「身已に私(わたくし)に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し」 曹洞宗経典「修証義」第一章より
さぶろうの受領を記す。狭く浅いので読者諸氏で広大とされよ、深められよ。
*
1
肉体はわたしのものか。わたしのものであったが、もはやわたしのものでなくなっている。
わたしのものであったら、自由にできるはずである。病まないでいられるはずである。老いずにすむはずである。
自由にはならない。我が身と思っていたのに、自由にはならない。
病む。老いる。壊れる。崩れる。死ぬ。そういう事実ががしみじみと分かって来る。
2
では、問う。わたしは肉体か。
肉体である。肉体を生きている。肉体が伴わなければわたしは生きて行くことは出来ない。
いのちの場所は肉体か。いのちはここを住み処としている。
3
いのちの時間(光陰)は肉体の時間か。そうか。ぴったり一致しているか。
肉体が病めばいのちが病む。肉体が老いたらいのちが老いる。抵抗は出来ない。
では、肉体が死ねばいのちも死ぬのか。
4
それだけならば、そこに仏は無用である。
5
肉体はわたしのものであったか、ほんとうに。いのちはわたしのいのちであったのか。
6
仏のおいのちを生きていたのではなかったのか。
わたしの肉体を生きていると見せて、実は仏のお命を生きていたのではなかったのか。
生死の中に仏あれば生死なし。
わたしの生死を生きていたのではなかったのだ。仏のおいのちを追体験していたのだ。
7
生まれて老いて病んで死ぬ。肉体はこれを体験する。四苦を嘗める。嘗めて学ぶ。仏を学ぶ。仏のおいのちを学ぶ。四苦の法を学ぶ。四苦を解脱する道を学ぶ。
8
「身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し」この真実を学んだのはわたしの中の仏のおいのちであった。
9
摩擦して火を起こして輝くものがある。あかあかと輝くものがある。わたしの中にあかあかと輝きだしたものがある。
10
仏法聞き難し。聞き難けれどいま已に聞く。われはこれを聞く。道元禅師の説かれた仏法を聞く。
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