<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

神秘の美しい織物

2016年01月07日 09時55分17秒 | Weblog

陰と陽は互い互いである。こちら側での陰は向こう側からは陽になっている。だから、こちら側の陽は向こう側では陰となって映る。イギリスの朝が日本の夜になっているようなものだ。こちら側はもちろんこの世だ。向こう側をどう呼べばいいのだろう。

或いは呼吸の呼気と吸気のようなものか。吐いているときの胸は虚になっていくけれど、吐き出したところの外気はそれだけ満になって行く。吸うとそれが逆になる。こちらが満になって外気が虚を為す。

こちらを留守にしているときには、それは即ちあちらにいるということだし、あちらを留守にしているときにはこちらに居を移しているというのと同じだ。行ったり来たりしている。それが生死に見えている。

こちらに居るときには、こちらを楽しんでいればいいのだ。こちらにいないことを悲しむよりはずっといい。あちらに引っ越しをした者はあちらを楽しんでいればいいのだから。今の此処を是とするだけでいい。非在の向こうを非とすることはない。それはおもんぱかりではなく、取り越し苦労というものだ。

陰もなかなかこれで味わい深いところがあるのだ。活動の陽もそれはそれで賑やかでいいけれども、静寂の陰にはやすらぎがある。陰と陽は縦糸と横糸を為して大きな織物を織っているのだ。生死という美しくかがやく織物を織っているのだ。これは毘盧遮那如来に献上出来るほどの無限大で無尽の神秘的織物である。

そんなことを考えてさぶろうは遊んでいる。遊びは楽しむに限る。暇なさぶろうだ。夢想だ。たあいもない。

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曙光

2016年01月07日 09時33分34秒 | Weblog

明けて1月7日はもう9時半を回っている。やっと起きて朝食したところ。粥と大根人参の浅漬けだった。正月からこの方ラジオ体操もずる休みを決め込んでいる。ずるずるずると怠けが昂じている。もともとが怠け者。拍車が掛かっている。これでいいか。よくはない。だらしないさぶろう。空から見ているおっとうとおっかあに叱られそうだ。

朝寝がよくないのだ。真夜中3~4度のトイレ通いから解放された朝方、夜が明ける頃から深い眠りに落ちる。これがなかなかの快感である。夢見もいい。堅さがとれて、身心が飴状にとろりとろりになる。夜明け前には冷える。冷えるのであたたまっていたくなる。布団から出られない。それもある。

障子戸を全開すると曙光が部屋の奥深くまで差し込んでくる。霜は下りていない。風もない。山と山との広い空間でたなびいている白い雲が、光を吸って輝いている。村里は静かなものだ。今朝はいつもの冬鳥も飛んでこないようだ。鳴き声がない。侘び助の葉を垂れる寸前の水滴が幾つも幾つも宝石になっている。

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身震い

2016年01月07日 04時55分11秒 | Weblog

2016年1月7日が来ています。歩いて来ています。握手します。手のぬくもりを感じます。さぶろうに力が伝わります。活動します。今、夜明方の5時を回りました。おはようございます。力が伝わったのはさぶろうにだけではありません。もちろんのことです。すべてに伝わっています。すべてに活動が始まります。すさまじいエネルギーです。これを感じています。感じるだけでも身震いします。とてもいい一日のスタートです。

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陰陽という存在の在り方 

2016年01月07日 04時34分35秒 | Weblog

陰は隠れて見えないときの姿勢。陽は現れて見えているときの姿勢。陰陽は交互しています。互い互いしています。陰陽織りなしています。一枚の大きな大きな宇宙を織りなしています。これで美しい宇宙が織られていきます。見えなくなることを恐れることはないのです。陰で力を貯め、陽で力を発動します。陰は陽のためであり、陽は陰のためになります。どちらもなくてはなりません。永遠を生きるためには。わたしたちが永遠を生きるためには。生まれて死ぬのは死んで生まれるためです。陰と陽はすべてのものの性質です。

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宇宙とわたしたちは収縮と膨張を繰り返す

2016年01月07日 04時09分11秒 | Weblog

宇宙は収縮と膨張を繰り返しています。限りなく収縮していき、一坦0になります。限りなく力を貯めた0として存在します。0が爆発をします。ここから膨張がスタートします。限りなく膨張をしていきます。これが波を造って続きます。2つの波状曲線が波を織りなして、収縮と0と爆発と膨張を形成して行くので、限りがないのです。2曲線とは無量光と無量壽の波状曲線です。宇宙を対象として見ると無量光となり、宇宙を飲みこんで一つになると無量壽になります。仏とわたしたちが永遠を生きているとはそういうことなのです。

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