フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月26日(土) 晴れ

2008-01-27 09:57:35 | Weblog
  8時、起床。朝食は昨日の夕食の残りのピーマンの肉詰め、ジャガイモの味噌汁、ご飯。大学の事務所から「成績簿の提出は2月1日厳守」とのメールが届く。私個人にではなく、全教員への一斉メールであるが、昨日のフィールドノートに提出は2月5日くらいになりそうだと書いた直後なので、なんだか釘を打たれたような気分になる。定期試験は1月31日まであるので、31日に試験をやって翌日成績簿を提出するのは無理である。だから「試験実施後5日以内に提出」との注釈が付いている。私が2月5日を目処にしているのはここに由来するものである。試験日だけでなく採点する答案の枚数も考慮されてしかるべきだと思うが、それは文書にしにくいであろうから、暗黙の了解があるものと考えてやらせていただくほかはない。
  昼食(お汁粉と雑煮)を食べた後、散歩に出る。呑川沿いの道を歩いて、JRの線路をくぐり、蒲田駅の東口方面に出る。川沿いの道は空が広いのがいい。復活書房とブックオフを見て回る。ブックオフで真田是『社会問題の変容』(法律文化社、1992年)という本を購入。時期としてはバブル崩壊の直後に刊行された本だが、バブル崩壊によって生まれた(生まれることになる)社会問題は射程に入っていない。戦後の高度成長とそれに続く安定成長の中で生じた社会問題の変容、すわなち労働問題と貧困問題に集約できた状況から労働と生活にかかわる多種多様な社会問題が生み出されてきていることを論じた本である。そうした時代の制約というものはあるものの、いや、時代の制約があるからこそ、人生問題と社会問題という切り口からこの百年の日本社会の変容をたどってみたいと考えている私には役に立ちそうな本である。ぶらりと入った古本屋で面白そうな本と出会うことは散歩の楽しみのひとつである。

        

  夜、長らく封印されていた『のだめカンタービレ in ヨーロッパ』前編(1月4日放送)のビデオを観る。千秋がパリの指揮者コンクールで優勝するまでの話。BGMも含めてたくさんの曲が聴けてよかった。玉木宏も上野樹里もやはりはまり役である。日本に残っている仲間たちとのからみが携帯電話だけというのがものたりなかったが、話の設定上、これはしかたない。それにしても指揮者というのはすごいものだ。オーケストラのすべてのパートを暗譜して、ちょっとしたミスも聴き分けられるのだから。明日は後編を観よう。次はのだめのピアノコンクールの話か。ライバル役は山田優。彼女、『ボンビーメン』に出ていたが、『華麗なる一族』のときと比べて、ずいぶん台詞が上手になっていたな。

