かけるシーンである。しかし平行四辺形を長方形に戻すのが精一杯で、失われた厚み(ふっくら感)は戻らなかった。

「あまりにも悲しい」

博士学位申請論文の受理に必要な書類一式を準備する。

まもなく日没である。

夕食はシシャモのアヒージョ、茄子とベーコンの煮物、じゃこと胡桃の佃煮、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『ライオンの隠れ家』第7話(録画)を観る。

食事を終えて、リビングのソファーへ移動。チャイももれなく付いてくる。

『村上RADIO』(月に一度、最終日曜日の夜に放送)を聞きながら、事務的な仕事を片づける。今日は「村上の世間話5」。要するに雑談であるが、興味深い話を聞けた。彼のことを早くから(群像新人賞の頃から)高く買っていた丸谷才一が亡くなって、外国から戻った彼が丸谷の家を弔問に訪れたとき、丸谷の息子さんが「実は父には世に出せない遺稿があるのです」という話をした。それは新聞社から依頼されて書いた「村上春樹ノーベル文学賞受賞」へのコメント(予定稿)だった。丸谷が87歳で亡くなったのは2012年10月13日。その2日前の11日、その年のノーベル文学賞は中国の作家・莫言に決まった。

以下に、村上春樹が群像新人賞を受賞したとき(1979年)の丸谷の選評の一部を紹介する。

 村上春樹さんの『風の歌を聴け』は現代アメリカ小説の強い影響の下に出来上がったものです。カート・ヴォネガットとか、ブローティガンとか、そのへんの作風を非常に熱心に学んでゐる。その勉強ぶりは大変なもので、よほどの才能の持主でなければこれだけ学び取ることはできません。昔ふうのリアリズム小説から抜け出そうとして抜け出せないのは、今の日本の小説の一般的な傾向ですが、たとへ外国のお手本があるとはいへ、これだけ自在にそして巧妙にリアリズムから離れたのは、注目すべき成果と言っていいでしょう。・・・(中略)・・・とにかくなかなかの才筆で、殊に小説の流れがちつとも淀んでいないところがずばらしい。二十九歳の青年がこれだけのものを書くとすれば、今の日本の文学趣味は大きく変化しかけていると思われます。この新人の登場は一つの事件ですが、しかしそれが強い印象を与へるのは、彼の背後にある(と推定される)文学趣味の変革のせいでせう。(『丸谷才一全集』第12巻、362-3頁)

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


11月23日(土) 晴れ、風が冷たい

2024-11-24 13:01:23 | Weblog

7時45分、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食(基本形である)。

昨日のブログを書いて、12時に家を出る。東京駅で降りて、地下鉄に乗り換えるのはいつものことだが、

今日はいつもの東西線ではなく、千代田線に乗り換える。いつもより長い距離を歩く。

大手町から二つ目の湯島で降りる。

湯島は上野から散歩しながら来たことはあるが、直接、地下鉄で来たのは初めて。

改札で卒業生のサワチさん(論系ゼミ7期生)と待ち合わせ、街歩き開始。今回のプランは彼女が立てた。目指した中華屋さんは行列が出来ていて、それではと目指したカフェが本日はお休みだった。たまたま前を通った台湾料理店「タイワンビー」に入ることにした。「ビー」は「Bee」。「台湾蜂」という意味だろうか。

サワチさんと前回会ったのは今年の6月末だったから、5カ月ぶりである。この時期に会う卒業生には来年のカレンダーをプレゼントしている。

私はワンタンメンと半チャーハンのセット(990円)。なかなか美味しい。しかも安い。

リサーチして入った店ではないが、「あたり」だね。井之頭吾郎の気分だ。

サワチさんは台湾風焼きそば。

けっこうなボリュームにビックリ(の演技)。彼女は学生時代から(卒業後も)たくさんの舞台を踏んでいる役者なのである。

会計のときに飴を勧められる。この人形は何ですかと尋ねたら、いろいろな神様だそうである。七福神みたいなものだろうか。みんな笑顔である。

人当たりのいい店員さんにわれわれの写真を撮っていただく。

湯島天神へ行く。男坂を登る。

学問の神様(菅原道真)を祭った神社である。受験シーズンになるとニュースのロケ地になる。私は来たのは初めてだが、定年退職のときではなく、就職したときに来た方がご利益があったかもしれない。サワチさんは自分の大学受験のときを含めて何度か来たことがあるそうだ。

