<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

カレーライスを好む

2016年01月31日 20時33分50秒 | Weblog

カレーライスはおいしい。さぶろうはどろどろは、しかし、好きではない。さらさらしたのが好き。濃いのは苦手だ。薄いのを食べる。さぶろうが薄っぺらだから、これで釣り合う。しかも、少量でいい。がつがつはしない。辛すぎるのも避ける。要するに子供なのだ。玉葱の分量を多くする。すると甘みが増す。ここも子供だ。茸のエリンギはカレーによく合う。ニンニクも必需品である。しかし、僅かでいい。今夜の夕食もこのさらさらカレーで締めくくった。そして舌嘗めずりをした。福神漬けもラッキョもあるにこしたことはないが、なくてもいい。冷えたミルクを飲み飲みすると食欲が増すけれども、さぶろうはこうするとたちまち腹をこわしてしまう。

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こっちもあっちも仏の領海内

2016年01月31日 13時28分28秒 | Weblog

案じないでもいいから、分からないようにしてあるのです。どっちだっていいからです。死んだらどうなるか。これは如来さんが案じていることで、さぶろうが案じることではないのです。さぶろうは生きているところまでで十分。その後はどのみち如来さん任せなのです。仏界の一手引き受けなのです。知ったからと言ってそこでどうにかしようとすることはできないのです。ここも仏の領海内だし、向こうも仏の領海内ですから、変わったところはないのです。仏界の法があって調和があって安心が広がっているばかりなのです。これに安心できるところまで来るのが今世でのさぶろうの修行になっています。死んだらどうなるか。さぶろうはやはり守られて導かれて安堵して次なる新しい歓喜世界に暮らします。ガンジス川の砂の数ほどの諸仏の仲間入りをしながら。ワンランクアップした新しい歓喜世界への移民ということになりますか。といってもそれを実行してくれるのも如来さんですからね。わくわく。

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妙好人の受け取り方

2016年01月31日 12時44分27秒 | Weblog

「ゑゑな、世界、虚空がみな仏、わしもそのなか、なむあみだぶつ」

(浄土真宗の在家信仰者・妙好人 岩見の国 浅原才一翁 彼は下駄作りの職人だった)

「才一や、如来さんわ、だれか。如来さんかい。へい。如来さんわ、才一が如来さんであります」

彼はこういうふうな信仰を持っていたようです。「世界虚空が仏であって、そこに住んでいる者が仏である、吸う息吐く息どれもこれも、ここでは仏として生きる以外の生き方を持たない」という信仰を持っていたようです。徹底者でした。

仏が衆生に、「仏として生きよ、如来として生きていい。ここはそういう世界だ」と言っているという受け取りです。「そうしてくれとひたすらひたすら頼んでいる」と言っているという受け取りです。彼はこれに素直に従ってにこにこして仏に成っています。仏の世界が出来上がっていますから、事改まって彼が仏の実践をすることもないのです。泰然自若でいいのです。これで仏としての歓喜に包まれています。

こうなるともう死んで仏の国に行かなくともすんでいます。完了しています。

(ここからはさぶろうの所感です)

仏界でなければとても人間になんてなれないのです。人間をして暮らしてはいけないのです。何処にも此処にも仏界の法(ダンマ)が行き渡って行き届いて満ち満ちているので、さぶろうの人間としての暮らしが成り立っているのです。それでそれを信頼しきって南無阿弥陀の中にいることができるわけです。「われがそのなか、なみあみだぶつ」阿弥陀仏に信頼しきって南無阿弥陀仏の中にいるのです、すべての人間が。このことに気がつくか気がつかないか、そこが境目には成っていますが。そんな境目なんて構うことはありません。障碍にはならないのです。浅原才一はここに気づいていた人のようです。

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ヴァイオリンを持つ人は美しい人

2016年01月31日 12時13分31秒 | Weblog

ほ。もうお昼だ。お天気は持ち直したようだ。屋根がきらきら光っている。この分なら梅の開花が早まるかも知れない。

なんにもすることがないさぶろうはヒラリー・ハーンのヴァイオリンを聴いています。ブラームスのヴァイオリンコンチェルトが流れています。指揮はパーボ・ヤルビ。冷たいさぶろうの氷がとろとろに熔け出しそうです。

何故こんなにもヴァイオリンの曲が好きか。思い当たることがないでもありません。第一は村の中学校の音楽室にヴァイオリンが飾ってありました。棚の上段に。鍵が掛かっていましたが、手に取りたくてならなかったことがありました。第二は大学に進んでからのこと。室内楽団に美しい人がいました。ヴァイオリンを弾いていました。さぶろうは広いチャペルの舞台での練習を片隅でよく聞いて過ごしました。彼女は楽団のクレオパトラ。あるとき勇気を出してアタックをしてみましたが高嶺の花で相手になんかしてもらえませんでした。でも日記帳にラブレターを何通も書いて過ごしました。第三はメンデルスゾーンとの遭遇。教壇に立つようになってからのこと。ある朝FMラジオから流れて来た彼の作品64に強烈に痺れたのです。いまでもヴァイオリン奏者にはすぐに目が行きます。楽器ケースを背にして歩いていく人の後ろ姿でさえもさぶろうにメランコリーな感情を掻き立ててきます。ヴァイオリンを持つ人は即ち美しい人なのです。美しい人生を生きている人なのです。

もちろんヒラリー・ハーンも。彼女はさぶろうの天使になっています。背中に白い翼が見えるようです。

 