1月25日(金) 晴れ

2008-01-26 01:16:59 | Weblog
  8時、起床。ベーコンエッグ、トースト、紅茶の朝食。今朝の読売新聞に世論調査の結果が出ていた。「日本国民であることを誇りに思う」人が93%、「国の役に立ちたい」と考える人が73%、いずれも過去の調査と比べて最も高い数値であったそうだ。藤原正彦が、「日本国民であることを非常に誇りに思う人が、13年前に比べてぐっと増えている。グローバリズムの中で、日本が沈みそうになったことへの危機感の表れだろう。市場原理主義、グローバリズムに踊らされた日本経済が駄目になって初めて、国民が日本の良さを知った、ということだ」とコメントを寄せている。彼の著作『国家の品格』の主張に引き寄せた解釈である。そういう解釈もできなくはないのかもしれないが、データを見ると、高齢者ほど上記のような回答をする傾向が高いので、人口の高齢化がますます進んでサンプル構成における高齢者の割合が大きくなったことが一番の原因なのではなかろうか。一人一人の意識の変化がなくても、サンプルに高齢者が多くなれば統計的集団としての「国民」の意識は変化したように見えるのである。もちろん「高齢化効果」だけで変化のすべてが説明できるとは思わないけれど、すぐにドラマチックな解釈に走るのはジャーナリズムの悪い癖だ。統計の数字そのものは客観的なものであっても、解釈が主観的・恣意的では意味がない。
  午後から大学へ。基礎演習の成績評価を事務所に提出するためである。私は勘違いしていたのだが、今年度から成績評価をWeb入力できるようになったので、いつものように手書きの成績簿を持って事務所に出向く必要はないのかと思っていた。しかし、そうではなくて、成績評価をWeb入力した上で、その結果を印刷して、それに署名・捺印をして事務所に持参するのである。あれっ? これって作業が軽減されたことになるのかな。いきなりWeb入力をするのではなくて、いつものように手書きの成績簿を作成してからそれをWeb入力したので、手間としてはかえって増えたような気がするのは、私の錯覚だろうか。事務所の誰かがやっていた成績のコンピューター入力作業を教員がするようになった、そのこと自体は不満ではないが(事務所の方が忙しいのは十分わかっているので)、Web入力した結果をわざわざ印刷して事務所に持って行くというのは、メールの内容を印刷してメールのあて先に持参するようなもので、間の抜けた話のような気がする。成績簿を手渡すときに記入漏れがないかのチェックがなされるわけだが、これはWeb上でできることではないだろうか(それも自動的に)。
  成績簿を提出し終えて、あとは夕方まで研究室で卒論を読む。この時期、試験を採点しつつ、卒論も読まねばならない。成績評価の締め切りも、卒論の口述試験も同じ2月1日であるからだ。卒論は12月中旬に提出されているのであるが、あまり早い時期に読んでしまうと、口述試験(面接)までに読んだ内容を忘れてしまう恐れがある。先に試験の採点を済ませて、面接前の数日で卒論を読むというのが一番合理的である。でも、これまでそれが出来たためしがない。試験の採点を中断して、卒論を読み、口述試験が終わってから、試験の採点を再開し、事務所からの督促のメールや電話に「はい、いまやってます」「はい、もうすぐ終わります」と対応しながら、2月5日あたりまでになんとか試験の採点を終わらせるというのが毎年のパターンだ。95%、今年もそうなるだろう。そういう締め切りに追われる人生なのさ(すねたような口調で)。今日は卒論を2冊読んだ。一番厚い卒論を2時間かけて読み終わり、次いで一番薄い卒論を1時間で読もうとしたら、薄いのは外見だけで、一頁の行数が50行もあって(ワードの標準設定なら36行)、つまり「上げ底」ならぬ「下げ底」論文で、おまけに内容もかなり密度の高いもので、やっぱり2時間かかった。面白かったからよしとしよう。今年の卒論は全部で13本。まだまだ先は長い。
  帰宅すると、牧阿佐美バレエ団から6月の公演「ドン・キホーテ」の案内が届いていた。13・14・15日の3回公演で、伊藤友季子が主役のキトリを踊るのは何日かなと思ったら、なんと、今回の公演に彼女は出演しない(少なくとも主役は踊らない)ではないか。そ、そんな・・・。6月は新国立バレエ団の公演「白鳥の湖」(あのザハロワがゲストで主役を踊る)を観に行く予定なので「ドン・キホーテ」はパスしようか。でも、「ドン・キホーテ」自体は楽しめる作品だから、青山季可(彼女もいいバレリーナだ)が主役を踊る14日の公演を観に行こうか。悩むところだ。

1月24日(木) 晴れ

2008-01-25 10:09:55 | Weblog
  8時、起床。ひさしぶりの晴天だ。昨日の夕食の残りのカレーとトーストで朝食。トーストにカレーをのせて食べるのは子供の頃からの好物だ。フィールドノートの更新をすませたから大学へ。

        

  早稲田に着いて「すず金」で昼食(鰻重)をとってから、研究室でテストの採点作業。今回は2科目合わせて約500枚の答案を採点しなくてはならない。一日100枚のペースでやれば5日間で終わるなと皮算用をする。もちろんこれは机上の計算で、作業初日の今日は100枚には遠く届かなかった。最初のうちというのは採点の基準がまだ頭の中に出来ていない。「さっきの答案が80点なら、こっちは75点かな・・・」と答案を相互に比較しつつだんだんと頭の中に採点の基準が構築されていくのである。そうやって一旦基準が出来上がってしまえば作業のペースはぐんとあがるのだが、とにかく最初のうちは時間がかかる。教員ロビーの自販機の紙コップの珈琲を2杯飲んだ。作業に飽きて来ると生協戸山店に行って本の立ち読み。以下の本を購入。

  松本三之介『吉野作造』(東京大学出版会)
  バリガス=リョサ『楽園への道』(河出書房新社)
  ジグムント・バウマン『コミュニティ』(筑摩書房)
  佐藤正午『アンダーリポート』(集英社)
  『at』10号(太田出版)

