<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

怠け者であって彼は賢者

2016年01月12日 20時42分38秒 | Weblog

もう寝ようかな。することがない。

することはあるはずだが、しないことにする。端からそう決めているので、することがない。

怠け者。さぶろうは怠け者。

たしかに彼は怠け者なのだが、しなくていいことをしている連中よりはしかし彼は賢者。

彼はするべきことさえもしていないのだから。

しないでさっさと寝てしまうのだから。

彼はしないでいいことはしないで寝てしまうことができる賢者。

これで宇宙全体の平和が促進される可能性が一段増すのだ。

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コガネムシは森だけでよかった

2016年01月12日 20時28分43秒 | Weblog

コガネムシは森だけでよかった。それだけの広さで十分だった。椎の木もウラジロも藪柑子もそれで十分だった。彼らはさっさと悟って、その先は仏界を飛翔した、軽々と。人間は地球全体を与えられてもなお十分としなかった。これを自己主張という紛争のためだけに使った。個と個と、民と民と、国と国とが、並列しているだけでも、争いを止めなかった。それだけの為に生きて、それだけのために重々しく死んで行った。

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ミズスマシ

2016年01月12日 20時09分34秒 | Weblog

世界中を紛争に巻き込まないと生きた心地がしないと豪語する男が居る。影響力を誇っている。その通り、世界中は紛争の渦を渦巻いている。もちろん彼だけの成果とは言い難い。多くの人もそうやって豪語しているのだから。己がいかに重くて重大であるかを誇示している連中だ。騒ぎを起こしているだけなのに。

ミズスマシが泳いでいる。いかにもいかにも軽くて、田圃に張られた水の上を浮いて走っている。夏の雲が水に影を落としている。それっきりだ。彼が夏の雲に彼の姿を映したいという欲望はなさそうだ。日はやがて翳っていき夕日が射して来る。彼はそれだけの美しさで成仏を果たした。

連中はミズスマシの成仏を小さな自己満足だと非難した。平和がそこにあったことをも即座に打ち消した。紛争を消し止めることこそが平和的行動だと言って退かなかった。行動することだけが世界を救うという幻想が、あらゆる行動を起こさせる必須条件になっているということを、彼らは信じたくなかった。

 

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不明

2016年01月12日 19時42分47秒 | Weblog

そんなことどうだっていいじゃないか。群衆がそれをスピーカーに鳴らして騒ぐ。

でもねえ。でもねえ。

(ここで時間が流れる。100年流れる)

(100年がたってようやくここそこに)

どうだっていいこと以外になにかありますか。そういう反論がわき起こる。

(あるかないかの吟味が始まる)

(裁判というのは慎重にならざるをえないという特性を持っているから、これはしようがない成行である)

(そういうわけで、吟味もまた100年がかかる)

(出たとしても、執行猶予つきだ。出した判決に裁判官自身が自信がない)

どうだっていいこと以外に何かあるか。これは重大な審議を経なければならない。ばかばかしいけど、そうなっている。

どうだっていいことが99,99%を占めているように思われてならないが、残りの0、01%を争って衝突する。これが言い争いに発展する。ストライキとデモが起きる。そのうちそれは血なまぐさい紛争に繋がる。

彼らは双方それが「どうだっていいことじゃないんだ」と声高に叫んでいる。「重大だ」「重大だ」とシュプレヒコールしている。

平和はいっこうに訪れては来ない。結局のところ、世界の平和は度外視されている。

どうだっていいこと以外に何かあるか。

虚仮が虚仮を生んで切りがない。

今日またトルコのイスタンブールのモスクで爆発が起こった。死傷者が出ているもようだ。

どうだっていいことの被害者だったのか。どうだっていいこと以外の犠牲者だったのか、不明である。

 

