<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

どなた様もおやすみなさい

2016年01月25日 23時16分07秒 | Weblog

どなた様もおやすみなさい。夜も更けました。窓を開けて見ました。どうやら雪は止んでいるようです。しかし畑はまだ深い雪が積もっています。朝までに解けそうにはありません。雪は清らか。清らかな雪を見て一日が暮らせました。いい一日でありました。

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屋根の雪崩

2016年01月25日 20時16分51秒 | Weblog

屋根に積もっていた雪が雪崩を起こしだしている。どどどどどどずずずずずと低い音が腹に響いて来る。外の気温が上がっているのだろう。大量の雪が落ちて来る。この分だと明日には止むのかもしれない。峠を越すのかもしれない。

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湯を沸かして母を待つ (俳句の作品を拾う)

2016年01月25日 15時59分41秒 | Weblog

やや気温が上昇したいるのか、どどどどおっと積雪が屋根を滑り落ちる轟音が響いた。車を覆っていた雪もそろりそろり解け出して地肌が見えて来たようだ。それでも雪は降っている。

NHK全国俳句大会入賞作品から拾いました。

1) 湯を沸かし冬耕の母待ちにけり  東京 榎 正好  (宮坂静生選 特選)

わっと泣きたくなった句。こんなあたたかい俳句があってもいいのだ。さぶろうの母も開墾した山の畑で遅くまで働いていた。冬に畑を耕すと顔が蒼白になって帰宅した。湯を沸かすなどはなかった。風呂など家にはなかった。「もやい風呂」といって近隣の4~5軒で共同使用した。女性はいつも終い風呂だった。母は老いた祖母を背中に背負って風呂に出かけ、冬風の中を戻って来ていた。さぶろうの小学校低学年時代である。

2) 母よりも姉よりも生き雛飾る  千葉 小泉恂子 (鷹羽狩行 選 特選)

これもぐっと来る。俳句はこんなに情が深くていいのか。母が飾っていた雛を姉が飾り、姉が飾っていた雛を今度は妹が飾る。順送りである。長く生きた者がこうして雛飾りを繋いでいく。そしてもうすぐ次へ渡すときが来る。その橋渡しをしているに過ぎないけれど、長く生きた者の感慨が湯になって溢れてくる。

3) 髪切って逢いに行くなり夏怒濤   熊本 大即和枝 (寺井谷子選 特選)

勇気を奮い起こしてあの人に逢いに行く。恋しい。勇気を奮い起こすにはどうすればよかったか。彼女は長い髪を切り落とさねばならなかった。唇に紅を塗ってさっそうと夏風の中を進んで行く。海からは潮鳴りが静かに聞こえて来た。するうちそれが高鳴った我が胸の鼓動に合わせるように怒濤となって響いて来た。彼女の決心はいや増しに強くなった。俳句でも恋が歌えるのか。

4) 雑踏を夜学の鞄かけ抜けし   東京 島田邦子 (星野高士選 特選)

ううん、やっぱりぐっと来る。一人の夜学生がどどどどどっと駈けていった。雑踏を掻き分け掻き分け。鞄の音が高い。仕事が遅くなってそれで夜学への道を急いでいるのだろう。工場の油の臭いがくんとする。作者でなくともエールを送りたくなるではないか。胸が熱くなるではないか。夜学生はこうして幾人の人の胸を熱くしたであろう。それには気がついていない。ただただ間に合うようにと急いでいるだけだったのだから。

5) 泣き叫ぶ入園の子を抱き上ぐる   東京 久保修平 (三村純也選 特選)

これもエモーショナルだ。ぐっと来る。入園式から数日が経った。今日も園に着いた。背中を押す。母を離れてここで一人で過ごさねばならない。幼児はこれを察知して早くも泣き叫ぶ。母になる人はどうしようもない。あやしてみるのだが、幼児は泣き止まない。とうとう入園する子を追って走って行って抱き上げてしまった。よく見かける風景である。これが俳句になった。入園だからこれは春の句だろうか。

