<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

熱燗二合

2016年01月01日 20時00分10秒 | Weblog

楽しんで楽しんで楽しむ。生かされている日々。だったら、楽しまなきゃもったいない。一年の計は元旦にあり。これをその計とする。弟は死に兄は生きている。弟の分まで楽しむとしよう。楽しみは我が心の所作。誰に憚ることもない。夕食に熱澗二合をちびりちびり飲んだ。白菜の昆布漬が酒に合った。

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元旦早々農作業

2016年01月01日 17時10分40秒 | Weblog

思い切って往復5キロのサイクリングに出たら、途中から汗が滲んできました。でも、外はいい。風がいい。冷たくもなくて。気持ちがすっきりしました。帰宅後、そのまま畑に行き、里芋を掘り上げました。赤芋も白芋もみな。一輪車で2回運びました。大収穫です。寒さに弱いので、泥が付いたまま、小屋の中にしまいました。正月に畑に出て野良着姿で働いているなんてちょっと変に思われそうだけど、ま、いいでしょう。暇なんだから、こうでもしないと日が暮れません。でも、5時になったら、さすがに冷え冷えとした来ました。昼ご飯抜きだったので、夕食を早めに作ってもらいました。熱燗をしてあたたまります。お正月料理のがめ煮を肴にして。

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耳から涎 元旦の贅沢

2016年01月01日 13時44分14秒 | Weblog

ヒラリー・ハーンのヴァイオリンの演奏にうっとりしています。メンデルスゾーンの「ヴァイオリンコンチェルト作品64」が流れています。耳から涎が垂れてきそうです。これがさぶろうの頂いた元旦です。もったいないくらいの贅沢です。こんな老醜のするさぶろうには上等すぎています。釣り合いません。でも、それを無視して聞かせてもらっています。ふてぶてしい男です。甘い甘い音色が部屋中にとろりとろり糸を引いてそのやわらかい長い糸がさぶろうをからめて巻いてきます。

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立ち位置の確認、微量な

2016年01月01日 13時22分19秒 | Weblog

「ああ、さぶろうは地球に住んでいたんだ」そう思って、宙に両手で地球をこしらえて、「わたしは地球の上に立っておりました」と認めてから、「ここで70年暮らしておりました。ありがとうございました」と感謝をしました。いよいよ71年目に入ることになります。それからやっぱり両手を宙にぐるっと回して太陽を象り、「わたしは太陽の光を受けていたんだ」そう思って、「わたしは太陽の光のエネルギーにかがやかされておりました」と認め「ありがとうございました」と感謝をしました。それから銀河を想定してそこに出現させて、「わたしはあなたの無限の広がりの中に広がっておりました」と呟いて感謝をしました。それからそれから最後に宇宙の根源へ行き着くことにしました。瞑想だから簡単です。大きな円のぐるぐるぐるを幾度もして両手の中にそれを運搬してくるだけです。そして「根源の意思と会話をします」と言い添えて、「わたしはあなたの愛のエネルギーに包まれ満たされて過ごしました」と感謝をしました。今朝方の6時から7時までの1時間でさぶろうがしたことです、これは。さぶろうの立ち位置をさぶろう流に確かめることが出来ました。ほんの少しばかり。耳掻きに乗るくらいの微量の確認になりました。

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彼にはドラマもない

2016年01月01日 11時24分59秒 | Weblog

老いたさぶろうにはもうどんなドラマもありません。彼には、だから、おもしろみが感じられません。小説の主人公にはとてもできません。このブログを読んでいて下さる方には申し訳がありません。さぶろうが息をすると腹がふくれるので、机上のペットボトルの水が波立ちます。ひとひたひたひた細かい動きをします。外から光が来ていっそうそれを輝かします。丸い器の表面で意外とそれが律動的に大きな速い動きをするのです。こんなことを面白がっているくらいです。畑では番(つがい)のヒヨドリがブロッコリーの緑葉をせっせと啄んでいます。啄むのに疲れると鼠色の首を長くしてさぶろうを覗いて来ます。食欲旺盛なのでたちどころに、1日2日で、あのじぐざぐした長い葉っぱを何枚もぺろりと食い尽くしてしまいます。

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平穏が来ているので平穏に居る

2016年01月01日 11時07分54秒 | Weblog

平穏。平和でおだやか。老いが深まるとこれが一等に慕われます。そしてそれをこの元旦に手にしています。そういうこころの在処にいる、それで足りています。かってのような欲心がもうあまり蠢きません。見ている長閑な風景で長閑になっています。欲心が動いてもそれに対応する力、対応力行動力がないのですから、いずれ仕方のないことなのです。元旦だといって普通の日となんら変わるところがありません。着ているのも普段着です。屠蘇も飲みません。注連縄も松飾りもありません。宮参りにも出掛けません。村里にはいつもの冬鳥が来て鳴いています。畑の片隅にホトケノザがうっすら紫の花を着けています。垣根の藪に素朴を絵にしたような山椿が紅くほんのりしているのを発見しました。

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どなた様も明けましておめでとうございます

2016年01月01日 10時43分18秒 | Weblog

明けましておめでとうございます。2016年が始まりました。世界が平和でありますように。精神世界が豊かになりますように。生きとし生けるものが向上を辿って進みますように。日々刻々、すべての人々に運ばれてくるよろこびの食事、法喜食、禅悦食をすべての人々が喜べますように。さっき起きてお雑煮を頂きました。今年の正月は簡単な精進料理です。おだやかな元旦です。でもここは深山幽谷のように辺り一面深い霧に包まれています。全国いたるところが晴れ。見事な初日の出が楽しめたようですね。

法喜食(ほうきじき)・禅悦食(ぜんねつじき)とは法華経に出て来る言葉です。人は胃袋でだけ食事をしているのではありません。こころもたましいも、やはり空腹を覚えています。法喜食は法(菩提・仏の示された智慧や教え)を喜ぶという食べ物です。喜ぶことが食べ物になっています。法は全宇宙、宇宙の成り立ち、その調和と秩序というふうにも受け取れます。禅はニルバーナ、寂静、コントロールされたこころのこと、それにひたる悦びの食事のようです。誰でも何処ででもいつでも食べられる食事です。

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