<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

幸福独占禁止法

2016年01月26日 23時41分41秒 | Weblog

あなたは幸福独占禁止法に違反しているので逮補します。この容疑でさぶろうは捕まるかもしれない。健康独占禁止法にも長生独占禁止法にも違反しているのかもしれない。独占しないで分け合うべきところを無視してしまったのかもしれない。人は分け合って生きているはずである。喜び合ってもいるが耐え合ってもいるはずである。耐え得る力がないので人に耐えさせていて知らぬ顔をしているのかもしれない。今夜はふっとそんなことを考えてしまった。幸福を分けてやれそうな位置にいる自分をさぶろうは今夜感じている。月夜。静かで美しい一面の銀世界がふかぶかしてさぶろうの前に広がっている。

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幸福の取り分

2016年01月26日 23時17分22秒 | Weblog

ひとりでひとりじめをしているのかもしれない。幸福を一人占めしているのかもしれない。人が味わうべきところまでを奪っているのかもしれない。人が当然耐えるべき不幸に耐えられないで、それを放棄しているのかもしれない。一人の人間の幸福と不幸の割合は多分5対5のはず。わたしが幸福に傾き過ぎていれば、残った不幸のその分を人に補なわせているということだってありうるのではないか。さぶろうはふっとそんなことを考えてしまった。いい気になつていてはいけないように思った。

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あまえてばかり

2016年01月26日 20時44分57秒 | Weblog

どうしてほしいんだ、さぶろう? 

さぶろうがぐずっている。何かしてもらいたいらしい。いい年をして。

あかんぼうのようなさぶろう。いつまでたってもあかんぼうのようなさぶろう。

おっかあのおっぱいをほしがるさぶろう。こいつにはまるで成長というものがない。

駄々っ子のままだ。

してほしいことばかり。してもらいたいことばかり。

自立がない。まるっきりない。

仏陀のお慈悲にすがるばかり。

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ウイスキーのお湯割り

2016年01月26日 20時33分11秒 | Weblog

ウイスキーをお湯で薄めて飲んじゃった。もったいない。でももう生では飲めない。濃い過ぎる。老人は心身ともに希薄だ。水のようだ。肴はホーレン草のおひたし。胡麻垂れにまぶして。

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千日万日も朝に道を聞かないさぶろう

2016年01月26日 17時40分09秒 | Weblog

朝(あした)に道を聞かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり。さぶろうは何百日を死に損なっていることか。道を聞かないばかりで夕べが来る。この繰り返しだ。まるで死なないことが死ぬことよりも正しいことだとでも思っているフシがある。道を聞かないさぶろうが、その不甲斐ないなれの果てで、死を損なっているだけなのに。彼岸には渡らず無目的に此岸をぐるぐる回っている。この道が先へ先へ、遙かな先へと続いていることを知らない。途中でこの道が切断されて消えているとでも思っているので、その邪心に取り憑かれて正しい智慧が生まれてこないのだ。仏陀の国へとこの道は至っているのだ。耀きへさらに大きな耀きへと貫かれているのだ。そこへ近づいて行くのをどうしてこうも恐れてばかりいるのだろう。大きな一本の道。信の道。この道ははじめから仏陀によって敷設されているのに、さぶろうにはこれが見えない。仏陀の配慮が見えない。見えていても信じられない。この道を進めば向上を辿って行くということがどうしても信じられないで、来る日も来る日も迷い道だ。朝に道を聞かないさぶろうはこの先幾日夕べを死なないで行くのだろう。この世の完成を見ないで行くのだろう。

 

