<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

年賀状の返事書きを

2016年01月03日 20時59分08秒 | Weblog

頂いた年賀状の返事を描いて過ごしました。クレヨレ水彩画と詩を添えて。それぞれ別の絵柄と別の詩で。それで終日かかってわずか14枚だけでした。これじゃ捗りません。そして疲れてしまいました。年賀状は買っていませんから普通葉書でまにあわせました。賀状のやりとりはしないと決めていましたのに。破ってしまいました。どうしても礼儀を欠かせない方がおられたからです。そうするともう堤防決壊です。次々と書かねばならなくなりました。皆さんの温情を無駄にはできなくなりました。明日も明後日もその次も書くことになりそうです。それは避けるべきです。 

 

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ふしだらに羞恥心なし

2016年01月03日 08時59分13秒 | Weblog

今年の正月はあたたかい。おだやかである。村里は冬鳥の棲むところ。草の茂るところ。雲の湧くところ。そこにさぶろうを遊ばせる。ふしだらのさぶろうのふしだらがここを塒とする。鳥も草も雲も彼を羞恥させない。彼も羞恥心を起こさない。正月はどこへやら。さぶろうはまだ布団の中。9時を回ったというのに。障子戸も締めたまま。

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みな動く 動かない者のために動く

2016年01月03日 00時37分05秒 | Weblog

さあ、もう正月も3日目である。さぶろうはじっとして動かないでいるのだが、時間が動いている。そうする方がいいということだろう。時間以外でも動いているものはたくさんだ。むしろ動かない方が少ない。地球も動いている。月も動いている。太陽だって銀河だってそうだ。みないい方向へいい方向へ動いている。さらにいい方向へもっともっといい方向へという具合に。なんのために? さぶろうのためにである。そうすることで、動かないさぶろうを動かしているのである。みんなで言い合って利他をしているのである。日は一年365回新しくなる。それと同回数だけさぶろうが進歩ができることになっている。分や秒にするともっとだ。たとえばそれは濡れ手に粟がつくようなものだ。この粟はみな宇宙の愛である。

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