合格祈願の絵馬。具体的な大学名が書いてある。一校(第一志望)に絞って書いているものもあるし、五、六校ズラズラと書いているものまである。

結婚式の前撮りだろうか、新郎新婦とご両家のみんさんが境内で写真を撮っていた。

猿回しが出ていた。

池上本門寺でも正月にやってくるが、演目(?)はだいたい同じで、一門のお家芸なのだろう。

途中から見たが、洗練された芸に魅了されて、最後の「八艘飛び」まで見てしまった。

投げ銭をしてその場を離れる。

旧岩崎邸庭園に行ってみる。私は再訪。2007年3月末に上野で花見をした流れで来たことがある。

彼女は初めてかな?

玄関前のイチョウの黄葉が見事である。

テラス前では狂言が演じられていた。

本館の脇にはビリヤード場が設けられいて、本館から地下道で来られるようになったいた。ビリヤード小屋を作ることも凄いが、玄関を出てすぐの場所なのにわざわざ地下道を作るというのも凄い。もしかして何かあったときの避難路という意味もあったのかもしれない。

サワチさんのスマホでツーショット。

不忍池に行ってみる。

一面の枯れた蓮。

池の畔でポートレイト。

以前来たときは、池の畔に「桜木亭」という売店と食堂があった。昭和の風情が残る場所だったが、ネットで調べたら、10年ほど前に閉店してしまっていた。

カフェを探して上野駅の方へ行ったが、みんなスマホで「上野 カフェ」を検索しているのだろう、どこも行列が出来ていた。

カフェ難民になってしまった。

半分、いや、八割方あきらめて、上野駅前のビルに入ったら、やはりカフェは行列が出来ていたが、テイクアウト中心のドリンク(スムージー)店の小さなテーブルが空いていた。贅沢は言っていられない。ここにしましょう。

私が席を確保し、彼女が注文する。

私は「つぶつぶいちごバナナミルク、彼女はつぶつぶマンゴーミルク。「ゴクゴク」というのが店の名前だ。

週末の繁華街で腰を下ろす場所を見つけるというのは大変であることを痛感した。20分ほど滞在。

この後、上野広小路で友だちと待ち合わせのサワチさんとはここでお別れ。次回は暖かな風の吹く頃にね。

上野駅から電車に乗る。

5時半頃、帰宅。

夕食までレビューシートのチェック。

夕食は鶏の手羽中のトマトソース煮、サラダ、麩の味噌汁、ごはん。

食事をしながら『嘘解きレトリック』第5話(録画)を観る。前回と今回で「人形屋敷」の事件。なんとなく横溝正史のテイストが入っていた。

今日撮った写真の整理。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


11月22日(金) 晴れ

2024-11-23 11:15:32 | Weblog

8時半、起床。

数日ぶりの朝から晴天。気温もアップしている。ホッとする。

バタートースト、ほうれん草のクリームスープパスタ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

元横綱の北の富士が亡くなった。82歳。男ぶりのいい人だった。ご冥福をお祈りします。

昨日のブログを書いていると、玄関のチャイムが鳴って、近所の「シミズデンキ」のご主人が来年のカレンダーを持ってきてくれた。頼りになる「街の電気屋さん」である。一般に商店というものは街と住民をつなぐインターフェースだが、とくに電気店は大切だ。電気製品が故障するととたんに生活に支障が出る。そんなときに「街の電気屋さん」はすぐに来てくれる。商品の値段だけを考えれば量販店で購入する方が安いが、アフターサービスやあれこれの便宜を考えると、「街の電気屋さん」から購入するのが一番だと思う。街は住宅と商店から成り立っているべきものである。住宅しかない街には住みたくない。