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雪の畑をざぶざぶざぶざぶ

2016年01月26日 17時22分42秒 | Weblog

ダニエル・バレムボエム指揮べートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトを聴いています。ヴァイオリンはイチャック・パールマンです。ああ、いい気持ちです。さっき外に出ました。怠け者がやっと着替えてみました。長靴を履いて、マフラーを首に回して杖を突いて雪の畑をざぶざぶざぶざぶ歩きました。土は見えません。向こうの竹藪に辿り着きました。静寂がひとりで遊んでいました。これもさぶろうをいい気持ちにさせました。戻って来てYouTubeを開きました。さぶろうの魂がクラシック音楽に酔い痴れるためです。贅沢です。ときおりドドド~ンドドドド~ンと大砲の音がします。これは屋根から落ちる雪崩の落下音です。重奏低音です。雨は降っていませんが雪解けの水音もますます激しくなってきました。雲が赤く焼けたところがあります。もうすぐ6時です。一日が終わります。

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法華経の宇宙観 さぶろうの受け取り

2016年01月26日 15時07分28秒 | Weblog

仏、諸々の比丘に告げたまわく。乃往過去の無量無辺、不可思議、阿僧祇劫のとき、爾(そ)の時に仏有(い)ましき。大通智勝如来、応供(おうぐ)、正徧知(しょうへんち)、明行足(みょうぎょうそく)、善逝(ぜんぜい)、世間解(せけんげ)、無上士(むじょうし)、調御丈夫(ちょうごじょうぶ)、天人師(てんにんし)、仏、世尊と名づく。其の国を好成(こうじょう)と名づけ、劫を大相(だいそう)と名づく。諸々の比丘よ、彼の仏の滅度より已来(このかた)、甚だ大いに久遠なり。       妙法蓮華経(法華経)化城諭品第七より

お釈迦様は多くのお弟子衆に向かってこのようにお話をされたことでございました。「遠い遠い昔の昔、考え及ぶこともできないような過去世がありました。そこに一人の仏がおいでになっておられました。大通智(だいつうちしょう)如来と申されるお方です。この仏が住まわれている国の名は好成という国土で、その時代の名は大相と申しました。お弟子衆よ、この大通知勝如来が入滅されてからこのかた、どれだけの月日が流れたかとうてい計り知ることが出来ません」

仏さまはその他に10の名号を持っておられます。如来、応供、正徧知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、世尊がこれです。

宇宙は終わって始まってまた終わってまた始まっています。この繰り返しを続けています。わたしたちの住む世界もそうです。その度ごとに仏さまが現れておられます。大通智勝如来もその一人です。この如来のおられた世界を好成と呼び、このときを大相と呼んでいました。仏さまは無量寿のおいのちですが、しかし、新しい向上を迎え入れるために入滅をされます。ここで宇宙が終わりを迎えます。また新しい如来がお生まれになります。宇宙がそれとともに始まります。ビッグバンは何度でも何度でもその度に起こります。でも仏の意思は貫かれています。

我は如来の知見力を以ての故に、彼の久遠を観ずるに、猶今日の如し。

わたしはこのようにこの世界に現れた多くの如来(仏)たちの知見を授かっているので、このように久遠の昔の仏たちのさまざまな世界もそれがまるで今日ただいまのようにはっきりと観ずることができるのです。

こんなふうに続いています。この宇宙が何度も何度も現れて消えてまた現れてというところがさぶろうをとっても揺り動かします。さぶろうもまたその仏たちに従って何度も何度も生き死にを繰り返しながらいのちを貫いてきているという事実を教えられるからです。これはさぶろうの受け取りです。法華経のさぶろうなりの受け取りです。大通智勝如来が、だから、懐かしくもあるのです。記憶には止めていませんが、出会ったことがあるからです。教えを受けていた頃があったのです。

