<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ぴったりの靴

2016年01月09日 22時49分35秒 | Weblog

おれはそうは思わない。おれはこう思う。

これでいいのだ。これしかないのだ。何処をとっても違う。一人一人なのだ。暮し方も違う。目も口も鼻も耳も足も手も。心も違う。

ぴたり合わさることはない。それぞれがそれぞれの靴を履き、それぞれの服や下着を着、それぞれの帽子を被っているではないか、その証拠に。

さぶろうは仏を思う。これがさぶろうにぴったりの靴であり服であり帽子であるからだ。

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今夜はこれで満ち足りた

2016年01月09日 22時26分06秒 | Weblog

帰宅したらさっそく台所に立って里芋の皮剥きをした。我が家の畑で収穫したピンポン球以下に小さな里芋を20箇ほど。包丁を巧みに動かして。家内に頼んで里芋と人参を出し汁で煮てもらった。人参は黄色人参。これも自家生産物だ。お皿についだ。汁もとろとろになっていた。里芋と人参、これを酒の肴にして焼酎を飲んだ。お湯割りでコップ一杯。今夜はこれで満ち足りた。もう寝る。

 

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自堕落自堕落自堕落

2016年01月09日 21時42分41秒 | Weblog

おんかかかびさんまえいそわか。これは地蔵菩薩の真言マントラである。呪文である。これを唱えるとヒラケゴマになる。これはだから便利である。コンビニくらいに使い心地がいい。これで地蔵菩薩と直通する。難しい修行をするのは、さぶろうには無理だ。はなから無理だ。でも呪文を唱えることはできる。ひとりでぶつぶつ。すると慰められている。励まされている。安堵を覚えている自分に出会う。さぶろうの腹の底に力がむくむくと湧いてきている。そういうことがある。ああ、助けられたのだなと思う。

「助けられたことなど、おれは、ない。おれはそんなにひ弱ではない。おれはおれの自力で進める。おれは神や菩薩や仏の力を頼むことはない」と吠えてみる。荒野の狼になって吠えてみる。それはそれで勇ましくていい。一人で歩いて行ける者は強い。彼は己の力で己を救って行く、助けて行く。「天は己を助ける者を助ける」という諺もある。

そしてあるときふっとそれが傲慢であったことを知らされる時が来る。「おれは一人で歩いて来たと豪語していたが、もしかしたら周りの総力によって助けられて来たのではないか」という観点に立たされる時が来る。不意に来る。そして「己の一強」が総崩れになってしまうことがある。すると、どれだけの多くの人様の助力、犠牲の上を歩いて来たことかと疑念に囚われてしまう。「地球の上に立っていた」ことが分かってくる時だ。立たせてくれるものの上に立っていたという事実がやっと分明になる。おれは自力で立っていたと思っていたが、そうではなかった、と。そういうことが知らされてきて泣きの涙になる。

己の足を立たせてくれていた大地が、このときふっと地蔵菩薩に見えてくる。己の息を吸わせて吐かせていてくれた天空が虚空蔵菩薩に見えてくる。己の苦しみに代わっていてくれた病が観音菩薩に見えて来ることがある。仏なんかいるものかと吹聴していた己の目が仏を見るようになる。これで通じ合うようになる。「我以外のもの」「我を生かしているもの」「わたしを動かしている力」「not-me」ご恩の深さと通じ合うことになる。

おんかかかびさんまえいそわか。さぶろうはマントラを唱える。請求するマントラではなく領収するマントラである。「わたしをもっと幸せにして下さい」という要求のマントラではなく、「わたしは幸せであった。不思議なくらい幸せであった」という受領のマントラである。

そういいながら、矛盾が起きる。欲望が起きる。煩悩と懊悩があとを従う。お金が欲しいお金が欲しい。硫黄温泉に行って遊ぶお金がないといって不平を言う。美しい女性が通ったら、そこで気流が舞い上がる。病気になったら一挙に暗くなって神も仏もあるものかになってしまう。自堕落自堕落自堕落である。

 

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仏道を歩め歩めと促して来る

2016年01月09日 19時50分42秒 | Weblog

これはさぶろうの受け取りであるから、さぶろうに言い聞かせている解釈である。誰にでも通用するものではない。ご用心。誰人も一人一人の受け取りがあっていい。

地蔵菩薩は菩薩である。菩薩とは自己の成仏を差し置いてひたすら他者を成仏させる行動に邁進している修行者のことである。自己を利益せずにいられる者でなければ菩薩にはなれない。地蔵はわれわれと同じこちらの岸にいて、日夜われわれの救済に身を投じているので、対岸の仏の国には渡れない運命にある。さぶろうの救済がすまなければ菩薩でなくなってしまう運命にある。