授業の準備をして、12時頃、家を出る。この駅に続く道はかつて商店街であった。地上げをされて専門学校のキャンパスの中を歩く道のようになってしまった。日当たりが悪く、いつもビル風が吹いている。

金曜日は演習とゼミの日。

演習の始まる前にコンビニおにぎり(鮭と梅)の昼食。

3限は演習「現代人と孤独」。グループ(3人)の発表で、映画『ライフ・オブ・パイ:トラと漂流した227日』を題材にした孤独・信仰・物語についての考察。

映画のあらすじは月曜日に先行して配布された彼らのレポートの中で紹介されいるが、それだけではどういう作品か十分にはわからなかったので、私は事前に映画を見ておいた(アマゾンプライムで)。それをやっておくかどうかで発表についての理解および発表後のディスカッションのレベルは全然違ったものになる。同じ作品を観ている(読んでいる、聴いている)ということが対等の立場でディスカッションができるための条件である。私は教員なので当たり前のこととしてそういうことをするが、はたして、この映画を見てから今日の演習に臨んだ学生は何人いただろうか。自分(たち)の発表のとき頑張るのは当然である。問題は、人の発表をどう聴くかである。聴くための準備をして聴くか、ただボーっと聴くかで、演習から得るものは天と地ほど違う。

同じ教室で、続けてゼミ。今日の報告は3件。

 健やかな推し活

 「坊主刈り」を選択し高校野球に打ち込む選手たちの心理

 20代の年齢意識

ゼミの後、研究室に文献を探しに来た学生が、ゼミ論のテーマとは関係ないが面白そうな本を見つけて持って行った(あげます)。

卒業生のカオルさん(論系ゼミ7期生)が仕事終わりに研究室にやってきた(彼女の勤め先は新宿にある)。前回、彼女と西新井でカフェ巡りをしたのは今年の5月だったから、半年ぶりである。

せっかく研究室に来られたのだが、陶器のコレクションの中からお好きなものを一点差し上げましょう。熟考の末(ほんとにけっこう時間をかけて考えた)、彼女が選んだのは清水直子さん作のお皿だった。

獏の絵が入っている。

「すぎうら」に電話をして、席が空ていることを確認してから、食事に出る。美味しい和食が食べたいときはここに来る。

先付け。

二人ともアルコールは飲まないが(ウーロン茶を注文)、酒の肴は好きである。

海鮮サラダ。サラダとお刺身が一緒に食べらので、毎回、必ず注文する。

銀杏の塩煎り。

焼き物メニューからは出汁巻き卵。

揚げ物メニューからは天ぷら盛り合わせ。海老(2本)、キス、ホタテ、シメジ、茄子、カボチャ、しし唐。

煮物メニューからはカレーの煮付け。

ここで私はごはんセット(ごはん、味噌汁、香の物、茶碗蒸し)を注文。カレーの煮付けをおかずに。とくに煮汁をごはんにかけて食べるのが好き。

カオルさんは稲庭うどんを〆にした。

食事を終え、お茶を飲みながら(カフェゴトーはもうラストオーダーの時間を過ぎている)、ツーショットを自撮り。店には2時間弱滞在した。彼女は2月に友人と松本旅行に行くそうだ。観光としては松本城は外せない。飲食店については、私のブログを参考にしてみてください。私の馴染みのお店に行ったら、私の教え子だと言えば、笑顔で迎えてくれるでしょう(お店ごとに定休日が違うので、そこは注意してください)。

