フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月18日(月) 晴れ

2024-03-19 11:20:15 | Weblog

7時半、起床。

チーズトースト(+ソーセージ)、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

食事をしながら『ブギウギ』を観る。昭和31年。「もはや戦後ではない」の経済白書の言葉が生まれた年である。戦後復興と同伴してきた福来スズ子の人気も下火になってきているようである。それはしかなたのないことである。私が笠置シズ子をリアルタイムで知るようになったのは昭和30年代後半の『台風家族』というテレビドラマの母親役、すっかりおばさんになった彼女である。

『サンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴きながら(放送から24時間以内に3回聴けるのだ)、昨日のブログを書く。

2時を回った頃、昼食を「吉岡家」に食べに行く。

もり蕎麦と、もう一品、何か注文しよう。よく注文するのは野菜の天ぷらだが、今日は・・・。

もり蕎麦+カツ煮にした。

カツ煮とはカツ丼のごはん抜きと思えばよい。好きなサイドメニューの一つである。

池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』の中にこんな記述が出てくる(「藪二店」の章)。

 むかしの、東京の下町に住み暮らすものにとって、蕎麦と、その日その日の明け暮れは、
 「切っても切れぬ・・・」
 ものだったのである。
 それぞれの町内には、かならず二、三の蕎麦やがあったものだし、また、それぞれにうまかった。
 大人たちは、銭湯の帰りにも、ふところにわずかでも余裕があれば、かならずといってよいほど、最寄りの蕎麦やへ立ち寄ったものだ。
 「湯の帰りに蕎麦を手繰らないと、よく眠れない」
 などどいう人もいたようである。
 私を可愛がってくれた曾祖母も、何かごちそうをしてくれるといえば、蕎麦やであった。先ず、曾祖母は、天ぷらなどの種物をとってくれ、自分はゆっくりと一合の酒をのみながら、
 「おいしいかえ?」
 などとはなしかけてくる。
 「うん、うまいよ」
 仕方なく、こたえる。
 実際のところ、どうせ、ごちそうしてくれるなら、支那飯屋のシューマイ御飯か、洋食屋のカツライスのほうがいいとおもうのだが、曾祖母は。
 「肉(ももんじい)なぞ食べると、ろくなことはないよ」
 と、私をたしなめた。
 (中略)
 わたしのみのことではなく、子供にとっては、あまり蕎麦が〔ごちそう〕ともおもえなかったのだが、とのかくも、こうして私たちは蕎麦を、
 「食べならわせられてしまった・・・」
 のである。
 男と女が、男と男が待ち合わせる場所も、蕎麦やが便利だった。そして、どこの蕎麦やも、土間の椅子席の向こうに、入れこみの畳敷きがあり、一つ一つの席が仕切られてい、蕎麦の香りが店内にたちこめていたものだ。

 文中、「それぞれの町内には、かならず二、三の蕎麦やがあった」とあるが、いまでも数は減ったものの、家族経営の蕎麦屋は残っている。和菓子屋がどんどんなくなっているのとは好対照だ。格の高い老舗の蕎麦屋は別にして、蕎麦屋はたいてい蕎麦やうどん以外のメニューもあって、天丼やカツ丼はもちろん、ラーメンやカレーもあるところが多い。(私は飲まないが)酒の肴も充実している。蕎麦をメインにした大衆食堂というべきものになっている。自給自足的な町(ホームタウン)の生活にとってなくてはならない商店の1つである。

店を出て、これから大森のパン屋「ベイクマン」に行って、ついでに「sanno2198」に顔を出してみようと思う。

駅へ向かう途中の商店街のケバブ屋の店先には今日もセキレイ(鶺鴒)がいる。おこぼれにあずかれるのだろう。

大森駅の北口改札から山王方面へ出て、ジャーマン通りを歩く。風が強く冷たい。

「ベイクマン」には蒲田駅から電話をして食パンを二斤取り置きにしておいてもらった。

食パンは6枚切にしてもらう。美味しいパン屋も、蕎麦屋同様、町になくてはならぬ商店の一つである。

「sanno2198」は「ベイクマン」のすぐ近く。

カウンターには先客が二人。私は入口近くの端の席に座る。

ガトーショコラ。ガトーショコラをめぐっては面白い話を伺ったのだが、マダムから「ブログに書いてはダメですよ」と釘をさされたので書けません(笑)。

珈琲はメキシコで。

「本の庭」でスタッフをされている方がやってきた。ここではお客さんだ。意味はよくわからないが、「ヤギになりたい」と連発されていた。

蒲田に戻ってくる。

午後4時半の西日が構内に差し込んでいる。

帰宅して、『正直不動産2』の最終回(録画)を観る。いろいろなサイドストーリーがバタバタとエンディングを迎えた。「2」は総じて登場人物が多すぎたように思う。

午後6時の西の空。

夕食は肉豆腐、野菜炒め、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『さよならマエストロ』最終回(録画)を観る。恩師であるシュタイナー先生の後任としてドイツの名門オーケストラの常任指揮者に就任するオファーを、俊平は晴見海フィルでの活動の続けるため断ろうとしている。晴見フィルの面々は最後の公演への出場を取りやめることで俊平をドイツに送り出す。さよならマエストロだ。でも、最後の公演、やってもよかったのでは?

小学校のミニ同窓会のときに再会したユミさんから猫ちゃんのカレンダーが送られてきた。旦那さんがペット専門の写真家で、こういうグッズも作っていらっしゃるのだ。

ミニ同窓会のときのフォトブックまで作ってくださった。ありがとうございます。

新しい友人というのは(可能性としては)これからも作ることができるが、昔の友人というのはそういうわけにはいかない。でも、復活させることはできる。

今日はシャワーではなく、風呂に入る。

1時、就寝。