クシテイガルパ・ボーデイサットバ・プールヴァ・プラニダーナ・スートラ、即ち地蔵菩薩本願経をさぶろうは高らかに朗らかに声読している。地蔵菩薩の像姿を見た者、経を聞いた者、布施供養した者、讃歎した者、敬った者、仰いだ者は行に報いて28種の功徳、利益(りやく)を得ると約束されてある。説いているのは釈迦牟尼仏である。約束をしているのも釈迦牟尼仏である。この説法を聞いて讃歎しているのは十方の諸菩薩諸仏である。

野の仏、大地の仏、地蔵菩薩の慈悲行実践を信じてこれを受けた者のご褒美とはこうである。

1)天龍護念。天空から龍が飛翔して来て行者を守って護る。

2)善果日増。日を追って善い結果が得られて行く。

3)聖集上因。聖なる神々が上等上質のカルマをこの行者に集めて来る。

4)菩提不退。仏の智慧に与って後退することがない。

5)衣食豊足。着るものも食べるものも豊かに満足が得られる。

6)疾疫不臨。疾病も疫病もこの行者には近づけない。

7)離水火災。水難火難から離れて暮らすことができる。

8)無盗賊厄。盗賊による災厄に遭わない。

9)人見欽敬(にんけんきんぎょう)。人々が敬意を払って仰ぎ見てくれる。

10)神鬼助持。神霊が助けに回って護持してくれる。

11)女転男身。女身を厭うならば男身としての活動もできる。

12)為王臣女。国王の娘に匹敵する暮らしも出来る。

13)端正相好(たんじょうそうごう)。端正な容貌を恵まれる。

14)多生天上。人界ではなく天界に生まれ変わることが多くなる。

15)或為帝王(わくいていおう)。人間界に生まれたら帝王となる。

16)宿智命通(しゅくちみょうつう)。過去世のカルマを知る智慧を授かり未来世のカルマに通じる。

17)有求皆従(うぐかいじゅう)。求めに応じて皆が従ってついて来るようになる。

18)眷属歓楽(けんぞくかんらく)。直属の者、家族親族、守護神が歓び且つはよい生活を送れる。

19)諸横消滅(しょおうしょうめつ)。もろもろの事故、災難など非業・理不尽が消滅して行く。

20)業道永除(ごうどうようじょ)。悪業のカルマが永久に除かれて行く。

21)去處尽通(こしょじんつう)。行くところ行くところことごとく善いところに通じて行く。

22)夜夢安楽(やむあんらく)。悪夢を見ないで見る夢が安らかで熟睡が出来る。

23)先亡離苦(せんもうりく)。先に亡くなった者が苦しみに遭わずにすむ。

24)宿福受生(しゅくふくじゅしょう)。これまでに積み重ねた善業の祝福を受けて生きる。

25)諸聖讃歎(しょしょうさんだん)。諸神諸菩薩が讃歎して後押しをして来る。

26)聡明利根(そうみょうりこん)。仏の智慧を得て聡明で救済活動が利発になる。

27)饒慈みん心。(にょうじみんしん)(「みん」は当用漢字にない)。豊かな慈悲のこころに溢れて来て利他の活動が出来る。

28)畢竟成仏。最後の到達点に行き着いてとうとう仏陀と等しく成る。

ちょっと約束のしすぎじゃないと思いたくなる。まことに大盤振る舞いである。これでもかこれでもかという具合に過剰なサービスである。仏教の経典はこの地蔵菩薩本願経に限らず、ほぼこのようである。助けるぞ、救うぞ、守るぞ、導くぞと書いている、約束してある。

この28種の功徳利益を得た上に更にこの後に7種の特典が付け加えてある。居並ぶ諸仏諸菩薩は釈迦牟尼仏のこの約束を聞いて称揚し讃歎する。ここまでのプロセスがすなわち地蔵菩薩の大威神力なのである。天界の刀利天からは香華・天衣・珠瓔が雨のように地蔵菩薩と釈迦牟尼仏の上に降り注がれてくる。

仏典はこのように口を酸っぱくして「仏道を歩め歩め」と促して来る。「この道を歩めばもう大丈夫だよ」と励まして慰めて来る。ふふふ、それが分かっていても、さぶろうの日常は、ボーリングで言えばガーターばかりである。ストライクは夢のまた夢。どじばかりである。哀れ、さぶろうはどこまでも違反違反を繰り返している違反者にほかならない。そこで、違反者は今朝この地蔵菩薩本願経を大きな声で読誦してみた。カモフラージュもいいところである。

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目覚め

2016年01月09日 04時45分48秒 | Weblog

目が覚めてしまった。4時半。友人も起きている。読書をしている。年寄は目覚めが早い。今日は1月8日、土曜。成人式を挟んで三連休になる。二十才を迎える若者の皆さんおめでとう。もうすませた市町村もあるようだ。寒くはない。今日は帰る予定。朝湯は6時から。もう一度寝よう。

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