フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月12日(土) 雨のち曇り

2008-01-13 02:07:11 | Weblog
  朝から雨で、冷え込みも厳しい。この冬一番の冷え込みのような気がする。最低気温を基準にすればそうではないのだが、雨がしとしと降っていると冷え冷えとした気分になるのである。終日、自宅で丸くなって過ごす。
  知り合いのブログを見て回っていたら、明日(13日)が誕生日という方が二人いた。どちらも女性で、一人はちょうど30歳に、もう一人はちょうど40歳になる。誕生日は誰でも年に一度回ってくるわけだが、やはり30歳や40歳というのは節目の年であろう。
  かつて年齢を数え年でカウントしていた時代、誰もが元日に歳を重ねた。みんなが「せ~の」で1つ歳をとったわけである。しかし、満年齢が一般的になってからは、人はそれぞれの誕生日に歳をとるようになった。年齢の個人化である。とはいえ、誕生日のパターンは366通りしかないから、自分と誕生日が同じ人というのは探せばいるものである。たとえば私は加山雄三と、妻は向田邦子と、娘は椎名林檎と、息子はサン・デグジュベリと誕生日が同じである(有名人誕生日&今日は何の日)。けれどこういう強引なやり方ではなく、常日頃つきあいのある人の中に自分と誕生日が同じ人がいる確率はきわめて少ない。実際、私は53年生きてきて、まだそういう人と出会っていない。ついでにいうと「孝治」と書いて「たかじ」と読む人にも出会っていない。万一、これから先、「孝治」と書いて「たかじ」と読む人と出会って、しかもその人の誕生日が私と同じであったら、私は深刻なアイデンティティの危機に陥るのではないかと思う。
  そう考えると、私の知り合いの二人の女性が(お互いは面識がないとはいえ)誕生日が同じで、明日、30歳と40歳という節目の歳を迎えるというのは、「85へえ」くらいに相当する椿事ではなかろうか。今日のブログで、明日30歳になる女性は、これまでの自分とこれからの自分がつながった感覚について書いていた。一方、明日40歳になる女性は、これからは他者からの期待、自分に対する一途な思いを逃げずに受け止めることが大切なのかもしれないと書いていた。どちらも「人間としての成長」にかかわるテーマである。これは偶然ではあるまい。節目の誕生日を前にして人はおのずとそういうことを考えるものなのであろう。生涯発達心理学の考え方によれば、人間の心理的発達は青年期までで終わるのではなく、生涯にわたって続くものである。ただし、それは黙っていても自動的に成長するということではなくて、成長を志向することで成長するのである。
  ところで私は3年前、50歳の誕生日を迎えるにあたって、何かしら思うところがあったであろうか。そうだ、「単純な生活」を心がけようと思ったのだった。自分にとって本当に大切なものだけを残して、あってもなくてもどちらでもよいものや、どちらかといえばないほうがよいものは、多少の不評は覚悟で、削ぎ落としていこうと思ったのだった。いまのところ減量作戦は上手くいっている。先日、現代人間論系の主任(4月から)を引き受けたのは、うっかりしたわけではなくて、大切な仕事だと思ったからである。