フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月24日(木) 晴れ

2008-01-25 10:09:55 | Weblog
  8時、起床。ひさしぶりの晴天だ。昨日の夕食の残りのカレーとトーストで朝食。トーストにカレーをのせて食べるのは子供の頃からの好物だ。フィールドノートの更新をすませたから大学へ。

        

  早稲田に着いて「すず金」で昼食(鰻重)をとってから、研究室でテストの採点作業。今回は2科目合わせて約500枚の答案を採点しなくてはならない。一日100枚のペースでやれば5日間で終わるなと皮算用をする。もちろんこれは机上の計算で、作業初日の今日は100枚には遠く届かなかった。最初のうちというのは採点の基準がまだ頭の中に出来ていない。「さっきの答案が80点なら、こっちは75点かな・・・」と答案を相互に比較しつつだんだんと頭の中に採点の基準が構築されていくのである。そうやって一旦基準が出来上がってしまえば作業のペースはぐんとあがるのだが、とにかく最初のうちは時間がかかる。教員ロビーの自販機の紙コップの珈琲を2杯飲んだ。作業に飽きて来ると生協戸山店に行って本の立ち読み。以下の本を購入。

  松本三之介『吉野作造』(東京大学出版会)
  バリガス=リョサ『楽園への道』(河出書房新社)
  ジグムント・バウマン『コミュニティ』(筑摩書房)
  佐藤正午『アンダーリポート』(集英社)
  『at』10号(太田出版)

 6時まで作業をして帰宅。購入した本と答案を家に持って帰る。両手に紙袋を提げているので、バッグのベルトは肩から斜めに掛ける。私はなで肩なので斜め掛けでないと肩からずり落ちてしまうのだ。ちょっとダサイがしかたない。しかし行き交う人々のバッグの肩への掛け方を観察してみると、斜め掛けの人もけっこういる。若者や女性が斜め掛けにしているのを目にすると心強い味方を得たような気分になる。斜め掛けダサクないのかも。なんといっても斜め掛けは安定感がある。背骨にもよさそうだ。女性の場合ならバックのひったくりドロボーの防止にもなるだろう。私が斜め掛けをダサイと感じるのは、出征兵士とか、終戦直後の買出しとか、昔の中学1年生とか、そういうイメージと結びついているためだろう。昭和も遠くなりにけり。もうそうした呪縛から解放されるべきなのかもしれないが、斜め掛けの安定性=実用性は、精神の深部で、体制的=小市民的なものと結びついているような気がするのだ。今日は両手に紙袋を下げているという「言い訳」ができたが、そうでないときに、はたして私は斜め掛けで電車に乗れるだろうか。この種のこだわりというのは誰もが持っているに違いない。
  夜、大学事務所から未済試験(2月12日)の申し込み者についての連絡がメールであった。二文科目「社会と文化」で1名である。あれ? 「ライフストーリーの社会学」については申し込みがなかったの? 私にメールで問い合わせをしてきた1年生が数名いて、彼らには事務所で未済試験の申し込み(昨日と今日の二日間が教場試験の未済試験の申し込み期間だった)をするように指示しておいたのだが・・・。受験手数料が1科目について千円必要なので、合格可能性が低い場合はお金の無駄だから、それで手続きを断念したのだろうか。