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ちょっと場違いの喫茶店でランチ

2016年01月31日 11時46分47秒 | Weblog

このブログはそろそろ満杯になるんじゃないのかな。書き始めて10年が経っている。それともまだ書き続けられるのかしらん? 読んで下さっている方も増えてきたようだから、没にするのも惜しいけど。訪問者数は昨日も230人ほどだった。閲覧数は900を越していた。みなさんに感謝しています。

昨日仏画展に見に行った帰り、「蜜蜂」という喫茶店ふうのレストランに立ち寄った。駐車場の近くにあったお店だ。古くからあるようにしていた。ムードを出すためか室内をやや暗くしてあった。調度品がアンテイークめいていた。家内はマカロニグラタン、僕はアツアツの鉄板にのった茸スパゲッテイを食べた。どちらもチーズ味がよく効いて濃厚だった。おいしく頂いた。カロリーが高そうで、分量も多くて、いかにも若者向きだったけれど。店にはカップルが数組、一人が数席あった。おいしい珈琲が付いて980円だった。懐かしい往年の映画音楽が次々に流れて来て、口が自然とハミングをした。家内と一緒にこんなところでロマンチックに洋風ランチを食べるなんてこの数十年なかったことだった。隣の席の恋人風の若いカップルから「おやおや、ここはあんたらのような高齢者が来るところじゃないんだぞ」なんて睨み付けられそうにも思った。ちょっと場違いだったかも知れない。

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今日は弟の月命日

2016年01月31日 11時18分39秒 | Weblog

怠け者9時に起床。それで一丁前にのこのこ朝ご飯を食べた。納豆ご飯と味噌汁。味噌汁には千切りの細い大根が入っていた。ご飯を少し残して焼き芋を一口啄んだ。一口ですんだ。それからデザートに自家製甘酒を飲んだ。直径十cm深さ5cmほどの小さなガラス椀一杯。甘味がぐんと濃くなっていた。

それから隣家から頂いてきていた八朔蜜柑3個の皮剥きをした。皮が固くてごつごつしていた。

それからまたもや青首大根の乾燥大根作りに移った。念入りに念入りに細く細く切った。肥大した大根を3個で干し場がなくなってしまった。大根はダムである。水分をたっぷり貯め込んでいる。切るとそれがぽとぽとと垂れてくる。洗濯を干して列べる衣紋掛けに吊してもそこから水滴が落ちた。

どうしてこれだけの水分を溜めておかねばならないのかを考えざるを得なかった。長生きを図るために違いないと考えた。春になって花を咲かせて実をつけるまで生き延びなければならない、そのためだろうと考えた。それを途中で人間が横取りして食べてしまう。計画を途中で断ってしまうのだから、ああ、残酷なことをしているのだなと思った。

日がちょっと翳って来た。上天気は夕方までもたないかもしれない。今日は弟の月命日。弟の家の仏壇にお参りしてこようかと思っている。迅速に浄土往生をしてはや成仏を果たしているからここにはいないかもしれないが。

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さあそろそろまた寝るとする

2016年01月31日 06時15分01秒 | Weblog

さ、また寝よう。6時を過ぎた。夜明け。誰もがそろそろ目を覚ます時間。さぶろうは暫く朝寝といこう。いつ寝てもいい老人だからいつ目覚めてもいい。朝ご飯も喰ってもいいし喰わなくてもいい。

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赤ちゃん覗き

2016年01月31日 05時56分03秒 | Weblog

松原神社、愛称は日峯さん。龍造寺家と鍋島家が祀られている。昨日ここへも足をのばした。青空と楠の大木とお宮さんと鳩がいかにもよくマッチしていた。ここで暫くのんびりゆったりした。生まれて一月の赤ん坊を抱いた若いお母さんが家族といっしょにお詣りに来ておられた。お礼参りだろう。赤ちゃんを覗かせてもらった。産着に包まれた赤ちゃんは幸福そのものだった。さぶろうは赤ん坊を見るが好きだ。さぶろうだけじゃないだろうけど。さぶろうは人相が悪いからお母さんは心配になるかもしれない。できる限りの笑い顔を作ってはいるんだけど。

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老人の夜の手作業も楽しい

2016年01月31日 05時39分44秒 | Weblog

畑の青首大根をどっさり引いて来ておいたので、夕食後に干し大根作りに没頭した。今度は千切りにはしないで、薄く割って板状にした。これを竹で編んだ大型の笊に列べて干した。複数個の笊にいっぱいになった。みずみずしいので水分が滴り落ちるほどだ。明日から数日太陽と冬風に当てて乾燥させる。爼と包丁があればできる。こととんこととん。老人の夜の手作業もなかなか楽しいものだ。

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チベット仏教の女神グリーンタラ

2016年01月31日 05時03分49秒 | Weblog

仏画展で「チベット仏教のグリーンタラ」女神の作品を買って来た。安い複製品の方を。ホワイトタラ、ゴールデンタラも展示されていた。100万円と150万円の値札が掛けてあった。もともとはインドのヒンズーの女神だったが仏教に取り入れられたようだ。観音菩薩の左目の涙から誕生したらしい。マントラは「オンタレツッタレツーレイソバファ」愛と慈悲の守護神である。全身が緑色である。チベットではよく信仰されていると説明を受けたが、さぶろうは初めてお目にかかった。帰宅後、パソコン検索したらダライラマがこのマントラを唱えて祈りを捧げていた。抑揚がいかにもチベット風だった。さまざまな画像をたくさん閲覧した。枕元に立てていまこの美しい女神の複製品仏画をしげしげと眺めている。

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