10時前に帰宅。夕刊の一面に「大谷満票MVP」の記事。DHであることを問題にするような声があると聞いていたが、満票でしたか。よかった。

カオルさんからお土産にいただいたお菓子を食べる。

赤い包み紙はホワイトチョコでコーティングされたミルフィーユ。

緑の包み紙はビターチョコレートでコーティングされたミルフィーユ。

レビューシートのチェック。

風呂から出て、今日のブログを書く。

1時半、就寝。


11月21日(木) 小雨のち晴れ

2024-11-22 10:19:19 | Weblog

6時半、起床。私にしては飛び切り早い。9時から戸田葬祭場で親戚の告別式があるのだ。

7時半に家を出て、蒲田ー(京浜東北線)→赤羽ー(埼京線)→浮間舟渡へ行く。初めて降りる駅である。駅前から乗ったタクシーの運選手さんにそう言ったら、「この駅に初めて降りる方のほとんどが戸田葬祭場に行かれる方です」と答えた。そうでしょうね。浮間舟渡(うきまふなと)という駅名は、浮間と舟渡という昔からある地名をくっつけたものとのこと。ああ、私が昔住んでいた「原木中山」(東西線)と同じですね。

戸田葬祭場。荒川の岸辺にある。

亡くなられたのは私の妹の夫のお父様。97歳だった。最後まで歯は全部自前のもので、去年までは催事のときに出るお弁当は全部きれいに平らげておられたそうである。私もかくありたいものである。

初七日の法要も済ませて、精進落とし。私の斜め向かいにはお父様のひ孫の一人(小学3年生の男の子)が座り、たくさんおしゃべりをした。彼は栓抜きというものを使ったことがなかったので、使い方を教えてやると、コーラやオレンジジュースの瓶を自分で開けて「飲み放題だ」と言いながら飲んだ。会食を終え、私が一足先に失礼するときは、エレベータのところまで見送ってくれ、「僕たち友だちになったんだよね」と言った。「そうだな。友だちだ」と応えて、手を振って別れた。

葬祭場から駅までのタクシーは、往きのときよりも早く、料金も100円安かった(900円)。

浮間舟渡ー(埼京線)→池袋ー(山手線)→高田馬場ー(東西線)→早稲田。研究室には1時半に着いた。

オンデマンド授業の受講生にオフィスアワー(第2回)のお知らせのメールを出す。来週、28日(木)の午後2時から5時である。

2時に来客があるので、紅茶のポットとカップを洗おうとしたら、あるべき場所にない。先週の土曜日に卒業生4人(F4)が来たときに使って、研究室の外の流しで彼女たちが洗って、そこの棚に置いたままだったのである。

来客は卒業生のカホさん(論系ゼミ4年生)とお母さまと今月で満1歳になった二人目のお子さんミノリ(実莉)ちゃんだ。親・子・孫の三代の訪問は研究室史上初である。今日は「コットンクラブ」でランチをしてから、村上春樹ライブラリーで山本容子版画展を見て、キャンパスを散歩し、研究室に来られたのである。

最初、研究室のドアを開けたとき、ミノリちゃんは私の顔を見て、一瞬、泣きそうになったが(まずい!)、私が友好的な人物であることがわかると、すぐに笑顔になった。

お母さまは「初めまして、カホの母でございます」と挨拶されたが、それは勘違いで、私はカホさんの結婚式に出席しているので、お会いするのは二度目なのである。図書館の司書をされているとのこと、「たくさんの本に囲まれた部屋を見るとワクワクします」とおっしゃった。