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自負

2016年01月12日 19時23分39秒 | Weblog

はい。わたしは仏陀の手先になろうと思います。

手先というのはちょっとどうかと思いますが、「先端で活動をする者」といった意味合いを持たせています。

仏陀の教え、法を具体化して実践するものはみなこの手合いです。

彼らは一様に「菩薩」と呼ばれています。

さぶろうが菩薩と呼ばれるには大いなる抵抗があります。

ですが、仏陀の法を実践する者は、かならずしも具体的な行動に出るだけではありません。

そこに至るまでの雌伏をも含めています。

すなわち思っているだけ、念じているだけでもこれに該当するのです。

華々しい活動をすることをのみ、仏陀がさぶろうに願っているわけではありません。

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繭を作ってひとり潜んでいてもいいのです。想いに沈潜していてもいいのです。

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これでも十分に役割を果たしているといえるはずです。

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そこが火になってまわりに火の在処を悟らせているということもできるからです。

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功徳に大小はありません。どんな些細な一つの想いも、仏陀の教えを輝かせているはずです。

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なぜなら、仏陀の教えそのものが輝きに満ちた力を内包し発散しているからです。

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さぶろうの場合、ですから、さぶろうの影響力はとても少ないかも知れません。

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ただ仏陀の手先であるという自負だけに留まっているのですから。

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往復20kmのサイクリング

2016年01月12日 17時37分50秒 | Weblog

雨は上がった。サイクリングに出た。城原川の川土手を南へ南へ走った。軽快に走った。漕ぐペダルに力が入った。汗が滲んできてマフラーを外し、ジャンパーを脱いだ。調子がいいのが分かる。川には鴨が群れを成して泳いでいる。今年はどうしたことか数が増えている。ところどころ早咲きの菜の花が風に戦ぐ。犬を連れて散歩している人の背中へ「後ろを通ります」と声を掛けて追い越す。旧千代田庁舎跡で曲がりスーパーのところまで行って引き返した。帰り道は緩やかだが長い長い上り坂になる。おまけに向かい風になった。漕いでもなかなかに進まない。ギアチェンジをするがそれでもゆっくりしか進まない。寒い。ジャンパーを着込む。わが住む聚落は遙か先の日ノ隈山の麓だ。夕暮れが迫る。気が焦る。疲れて急坂では何度か歩いた。帰宅したのは17時10分。往復20kmだった。2時間強を要した。

 

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一張羅ズボンの格下げ

2016年01月12日 14時10分31秒 | Weblog

今日は朝から嘗てはよそ行きだったズボンを履いています。家の中で。

背広の上下のズボンです。

それにズボンだけが2着もあるからね。

洋服ダンスにしまってあったものです。一張羅です。

10年、しまっておくだけだった。

そこで思い切って引っ張り出してみました。

仕事に就いていないから一張羅とはまるで無縁になっていたのです。

防虫剤の臭いがぷんぷんします。

着るとなんだか現役に戻ったみたいで身が引き締まるのをおぼえます。背筋がしゃんとしていい気持ちです。

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これからはこれを普段着にします。カジュアルウエアーに格下げします。

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ということはこれを身につける者が格上げになったことをも意味します。

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どうだ。胸を張ってクエスチョンマーク。ふううんの?

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といっても我が身は我が身。何処も格上げしたところも見付かりませんが。

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いっそ、これで畑仕事に出てみますか。

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草取りの畑がこの老人の神聖なる職場ですからね。

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わたしと阿弥陀仏とふたり

2016年01月12日 13時47分29秒 | Weblog

「Call My Name」「わたしの名を呼んで下さい」とは称名念仏のことです。呼んで下さいと呼びかけているのは阿弥陀如来です。だから、ここのわたしの名とは阿弥陀仏の名です。

南無阿弥陀仏と呼びかけると阿弥陀仏が現れて来ます。あなたのご用は伝えることはありません。お見通しですから。「南無します」「おかげでいい暮らしをしています」と甘えるだけでいいのです。

南無とはサンスクリット語のナーモ。あなたを信じておまかせをしますという意味です。

阿弥陀仏はその人をご自分と同じ仏にして下さいます。それが誓われていたのですから。約束は遂行されます。

「I'll call your name」「I'll call you」。わたしはあなたの名を呼びます。これが念仏です。「I believe you」「I believe in you」これで信頼が築かれます。信じるということがおまかせをするということです。

わたしと阿弥陀仏とのふたりの会話がなされます。念仏をしているときも、していないときも、同じです。この世に我が子を旅に出したのは親である阿弥陀仏なのですから。気がかりでならないのです。

