<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

冬の夜の赤海鼠

2016年01月16日 18時58分23秒 | Weblog

冬の夜は赤海鼠がおいしいなあ。摺り大根をたっぷりいれる。レモンをかける。醤油1滴2滴。舌の上にのせる。奥歯で噛み砕く。ごっくんと呑み込む。こりゃあ、たまらないなあ。でも高価だからなかなか喰えない。今夜はこれがある。少量を食べておこう。

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さぶろう式風邪撃退法

2016年01月16日 18時36分57秒 | Weblog

くしゃみくしゃみくしゃみ。寒いわけではないが、くしゃみが連続する。世はインフルエンザが流行しているらしい。かかったのかもしれない。だが熱もない。知らぬふりをしておくか。それとも大事を取って、さぶろう式風邪発散治癒呼吸法を工夫実践して乗り切るとするか。

1)暫時、腹式呼吸をする。2)身(姿勢)と心(胆力)と息を調える。3)深呼吸をする。4)腹の底に息を溜める。5)これを長く吐く。6)できるだけ長く長く吐く。7)吐き切る。8)息を止める。9)ここで一気に勝負手に出る。10)すなわち全身で力む。11)全身がはち切れるまで力を込める。12)ううううう~んと唸る。13)全身が火玉の如く熱くなる。14)これを宇宙へ向けて発散放射する。15)両手を借りて(円を回して)鎮める。16)息を大きく大きく吸いこむ。

さぶろうはこれで治癒している。コツは息を止めたまま全身が熱くなるまで唸ることかなあ。

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仏陀の表現者

2016年01月16日 18時21分15秒 | Weblog

わたしは仏陀の表現者である。仏陀を表現する者である。

その位置づけにあるので、仏陀を表現する者でありたい。

この世に於いて仏陀を表現する者でありたい。

わたしは大宇宙の根源にある愛の意思の代弁者である。

愛の意思を代弁する者である。

この世にあって代弁するために生きている者である。

その意図を汲む者であるから、そのように生きていたい。

願わくば、仏陀を語り、宇宙根源の愛の意思を語りたい。

等しくその条件を満たしている者、阿僧祇劫の衆生とともに。不可量の衆生とともに。

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仏陀のよろこびをよろこび、大宇宙根源の愛の意思の、よろこびをよろこぶ者でありたい。

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身は已に私に非ず

2016年01月16日 17時14分11秒 | Weblog

「身已に私(わたくし)に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し」      曹洞宗経典「修証義」第一章より

さぶろうの受領を記す。狭く浅いので読者諸氏で広大とされよ、深められよ。

肉体はわたしのものか。わたしのものであったが、もはやわたしのものでなくなっている。

わたしのものであったら、自由にできるはずである。病まないでいられるはずである。老いずにすむはずである。

自由にはならない。我が身と思っていたのに、自由にはならない。

病む。老いる。壊れる。崩れる。死ぬ。そういう事実ががしみじみと分かって来る。

では、問う。わたしは肉体か。

肉体である。肉体を生きている。肉体が伴わなければわたしは生きて行くことは出来ない。

いのちの場所は肉体か。いのちはここを住み処としている。

いのちの時間(光陰)は肉体の時間か。そうか。ぴったり一致しているか。

肉体が病めばいのちが病む。肉体が老いたらいのちが老いる。抵抗は出来ない。

では、肉体が死ねばいのちも死ぬのか。

それだけならば、そこに仏は無用である。

肉体はわたしのものであったか、ほんとうに。いのちはわたしのいのちであったのか。

仏のおいのちを生きていたのではなかったのか。

わたしの肉体を生きていると見せて、実は仏のお命を生きていたのではなかったのか。

生死の中に仏あれば生死なし。

わたしの生死を生きていたのではなかったのだ。仏のおいのちを追体験していたのだ。

生まれて老いて病んで死ぬ。肉体はこれを体験する。四苦を嘗める。嘗めて学ぶ。仏を学ぶ。仏のおいのちを学ぶ。四苦の法を学ぶ。四苦を解脱する道を学ぶ。

「身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し」この真実を学んだのはわたしの中の仏のおいのちであった。

摩擦して火を起こして輝くものがある。あかあかと輝くものがある。わたしの中にあかあかと輝きだしたものがある。

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仏法聞き難し。聞き難けれどいま已に聞く。われはこれを聞く。道元禅師の説かれた仏法を聞く。

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三回忌の供養に

2016年01月16日 16時14分38秒 | Weblog

午前9時に出発をして親戚筋の三回忌の供養に、唐津まで行って来ました。凍り付いていないか心配しながら七山峠を越えて行きました。法会では曹洞宗の経典が読経されました。道元禅師の教えをまとめた「修証義」の第一章二章、それと法華経観世音菩薩普門品偈とを。説法はありませんでした。短時間ですみました。ご馳走が振る舞われました。一族の親戚の方々とお酒を飲みました。故人を偲ぶ話で盛り上がりました。帰りは家内の運転でした。助手席を倒しているうちに眠りこけていました。4時には帰宅しました。

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