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静かな村里

2016年01月26日 14時36分49秒 | Weblog

屋根に積もっていた雪が解け出した。軒下に雫が落ちて来る。ぽたぽたぽたぽた雫は雨音を作った。畑の雪もじわじわ解け出していると見えてかなりうっすらとはなってきたが、白菜も大根もまだ姿を現さないでいた。往還に続く小径は人が行き来してぬかるんでいた。さぶろうはどこにも行かない。パーボ・ヤルビ指揮のシューマンのシンフォニーを聴いている。ピアノを弾いているのは肌の浅黒い女性でやけに大きな胸がピアノ以上に強調されていた。後ろへ突き出た腰もむっちりして肉感的だ。名前は知らない。空き家になっている隣家の水道管が破裂したらしくて水音がしていたので、朝の内に持ち主に知らせてやったら早速ご夫婦でやってきて実情把握に努めていたふうだったが、解決不可能と見て昼から今度は業者を連れて来られた。てきぱきと作業が済んだ。またもとの静けさに戻った。この空き家はときどき窓を開けて風通しをされている。一人で住んでおられた老人が亡くなった後は、誰も住んではいない。近所のお宅の藪に八朔が鈴なりになっているのを発見した。ここには90才近い老女が一人で住んである。お元気にしてあるが、ときどく消息を伺いに出向く。数日前に大根漬けと白菜漬けとを持参した。数匹の猫が飼ってあって玄関を開けると猫が飛び出してきた。八朔の話をすると「お好きだったらどうぞ。行ってちぎってください」と返事が返ってきた。「じゃ、雪が解けたら幾つかおもらいしますね」と答えて帰ってきた。此処は静かな村里である。

 

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昼下がり

2016年01月26日 14時16分24秒 | Weblog

昼食は手作りのカレーうどんだった。おいしくてぺろりと食べてしまった。昼下がり、本年の大学入試センター試験の国語の問題を読んだ。漢文と現代文の一つを。漢文は問題も解いてみた。解けたように思う。現代文は佐多稲子の「三等車」の全文だった。新聞活字が余りにも小さいので目が悲鳴をあげた。これは問題文にまで進まないうちに止めてしまった。英語も解こうと思うが怠けてそこを開いていない。ただし、問題文が載っている新聞は捨てずにいるから気が向いたら解こうと思っている。「200点満点中100点まで行けたら御の字?」家内が口を入れてきた。「どうかね」さぶろうはあいまいな返事をした。「解いてみようという元気があるっていいわね」家内が言葉を継いだので、さぶろうは黙って頭(かぶり)を振った。自信はあるようでないようで宙ぶらりんだった。というのも制限時間内ではもうとうてい解けないからだった。急がされると老人はすぐにもこけてしまう。そこがだからとっても怪しかった。解いても解けたことにならないのではないか。そんな気もする。でも、今日読んだ漢文と現代文その1は案外すらすらと早足で読めたようだった。それも割かし楽しく読めたようだった。家内が部屋を開けて「あなたもちょっとは外に出た方がいいんじゃない?」と言って来た。彼女はこれから城原川の土手を南北に歩いて来るらしい。「雪が残っているから滑るよ」さぶろうは彼女の方へは振り向かないでそう言った。玄関を出て行く音がした。

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雲は甘い 月は酸っぱい

2016年01月26日 11時54分18秒 | Weblog

見るものをすべて味わう幼子は雲あまい月すっぱいと言う  東京 杉山桃子  小島ゆかり選特選  (NHK全国短歌大会入賞作品集より)

幼子は感受性が豊かだ。さぶろうはすっかり乏しくなってしまった。見るものはたくさん見ているのに感動をしていない。あたたまっていない。代わって歌人達がこれを伝えて来てくれる。幼子には雲が甘く月が酸っぱいらしい。どうな情景なんだろう。なんでも口に入れて味わっているということだろうか。酸いも甘いも嗅ぎ分ける能力を遺憾なく発揮しているので、まわりの大人達は目を丸くする。同じ日常なのに幼子はとにかく次々に大発見をする。これを咀嚼する。身心の随所に消化器官が発達していてたちどころに消化してしまう。赤ん坊はそういえばそこにあるものを何でも口に入れてしまう。世界の全部を味わいたくてたまらないのだ。そうか、雲を口に入れたら苺のように甘いのか。月はレモンのように酸っぱいのか。今度さぶろうもこの抜群の調味料を口にしてみよう。

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