 6時まで作業をして帰宅。購入した本と答案を家に持って帰る。両手に紙袋を提げているので、バッグのベルトは肩から斜めに掛ける。私はなで肩なので斜め掛けでないと肩からずり落ちてしまうのだ。ちょっとダサイがしかたない。しかし行き交う人々のバッグの肩への掛け方を観察してみると、斜め掛けの人もけっこういる。若者や女性が斜め掛けにしているのを目にすると心強い味方を得たような気分になる。斜め掛けダサクないのかも。なんといっても斜め掛けは安定感がある。背骨にもよさそうだ。女性の場合ならバックのひったくりドロボーの防止にもなるだろう。私が斜め掛けをダサイと感じるのは、出征兵士とか、終戦直後の買出しとか、昔の中学1年生とか、そういうイメージと結びついているためだろう。昭和も遠くなりにけり。もうそうした呪縛から解放されるべきなのかもしれないが、斜め掛けの安定性=実用性は、精神の深部で、体制的=小市民的なものと結びついているような気がするのだ。今日は両手に紙袋を下げているという「言い訳」ができたが、そうでないときに、はたして私は斜め掛けで電車に乗れるだろうか。この種のこだわりというのは誰もが持っているに違いない。
  夜、大学事務所から未済試験(2月12日)の申し込み者についての連絡がメールであった。二文科目「社会と文化」で1名である。あれ? 「ライフストーリーの社会学」については申し込みがなかったの? 私にメールで問い合わせをしてきた1年生が数名いて、彼らには事務所で未済試験の申し込み(昨日と今日の二日間が教場試験の未済試験の申し込み期間だった)をするように指示しておいたのだが・・・。受験手数料が1科目について千円必要なので、合格可能性が低い場合はお金の無駄だから、それで手続きを断念したのだろうか。

1月23日(水) 雪のち雨

2008-01-24 11:04:25 | Weblog
  朝起きると雪が降っている。ベランダの手すりに少しばかり積もっている。予報よりも二日遅れの雪である。今日は自宅で仕事の日なので、「今日は雪が降っている」と何の利害関係もなく受け止めることができる。
  3日前に「大田区立蒲田交差公園」のことで役所にメールで問い合わせをしたが、今日、その返事が届いた。公園事業の担当部署である「まちなみ整備課」からのもので、ポイントは以下の3点である。

  1.大田区立蒲田交差公園は都市計画法に基づいて設置された公園である。
  2.自転車駐輪場は代替地に移設した。
  3.自転車駐輪場ができる前、当地は公園であったので、緑化推進の一環として原状回復をした。公園の形態については従来からトイレやベンチは設置されていなかった。

  要するに「何も問題はない」ということである。役所の窓口が区民からの素朴な問い合わせに「はい、実はいろいろ問題があるのです」といきなり回答してくるとは期待してはいなかったので、とくに肩透かしを食わされたとは思わない。むしろなしのつぶてではなかったことを感謝する。
  その上で、上記の3つのポイントについて私の考えを述べておく。
  第一に、「大田区立蒲田交差公園」が都市計画法に基づいて設置された公園であるというのはあまりまえのことで、だから法的に問題がないということにはまったくならない。例は悪いが、一連の耐震偽造マンションだって問題が発覚するまでは建築基準法に基づいて設計・建築されたものとして通っていたのである。
  第二に、撤去された自転車駐輪場の代替地がどこかという点について、回答の中では触れられていなかったが、実はこれが問題なのである。「大田区立蒲田交差公園」が普通の「公園」のイメージとは大きくかけ離れたもので、実質的に日本工学院の医療カレッジ専用新校舎の前庭(花壇)でしかないということを私は問題にしているのだが、自転車駐輪場の代替地というのはその新校舎の地下1階なのである。下の写真はその自転車駐輪場の入り口である。「区営日本工学院地下自転車駐車場」と表示されている。実際に中に入ってみたが、地下1階が区民用の駐輪場、地下2階が日本工学院の学生用の駐輪場になっている。区民用の駐輪場には管理人が1名常駐している。立派な駐輪場である。事情を知らない人が見たら、新校舎の地下スペースを駐輪場として区に提供するという日本工学院の社会貢献に拍手を惜しまないだろう。しかし、地元の住民たちはみな、日本工学院は新校舎の正面玄関前の駐輪場を撤去して「公園」にしてもらう交換条件として地下のスペースを代替地として提供したのだと考えている。それが世間の常識である。で、ここで問題となってくるのが、この代替地の提供は無償なのか有償なのか、有償だとすればその金額はどれほどのものなのかという点である。無償ならば「まあ、いいか」という気にもなる。しかし、有償で、それもかなりの金額であったら、「それはおかしいでしょ」と言いたくなる。日本工学院は、玄関前に花壇・・・じゃなくて「公園」を作ってもらった上に、駐輪場の場所代という新たな収入ができ、おまけに区民用の駐輪場(B1)の管理人に学生用の駐輪場(B2)の見張りまで(間接的に)してもらえるのだから。

