フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月19日(火) 晴れ

2024-03-20 14:00:55 | Weblog

8時、起床。

チーズトースト(+ソーセージ)、スクランブルエッグ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

昨日のブログを書いてアップする。その間、チャイは書斎のチェアで寝ている。

清水幾太郎『社会学入門』(カッパブックス、1959年)を読み返す。私が初めて本書を読んだのはカッパブックス版ではなく(それが出版されたとき私はまだ5歳だった)、潮文庫版(1970年)で、読んだ時期は大学3年生の頃(1975年)だったと思う。そのとき私は学部を卒業したら大学院へ進もうという基本方針は決めていたが、専攻をどうするかは未定だった。社会学・心理学・哲学を候補として考えていたが、そういう模索の時期に読んだ本である。本書はある世代の社会学者たちには社会学という学問の門をくぐるきっかけとなった本ではないかと思う。しかし、残念なことに、『清水幾太郎著作集』(講談社)に本書は収められていない。責任編集者の清水禮子の判断で、『論文の書き方』(岩波新書)、『本はどう読むか』(講談社現代新書)、『「社交学」ノート』(ネスコブックス)といった新書の類は『著作集』から排除されてしまったのである。「庶民の社会学者」は清水幾太郎のキャッチプレーズの1つだったが、一人娘の禮子は父親のアカデミックな側面を強調したかったのだろう。私はここ数年、『論文の書き方』を取り上げて「清水幾太郎における文体の変遷」(2020年)、『「社交学」ノート』を取り上げて「清水幾太郎における孤独と社交」(2024年)という論文を書いたが、早稲田大学在職中に書く清水幾太郎研究の最後の論文は「清水幾太郎における社会と個人の問題」(仮題)となる予定で、『社会学入門』は最重要の参考文献である。

三品輝起『波打ちぎわの物を探しに』(晶文社)を電子書籍で購入する。三品さんは西荻窪の雑貨店「FALL」の店主さんである。知り合いの陶芸家・清水直子さんがそこで何度か作品展を開いたことがあるので、そのたびにお邪魔し。三品さんともお話をした。これまでに『すべての雑貨』、『雑貨の終わり』というエッセー集を出版されていて、本書は「雑貨シリーズ」の三冊目ということになる。

2時過ぎに家を出て、恵比寿の東京都写真美術館へ行く。車中で『波打ち際のものを探しに』の冒頭の章「雑貨屋プレイ」を読む。「雑貨屋プレイ」とはたんに雑貨店を営んでいるということではなく、社会学でいうところの役割演技、「私は〇〇という役割を演じている」ということに意識的な雑貨店主ということである。三品さんはこれを一種の精神病理的なものと考えているが、たんに個人的な病理ではなく、時代的な病理(あるいは精神)として考察しようとしている。雑貨店主としての長年の経験(フィールドワーク)と思索が生んだ読み応えのある文章である。電子書籍なので、前著のように「FALL」を訪問したときに著者のサインをいただけないのは残念であるが。

恵比寿駅で下車して、改札を出る前に、構内の立ち食い蕎麦屋で腹ごしらえをしていく。

かき揚げ天玉そば(680円)のチケットを購入。

店員さんにうどんでお願いしますと言ってチケットを渡そうとしたら、「うちは蕎麦だけなんですよ」と言われた。そ、そうなのか。立ち食い蕎麦屋は蕎麦とうどんの両方をやっている(値段は同じで)と思い込んでいたので、びっくりした。

私は蕎麦はもりで食べることが好きなのだが、ここの蕎麦はかけでも十分に美味しかった。蕎麦専門の立ち食い蕎麦屋だけのことはあると思った。

改札前から恵比寿ガーデンプレイスまでは長い動く歩道がある。動く歩道だが、ゆっくりなので、どうしても歩いてしまう。

写真美術館に入る前に、「ブルー・ノート・プレイス」のテラス席で一服していくことにする。

ホット珈琲とベニエという四角ドーナツのようなものを購入。

20分ほど座っていた。

さて、今日のお目当ては「木村伊兵衛」の没後50年回顧展。

日本人の写真家で好きな人を3人にあげろと言われたら木村伊兵衛、植田正治、森山大道の名前をあげるだろう。この3人は写真の撮り方が全然違う。植田正治は綿密に計算(演出)された写真を撮る。森山大道はかなり無造作だ。これに対して木村伊兵衛は演出はしないが、構図にはかなり意識的だ。演出しないで「これだ」という構図の写真を撮るためには同じ被写体に対してものすごくたくさんシャッターを切る必要がある。


木村伊兵衛「本郷森川町」(1952年)

以前、木村伊兵衛の代表作の一つ「本郷森川町」の一連のフィルムを観たことがあるが、連続して撮られたたくさんの「本郷森川町」の中の「これだ」という一枚であることがよくわかった。ここには10人の人間が写っているが、まるで映画のエキストラのように一人一人の立位置と動作・目線・表情が監督の指示の通りのものであるかのように「決まっている」。奇跡的な一瞬である。今回の回顧展であらためて木村伊兵衛の「これだ」という感覚・基準について考えた。そして「わかってしまった」ような気になった。長くなるので書きませんけどね(笑)。

1時間ほど見物し、写真美術館を出る。

隣接する恵比寿タワービルの38階に登るのは写真美術館に来たときの習慣である。

さて、帰ろう。

蒲田に着いてお彼岸用の仏花を買う。

おはぎも買う。

「どこにいってらしたの?」と妻が聞いた。恵比寿の写真美術館と答えると、「まぁ、病み上がりなのに」と言った。退院後3日目(術後1週間)ではあるが、「病み上がり」というのとはちょっと違うように思う。入院前の日常に復帰するための一種のリハビリのようなものである。

夕食はキャベツと豚バラ肉のコンソメ―ス煮、椎茸とツナとネギと(あと何か)を詰めてソテー、ごはん。

食事をしながら『厨房のありす』(録画)を観る。

デザートはおはぎ(つぶあん)。

ゼミ4年生に学位記授与式(現代人間論系)の時間と教室、それと当日配布するゼミ論集の代金(3000円)について連絡する。

風呂から出て、1時半、就寝。