念仏は呼び声。「はあい、ここですよ」「元気でいますよ」「この世でさまざまなことに挑戦していますよ」と手を挙げるようなものです。

念仏は受け止める声。「そりゃよかった」「そりゃよかった」「いつもここであなたを見守っていますよ」「安心をしていいですよ」の声が還ってきます。

「そちらでの勉強が終わって卒業の時にはあなたをお迎えに来ますから、その間は勉強だけに集中していいのですよ」とも諭されます。

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さぶろうは今日は葉祥明さんの絵本を読んでこんなことを思いました。

おやおや、外は雨のよう。これではサイクリングには行けませんね。俄雨かもしれません。

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Call My Name

2016年01月12日 12時30分44秒 | Weblog

葉祥明著「Call My Name」を読んでいます。副題は「大丈夫、そばにいるよ」となっています。日本語に英語が添えてあります。美しい日本語と美しい英語になっています。ことばは人なりです。ことばに人となりが浮かび出ています。ことばがその人の口を出ると同じ言葉なのに独特の品格を帯びてきます。もちろん美しい絵も添えてあります。絵が中心かもしれません。全篇、阿弥陀仏の仏の世界が巧みに説かれています。

まず「さあ、これからあなたを心洗われる浄(きよ)らかな世界へご案内しましょう」と語りかけてあります。英語ではこうなっています。「Let me take you to this beautiful,serene world,where your heart will be purified.」それからこう続きます。「そこは、見るもの聞くものすべてが穏やかな気持ちにさせるもので満たされています」「It is full of sights and sounds that will make you feel at peace.」

*

「人は皆、この世における巡礼者/あなたに起こること/あなたが経験することは/すべて、あなた自身の/修行のためです/それがいかに耐えがたくとも/必ず乗り越え/この人生をまっとうする術(すべ)があります」「All people are pilgrims in this mundane world.What happens to you,what you experience,are all for the sake of your learning. Howeve hard it is, you have a means of overcoming it and accomplishing your life. 」

「悲しみの淵から抜け出せないときには/わたしを想い/わたしを呼んでください/あなたが苦しんでいるとき/あなたが悩んでいるとき/いつもあなたのそばに/わたしがいることを/おぼえておいてください」「When you cannot escape from your sorrow,think of me and call my name. In your pain, in your anguish, always remember that I am here with you. 」

*

「わたしは決してあなたを/一人で放ってはおきません/心配することはありません/なたはいつも見護もられています/安心してください/どんなことがあっても/大丈夫、大丈夫です」「I will never leave you absolutely all alone. Don't worry. You'll always be looked after. Be at ease. What ever happens,you'll be all right.」

 

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コケコッコウ これでどうだ

2016年01月12日 12時05分48秒 | Weblog

もっとましなことは書けないのか、さぶろう。問い詰められてさぶろう、唸る。

書けない。

ましなことは書けない。

唸る。

唸って終わる。

反作用の浮力が起きない。これでは飛び立てない。

押す力だけが大きくなってそれでもみくちゃになっている。

水平翼に工夫がいるのではないか。

気流に乗るための工夫がいるのではないか。

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蜻蛉に倣え。

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まずは小さくなれ。

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おのれを軽く軽くせよ。

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削り取れ。

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蜻蛉は一人乗りだ。

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書くというのは蜻蛉になることでなければならぬ。

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人を乗せようとしてはならない。

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あくまでさぶろう一人を乗せる蜻蛉でなければならない。

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書くことは背中に水平翼をつけることだ。

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そして助走をしてみよう。

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そうすれば浮力がつくかもしれぬ。

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ふわりふわりが到達点だ。それ以上を狙ってはならない。

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唸っても唸らせることを期待してはならない。

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期待は禁物だ。

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達磨大師曰く「無功徳」。なんにもならぬ、と。

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なんにもならなかった、そこで終わって立派にケリが付いているのだった。

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ましなことをしようなどという色気が第一あやしいのだ。

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コケコッコウはコケコッコウと鳴いて雄鳥だ。

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コケッコッコウ。これでどうだ。

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