        

  第三に、「原状回復」という説明は間違っている。私は蒲田で生まれて育った人間である。だから、撤去された駐輪場が作られる前はそこが公園であったことを知っている。いま新校舎が建っている場所には「パレス座」という映画館があった。私はそこでスタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』やアラン・レネ監督の『去年マリエンバードで』を観た。そして映画を観終わって、映画館の前のその公園のベンチに座って缶ジュースを飲みながら空を見上げたものである。そう、その公園にはベンチがあったのである。トイレがあったかどうかは憶えていないが、しかし、ベンチはあった。万一、私の記憶違いだといけないと思い、昔から「公園」の近所で商店を営んでいる方に尋ねてみたが、やはり「ベンチはありました」とのことだった。だから「従来からトイレやベンチは設置されていなかった」という回答は、何を根拠にそう言っているのか知らないが(完成当時の公園の写真くらい保管されているはずだが)、少なくともベンチに関しては間違っている。昔はベンチのない公園なんてものはなかったはずである。たとえブランコや水のみ場や公衆トイレがなかったとしても、最低限、ベンチがあるというのが、そこが公園かたんなる空地かを区別する目印であったと思う。だから「原状回復」を言うのであれば、「大田区立蒲田交差公園」にはベンチがなければならないのである。しかし「現状」(「原状」ではなく)は下の写真のようになっている。これが公園といえるだろうか。「現状」を正当化するために「原状」もそうであったと偽証することは、イギリスの歴史学者エリック・ボブズホームいうところの「歴史の捏造」である。

        

  ・・・といった趣旨のことを、もう少し手短に、もう少し穏当な表現にして、メールに書いて返信した。
  朝の雪は、取材中にみぞれになり、そして雨になった。山下達郎の名曲「クリスマス・イブ」とは逆の展開である。午後6時半から区役所で大田区男女平等推進区民会議。防災課と教育委員会指導室の担当者を呼んでのヒアリング。深夜、学文社にブックレットの「参考文献」と「あとかぎ」をメールで送る。ようやく全部の原稿を送ることができた。「あとがき」の末尾には「二〇〇八年一月 雪の降った日の冷え込む夜に」と記した。風情がある。執筆をわざわざ遅らせた甲斐があったというものだ。

1月22日(火) 曇り

2008-01-23 10:01:43 | Weblog
  8時、起床。ソーセージ、トースト、紅茶の朝食。
  京浜東北線が途中でちょと止まり、10時半からの基本構想委員会に遅刻。しかも間の悪いことに着席してしばらくしたらケータイの電話が鳴った。現代人間論系の助手のAさんからである。急ぎの用件かなと思ったが、とりあえず電源を切った。会議が終わってからチェックするとメールが届いていて、主任の増山先生が駅の階段で足を痛めてしまったので午後1時からの論系主任会議に代わりに出てもらえますかという依頼だった。了解。
  「高田牧舎」で昼食(ハヤシライスと珈琲)をとり、本部キャンパスの生協で四方田犬彦『日本映画と戦後の神話』(岩波書店)を購入してから、論系主任会議に出席。09年度から立ち上がるゼミ制度について集中的に検討する。
  5時半から現代人間論系の教室会議。増山先生も出席。病院で診てもらったところ打撲だけで骨には異常がないとのこと。会議の後、そのまま新年会へ移行。来年度から新しく教室の一員となる草野先生と助教の木村君も合流する。場所は飯田橋のアイガーデンテラスの中にある稲田屋という和食の店で、本日の幹事役の安藤先生が手配してくださった。掘り炬燵のある気楽な店構えだが、運ばれてくる料理は一品一品手が込んでおり、鍋は味噌仕立ての寄せ鍋で、最後にうどんを入れて食べるのだが、これが実に旨かった。贅沢な味噌煮込みうどんである。最初はちょっと緊張していた新人お二人も、わが論系のざっくばらんな雰囲気にすぐに肩の力が抜けて、冗談・軽口・ため口・失言がポロポロと出ていた。その調子、その調子。来年度はいよいよ論系に学生が入ってくる。新しい事態が次々に生じるわけだが、みんなでスクラムを組んで、一つ一つきちんとクリアーしていきましょう。
  帰宅したのは11時頃。メールにMさんから6年3組の名簿が届いていた。現住所や連絡先がわかっている人は37名中23名。ダメもとで消息不明の14名の氏名をインターネットで検索してみたが、ヒットしなかった(同姓同名の人はいるが年齢等から考えてみな別人のようである)。私のような仕事をしているとみんなネットで検索できるような気になっているが、全然そんなことはないのである。