7時半、起床。
ここ2週間ばかり小さくなっていた耳鳴りがまた大きくなった。耳鳴りは持病なのだが、たまに小さくなる時期がある。今回はGWに入る頃に小さくなり、松本旅行中、それから帰って数日間は小さい時期が続いてくれた。細かいメカニズムはわからないが、忙しさ、ストレスと関係しているだろうことは確かだろう。いったん大きくなると、平日週末関係なく、数カ月は続く。私が望むのは耳鳴りが完治することではなく(それは無理だと思っている)、大きな期間が短くなること、小さな期間が長くなることである。
パン、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
昨日のブログを書いてアップしてから、鶯谷の菩提寺に行く。
仏花はいつものように寺のそばの花屋「八喜」で買う(対で1600円)。
明日、お施餓鬼法要があるのだが、出席できないので、前日の今日、墓参りがてら法要代を払いに来たのである。
父の命日が5月13日なので、お施餓鬼法要は父の墓参りを兼ねている。
墓参を済ませ、縁側でお茶をいただきながら、住職の奥様とお話をする。
昼食はいつもであればお寺の近くの蕎麦屋「川しま」で食べ、カフェ「ジャン」でお茶をするのだが、今日は日比谷線の入谷から東武スカイツリー線直通の地下鉄に乗って、西新井に行く。わずか15分で着く。一週間前に卒業生のミフミさんとカフェ巡りをして気に入ったので、再訪することにしたのである。
大師線に乗り換えて、一駅(終点)で大師前駅に着く。
お目当ては「かどや」と「きままかふぇ」だが、せっかく来たのだから、西新井大師にお参りをする。
いわゆる「ついで参り」である。「ついで参りはダメ」と言われるのは、それではお参りしても効果は薄いからと説明されるが、そもそも何かを期待して(願いが叶うように)お参りするのではないのであれば(近くまで来たのでちょっとご挨拶)、ダメということはないのではなかろうか。先日の松本旅行でも四柱神社にお参りしたが、何かをお願いすることはなく、「また松本にやって参りました」と挨拶しただけである。
ただし、お寺で柏手を打ったりするのはダメで(柏手は神社)、今回、私は何をうっかりしたのか、ボーっとしていたのか、小さく柏手を打ってしまった。すぐに、あっ、まずいと思ったが、周囲にいた二、三人の方が私につられて柏手を打った。その一瞬、本堂の周囲に張り巡らされた五色の布(正式な名称は知らない)が、鯉のぼりのように大きく風になびいたのは神様が「ケシカラン」と怒ったからかもしれない。す、すみません。
前回来たときと同じ参道の店で草団子を土産に買う。
さて、「かどや」に入る。
前回、昼食は西新井駅のちかくの「シルビア」というレトロなカフェレストランで食べてから来たので、ここではクリームあんみつ+やきそばだったが、今日はここで昼食である。
おしるこ(500円)とラーメン(500円)を注文する。お店の方に「順番はどうしましょう? できた順でよろしいですか?」と聞かれたので、まずおしるこをとお願いすると、「そうですよね」という感じでニッコリした。甘いの→しょっぱいの、これ甘味処における基本であろう。(でも、近くのテーブルの女性は、やきそば→あんみつ、だった。これはあんみつがデザートという感覚なのだろう)
ここのおしるこは「田舎しるこ」である。こしあんのしるこを「都しるこ」と呼ぶが、「かどや」には「田舎しるこ」しかない。それでよいと思う。とろりとした餅によく絡まったつぶんあんたっぷりのしるこはもちろん甘いが、「甘さ控えめのおしるこ」などおしるこではない。そしてこの甘さが次のラーメンの美味しさを引き立てるのだ。
ラーメンは澄んだスープ、細麺、シナチク、葱、そして薄切りのチャーシュー。単独で食べても美味しいラーメンだが、しるこの後に食べるラーメンが格別である。ちょうど「仕事の後のビール」が最高であるといわれるように(私は飲まないが)。もちろんスープは一滴残さずに飲み干す。