さぶろうはどうも情に弱い。拾った句がみんなこうだ。

6) きのうとは違う山河や白鳥来   埼玉 高松文月 (宮坂静生選 特選)

これはやや叙景的。白鳥がやって来た。するといきなり目の前の山河がみるみる新しくなって広がってきたというのである。白鳥の存在や大なり。作者も昨日よりは違う気持ちを抱いて空を見上げたであろう。 

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鎖に繋がれた象と冬至の南瓜

2016年01月25日 15時40分42秒 | Weblog

これで終わりにしよう、短歌鑑賞は。

冬至の日象のメリーが南瓜割る鎖に繋がれていない方の足で    岡山県 高原晴子

(米川千嘉子選 特選 NHK全国短歌大会入賞作品より)

冬至の日には南瓜を食べる習慣がある。で、メリーという名のメスのインド象に南瓜が差し出された。ここは動物園である。熱いところに棲む象は、寒い冬が苦手だろう。それでも動物園は開園されていてこども連れの観客が押しかけて取り囲んでいる。象の全身は乾いてかさかさになっている。彼女は鎖に繋がれている、片方の足を。もう一方の足しか使えない。メリーが投げられた南瓜を鎖のない軽い方の足で踏みつぶした。長い鼻でこれをぐるぐると巻き込んで口にくわえ込ませた。南瓜は南国カンボジアから伝来した。メリーの細い目が遠い故郷を懐かしんでいた。鎖に繋がれた動物園での不自由な一生に提供されたたった一箇の冬の南瓜。これがクローズアップされて切ない。さぶろうにはとても切ない。

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こころに川が棲む

2016年01月25日 15時26分44秒 | Weblog

何時からかわれの心に川が棲みのたりのたりと流れ行くなり   宮城県 曽良 博  (岡井隆選 特選 NHK短歌大会入賞作品より)

川がわがこころに棲んでいるとは奇妙じゃないか。それでも惹かれる。どうしてだろう。川というのは棲み着くものなのか。この川はのたりのたりしている。急流ではないらしい。川幅が広くなくてはこうは流れない。ということは我が心というのが余程広いということ。川をのたりのたり流すほどの広さだ。流れ流れて海へと流れ込んでいるだろう。最初からあったわけではない。途中からひょいと棲み着いてきたようだ。どう解釈していいか分からない。川は何を象徴しているのか。ひねもすのたりのたりしている己自身のことなのか。これだけのこころの余裕が生まれたということなのか。それとも仕事もせずに暮らしている己への風刺か。ともかく、のたりのたりに人は憧れるだろう。奇妙な感覚のする作品だ。それがいつまでも読者を考え込ませて離さないでいるのかも知れない。

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荒縄が遊具であった

2016年01月25日 14時24分31秒 | Weblog

荒縄が遊具であった昭和の子 大なみ小なみの海を跳びけり     兵庫県 上月しげ子  米川千嘉子選 特選  (NHK全国短歌大会入賞作品より)

さぶろうも昭和の子。終戦の年に台湾で生まれた。翌年キールンの港から引き揚げ船に乗って和歌山に上陸したらしい。船中で死にかけていたらしい。下痢が止まらずお襁褓が尽きて困ったらしい。それはそうと、縄跳びの縄は荒縄であった、たしかに。それもぼろぼろの。これで遊んだ。こんなものにか遊具がなかった。それでも大波小波が飛び越せた。海を遊びの中に引き込んで大らかにして暮らすことが出来ていた。いまはどんな近代的な遊具だってある。でも、こうはいくまい。この大らかさはあるまい。雄大さはあるまい。こどもの遊具は大人に与えられたらそこでもうおしまい。こども自身が開発するものである。「平成の子たちよ、どうだこの心意気!」と言いたいような素朴で力のある歌に巡り会えた。・・・とはいえ、さぶろうは運動音痴で且つ小心者。荒縄の縄跳びを苦手とした。女の子にも笑われていた。

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瓦礫を包む昼顔のやさしさ

2016年01月25日 14時03分32秒 | Weblog

今日はNHK全国短歌大会の入賞作品を読んで感動させられているので、作品鑑賞を幾つも続けています。みなさんうまいなあと感心するばかりです。これも鈍感さぶろうにその感動の槍を突き刺して来た作品。

