9時半、起床。雨が降り始めていた。炒飯と味噌汁(ジャガイモとワカメ)の朝食。「ハゲタカ」第4話(再放送)の後に、昨日に続いて、ジャック・アタリのインタビュー番組をやっていた。内容は彼の『反グローバリズム』と『21世紀の歴史』のエッセンスだったが、市場経済の暴走に歯止めをかけるものとして博愛(利他主義)をもってくるところがいかにもフランスの思想家である。社会学の祖、オーギュスト・コントが、晩年、人類教なるものを提唱したのを思い出した。
午後、原稿を少し書いてから、傘を差して散歩に出る。「テラス・ドルチェ」で昼食(ペペロンチーノと珈琲)をとりながら読書。池田謙一編『インターネット・コミュニティと日常生活』(誠心書房)の中から、志村誠「ウェブ日記・ウェブログによるパーソナル・ネットワークの広がり」を読む。ブログ(ウェブログ)を実践している人間として実感的に理解できる部分もあれば、「?」と思う部分もある。たとえば、ブログの特徴としてコメント機能とトラックバック機能に着目して、「従来のウェブ日記に比べてより積極的かつ能動的なコミュニケーションという側面を持っている」と書かれているが、どちらの機能もオフに設定している私にはピンと来ない。そもそも、コメントやトラックバックというものが「積極的かつ能動的なコミュニケーション」を志向しているといえるのかどうか、また、仮にそうであるとして、はたして「積極的かつ能動的なコミュニケーション」をブロガーは志向しないといけないのだろうか、という疑問が私にはある。ほどほどのコミュニケーンではなぜダメなのですか、と。ちなみに私は個々のエントリーにタイトルを付けることもしていないし(日付と天候のみ)、内容をカテゴリー分けすることもしていない。めんどくさいからというのが一番の理由だが、お仕着せのフォーマットに従うのは「主体的」ではないからという理屈も一応は用意している(もちろん広告は「非表示」に設定変更している)。

有隣堂で以下の本を購入してから、「シャノアール」で金曜日のゼミで学生が発表することになっているテキストに目を通す。
三崎亜記『バスジャック』(集英社文庫)
草刈民代『バレエ漬け』(幻冬舎文庫)
藤田憲一『末期ガンになったIT社長からの手紙』(幻冬舎文庫)
レモンスカッシュにはストローが付いてくる。でも、私はストローは使わずに直接グラスから飲む。その方が美味しい気がする。ビールをストローで飲む人はいないだろう。それと同じことだ。コーラもジュースも同様。ただし、クリームソーダの類は例外だ。クリームソーダをストローを使わずに直接グラスから飲むと、アイスクリームが鼻にぶつかるのだ。これは実証済みだ。
午後、原稿を少し書いてから、傘を差して散歩に出る。「テラス・ドルチェ」で昼食(ペペロンチーノと珈琲)をとりながら読書。池田謙一編『インターネット・コミュニティと日常生活』(誠心書房)の中から、志村誠「ウェブ日記・ウェブログによるパーソナル・ネットワークの広がり」を読む。ブログ(ウェブログ)を実践している人間として実感的に理解できる部分もあれば、「?」と思う部分もある。たとえば、ブログの特徴としてコメント機能とトラックバック機能に着目して、「従来のウェブ日記に比べてより積極的かつ能動的なコミュニケーションという側面を持っている」と書かれているが、どちらの機能もオフに設定している私にはピンと来ない。そもそも、コメントやトラックバックというものが「積極的かつ能動的なコミュニケーション」を志向しているといえるのかどうか、また、仮にそうであるとして、はたして「積極的かつ能動的なコミュニケーション」をブロガーは志向しないといけないのだろうか、という疑問が私にはある。ほどほどのコミュニケーンではなぜダメなのですか、と。ちなみに私は個々のエントリーにタイトルを付けることもしていないし(日付と天候のみ)、内容をカテゴリー分けすることもしていない。めんどくさいからというのが一番の理由だが、お仕着せのフォーマットに従うのは「主体的」ではないからという理屈も一応は用意している(もちろん広告は「非表示」に設定変更している)。

有隣堂で以下の本を購入してから、「シャノアール」で金曜日のゼミで学生が発表することになっているテキストに目を通す。
三崎亜記『バスジャック』(集英社文庫)
草刈民代『バレエ漬け』(幻冬舎文庫)
藤田憲一『末期ガンになったIT社長からの手紙』(幻冬舎文庫)
レモンスカッシュにはストローが付いてくる。でも、私はストローは使わずに直接グラスから飲む。その方が美味しい気がする。ビールをストローで飲む人はいないだろう。それと同じことだ。コーラもジュースも同様。ただし、クリームソーダの類は例外だ。クリームソーダをストローを使わずに直接グラスから飲むと、アイスクリームが鼻にぶつかるのだ。これは実証済みだ。