支払いはテーブルの上のトレーに置く。これが「とらや」の作法である。一粒の小豆も、一滴のスープも残っていない器を見て、お店の方は私を「かどや」にふさわしい客として認めてくれたようである。
今川焼を求めに来た客がいたが、夏場はお休みである。店内で、今川焼→ラーメンという組み合わせもいいかもしれない。
もうすぐかき氷が始まる。かき氷→ラーメンという組み合わせもいいかもしれない。メニューにはカレーラーメンというものがあるか、これもしかるべきタイミングで注文してみたい。ちなみにカレーライスというメニューはない(ご飯ものはない)。あくまでもカレーラーメン、カレーうどんのためのカレーなのだ。
食後の珈琲はもちろん「きままかふぇ」で。
前回はマダムの担当日だったが、今回はマスターの担当日だった。このイラストと違って、マスターの頭には髪の毛がしっかりあった。
前回はモカの中煎りを注文したが、今回は深煎りを注文。もちろんハンドドリップで(600円)。
珈琲のお供にトーストを注文。びっくりしたのは200円という価格だ。しかも美味しいパンで、添えられていたマーマレードも美味しい。
シナモンシュガーまで付いてくる。これで200円というのは信じがたいが、あくまでも主役は珈琲という理念のお店なのでる。これは「sannno2198」に通じるものがある(ケーキは300円!)。
モカの深煎りと浅煎りを豆で買って帰る(ここはモカ専門店である)。ミルでの挽き方についてマスターに伺う。私の珈琲の好みを聴いてから、「豆の量にもよりますが、浅煎りは細かく、深煎りは粗くが基本です」とのこと。
さて、帰るとしよう。「かどや」と「きままかふぇ」は私のカフェの分類に従えば、「飛び地カフェ」である。自宅や職場の近くのカフェが「地元カフェ」(私の場合は蒲田や早稲田のカフェだ)、地元から一駅、二駅離れたところにあるカフェが「隣町カフェ」(私の場合は大森、大井町、矢口渡、池上のカフェだ)、そして地元からはかなり離れたところにあるカフェが「飛び地カフェ」で、私の場合は矢向にある「パン日和あろや」や「ノチハレ珈琲店」がそうなのだが、松本の「チーアン」や「栞日」や「ガルガ」といった「旅先カフェ」も広く言えば「飛び地カフェ」である。西新井は蒲田から行くには時間がかかるが、墓参りのついでにいくならば、気軽に行ける。
西新井から電車に乗るときに、日比谷線直通と半蔵門線直通があるので、注意しなければならない。日比谷線直通に乗って上野で京浜東北線に乗り換えるのが正しい(乗り換えが1回で済む)。
帰宅して、『福のラジオ』をタイムフリーで聴きながら、今日撮った写真の整理。疲れが出たのか、少しウトウトする。
夕暮れである。
夕食は鮭のキノコソースがけ、アミの佃煮、キュウリの漬物、玉子とワカメのスープ、ごはん。
食事をしながら『9ボーダー』第4話(録画)を観る。
職探しに苦戦するコウタロウに七苗が言う。「私がそばにいる。どんなときもおおば湯で待ってるから。だから…私のこと好きになっていいよ」。コウタロウが答える。「もうとっくに大好きだよ」。ドラマの中でしか聞かない台詞のように思えるが、現実の世界でこういう言葉を交わすカップルというのはいるのだろうか。もっとも、第一話で、コウタロウが七苗に言った、「俺のこと好きになっていいよ。俺もきっと君を好きになる。そんな気がする」というセリフほど現実離れはしていないとは思うけれど。
お土産に買ってきた草団子を食べる。12個あって、妻が5つを取って、私に7個をくれたが、「逆でもいいよ」と私は妻に言った。なんだかコウタロウみたいな台詞じゃないか(?)。
『季節のない街』第話(録画)も観る。いままでで一番悲しい話だった。ホームレスの親子の子どもが食中毒が原因で死ぬのである。
レビューシートのチェック。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時、就寝。