三年の月日に丘となる瓦礫包みてやさし昼顔の花   福島県 深町一夫  (永田和宏選 特選)

東北を襲った大震災の瓦礫の山に三年月日が流れた。そこが小高い丘になった。昼顔が棲み着いたのだ。瓦礫は震災の残骸であったけれども恐怖の瓦礫でもあった。それを拭うようにして昼顔が昼間からうっすら花を咲かせて慰撫している。人々の恐怖を押し包むようにして包み隠している。いつか近いうちにこの丘は震災メモリアル公園になるのかもしれない。昼顔の花は蔓性多年草。原野に自生している。淡紅色。若い芽は食用にもなる。生命力が旺盛なのだろう。人が近づけないところにも近づいてそこを手なずけてしまうエネルギーを発揮できる。ソフィア・ローレン主役の同名の映画が思い出される。これは悲しい物語だった。この短歌をいろどる昼顔は希望を語っている。

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石の上の青い蜥蜴

2016年01月25日 13時39分49秒 | Weblog

石の上に秋の陽しろきよき日なり 安らへよいま青き蜥蜴よ    群馬県 柴崎好子 

坂井修一選 特選 (NHK全国短歌大会入賞作品より)

絵だ。絵が現出している。美しい絵だ。ことばという絵筆の巧みな使い手だ。青々とした背中の蜥蜴が石の上にいる。秋の陽が射している。たったそれだけなのに、短歌の魔術に掛かるとこの通りだ。石の上に秋日が射すとどうしてよい日になるのか。秋の陽が射したところだけが白く光っている。そこへ青い背中をした蜥蜴が悠々と安らいでいる。これでこの位置のこの時間が宇宙中が一斉に賞賛する<よい日>になっている。「安らへよいま」の命令形は「さあ、もっと安らぐがいい」「この瞬間を安らいでおくといい」というくらいのやさしい表現なのだろう。 ことばで描いた美しい絵を見た。白い青い絵を見た。よほどよほどポエテイックな目を養った方なのだろう、作者は。こうなるともう和歌は文字の範疇を超えて次のさらに高い抽象世界にまで行ってしまうようだ。

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トー・ラ・サンペ

2016年01月25日 13時25分34秒 | Weblog

アイヌ語にトー・ラ・サンペ(みずうみのみたま)と呼ばれたり まりもは阿寒の湖(うみ)に眠りて      北海道 奥原一子 馬場あき子選 特選 NHK全国短歌大会入賞作品より

阿寒湖にはまりもが棲息している。ここはかってアイヌ人の住んでいたところ。アイヌ語では「トー・ラ・サンペ」と呼ぶ。これは<みずうみのみたま>として崇められた。侵しがたい神の存在であった。アイヌ民族はここを追われてしまったが、みずうみのみたまはここに静かに眠っている。深い湖を守っているまりものうしろに北海道少数民族の悲哀が偲ばれて来る。なんだか体がしんと冷えてしまった。

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雪の道を歩いてみる

2016年01月25日 12時48分03秒 | Weblog

さぶろうは雪の道を歩いてきました。といっても家の周辺だけ。木剣を杖代わりにして。深い深い雪。ざっくりざっくり足を取られてしまいました。雪が解けているところが1箇所ありました。浄化槽の蓋の上です。浄化槽の中が温まっているのでしょうか。よく分かりませんが。おやっと思いました。それから新聞屋さんが困らないように、玄関までの小径を踏み固めておきました。雪はちらちらちらちらしています。小鳥が山から下りてきて食べ物になる木の実を探しているふうです。お昼は釜揚げうどんをして残っていたカレーをかけて食べました。明日まで雪は降り続きそうです。若い人は仕事をどうするのでしょう。出かけて行くには危険が多すぎます。雪達磨でも作ろうかと一瞬思いましたが、それにはゴム手袋が必要のようです。諦めました。こどものいる家庭だったら昨日今日の二日間で雪達磨が何個も作られていることでしょう。

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