「お二人、お似合いですよ」と言っているみたいである。おしゃまさん、もうあんよができるんだね。

私の指を握って研究室の前の廊下を歩き始める

彼女の下僕のようについて歩く。教員や学生がそばを通る。きっと「大学に孫を連れて来たのね」と思っていることだろう。

ミノリちゃんの指さす先にあるのは・・・

エレベーターである。エレベーターのボタンに触りたいようなので、体を持ち上げてやったが、ボタンを押すだけの指の力はまだない。

そのまま捕獲、回収しました(笑)。

3人は一時間ほど滞在して帰って行かれた。どうぞよいお年を。

しばらくしてカホさんからお礼のメッセージと虹の写真が送られてきた。場所は文キャンの入口のようである。ほぅ、見事な虹ですね。

3時半にOさんが研究室に顔を出す。明日、事務所に提出する予定の博士申請論文の書式のチェックを二人でやる。

4時半ごろ、大学を出る。

電車の中でちょっと居眠り。蒲田には5時半に着いた。

「一二三堂」で『NHK俳句』12月号を買う。昨日、出たのだが、床屋の帰りに買うのを忘れ、今日になった。一冊しか残っていなかった(三冊しか入らないのだ)。

またひとり海を見に出る年忘れ 黛執

また一つ風の中より除夜の鐘 岸本尚毅

6時からゼミ論個別指導(オンライン)を一件。1時間ほど。

レビューシートのチェック。

夕食はチャーハン、サラダ、味噌汁。冷や飯が一定量溜るとチャーハンになって出て来る。

食事をしながら『プレバト』を追っかけ再生で観る。

カホさんからお土産にいただいた「カフェ・ゴトー」のケーキを妻と食べる。

明日の授業の準備。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


11月20日(水) 小雨

2024-11-21 07:52:39 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

10時半から大学院の社会学コース会議(オンライン)。1時間ほどで終わる。

昨日のブログを書いてから、昼食を食べに「吉岡家」へ行く。

天ぷらうどんに生卵を落としてもらう。

店内のテレビで火野正平さん(75歳)死去のニュースが流れる。

スマホのニュースを検索。4月から持病の腰痛の治療に励んでいた、夏に腰を圧迫骨折してから容態が悪化したとのこと。大河ドラマ『国盗り物語』(1973年)で羽柴秀吉役で注目を浴びたときのことは、当時、大学1年生だった私もよく覚えている。主演の斎藤道三役の平幹二郎や織田信長役の高橋英樹を完全に喰っていたと思う。あのときの彼はまだ24歳だったのだ。ご冥福をお祈りします。

蕎麦屋から出て、床屋の前で立ち止まる。「散髪の年末調整」か。いつもながらうまいことをいうものである。うん、散髪に行こうと思う。実は明日親戚の葬儀があるのだ。

ただし、散髪に行くのはこの床屋さんではなく、駅前のアーケードの中のいつもの床屋さんなんですけどね。

薬局で風邪薬(常備薬)を買って帰る。レジの方が「これは薬剤師が対応します」と言って、薬剤師の方が出てきて、「ほかに服用されている薬はありますか」と聞かれる。こんなことは初めてである。風邪薬の大量摂取(一種の覚せい剤として服用)が問題になっているせいだろう。

帰宅してちょっと遅れて教授会(オンライン)に出席。今日はいつもよりもだいぶ早く(4時頃)終わった。

レビューシートのチェック。

夕食まで時間があったので、金曜日の演習「現代人と孤独」で発表するグループが取り上げる映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』をアマゾン・プライムビデオ(300円)で観る。他の事務的な作業をしながらの視聴だったので、日本語吹き替え版で観た。発表では「孤独」という視点から作品分析が行われるようだが、他にも「宗教」や「物語」という視点からの分析もできそうだ。ちなみに「パイ」は主人公の名前。円周率の「パイ」だ。

夕食は鶏肉団子鍋(白菜、人参、キノコが入っている)。寒い日は鍋である。

食事をしながら『謎解きレトリック』第4話(録画)を観る。

最初はスープそのままで。

途中でポン酢を入れて味変。

私が食事を終えると、それを待っていたかのように(いや、待っていたのだが)、チャイが食器棚の上から飛び降りて来た。

そしてソファーの私のお腹の上に。「ライフ・オブ・三―/猫と暮らす日々」

「映画の中のトラはリチャード・パーカーという変な名前でした。私は猫らしい名前でよかったです」

風呂から出て、今日の日記を付ける。

レビューシートのチェック。

明日は早いので12時半、就寝。