花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「貝文様」について

2013-04-03 | 文様について

presented by hanamura ginza


お彼岸を過ぎてからも、
東京では花冷えのする寒い日がつづいています。
満開となった桜の花も、昨日の風雨でだいぶ散ってしまいました。

桜景色が見られなくなったのは寂しいことですが、
その桜とバトンタッチするように、
花水木や山吹の蕾が少しずつ大きくなっています。
こうした彩り豊かな花々が咲く季節は、
お出かけするのも、楽しいものですね。

また、外出先でこの時期ならではの味覚を楽しむのも、
季節を感じる贅沢といえるでしょう。

この季節には多くの魚介類が産卵期を迎え、栄養を豊富にとるため
脂ののったものが多く水揚げされます。
サワラやニシン、サクラダイ、サクラエビ、カツオやホタルイカ、
貝類などの魚介類の多くはいまが旬となります。
今日は、そんなわけで貝の文様についてお話ししましょう。

貝は、世界中で食されてきた魚介類のひとつで、
その数は 108000 種にもなります。
世界のなかでも有数の産地として知られる日本には、
7000 種ほどが棲息しているそうです。

そのため貝は、日本の文化との深い関わりを
古くからもってきました。

日本全国で発掘されてきた縄文時代の遺跡からは、
多くの貝殻が出土されていて、
当時の人々が貝を貴重な食材としていたことが窺えます。
また、当時の人々は貝を貨幣としても用いたそうです。

一方、紀元前 1500 年ごろの中国では、
稀少だった子安貝を貨幣として用いていたということで、
当時作られた青銅器の内底には、
貝 10 枚と交換したということを意味する
「貝朋用」という文字が記されているものがあるようです。
漢字の財、貯、貨、費など、お金に関するものには、
「貝」が用いられていますね。

ちなみに、パプアニューギニアでは
最近まで貝を貨幣として用いていたようで、
稀少な貝3個で家が建つほどでした。

日本最大の巻貝とされるホラガイは楽器として用いられ
ホラガイを吹くと邪気が払えると考えられていました。
貝が生成する真珠も古くから飾り物に用いられ、
「日本書紀」や「古事記」「万葉集」においてすでにその記述がみられます。

奈良時代には、貝殻を原料とした螺鈿の技術が中国から伝えられ、
多くの調度品や楽器などに施されるようになりました。
螺鈿の技術は、平安時代になるとより高度になり、
安土桃山時代には、海外への輸出品としても盛んにつくられ、
西欧の上流階級で、人気を博しました。

平安時代には、ハマグリに絵を描いた「貝合わせ」という遊戯が
貴族たちの間で人気となりました。
この貝合わせも、もともとは採ってきた貝の美しさを競い合う遊びだったようで、
当時も美しい貝は、宝石のように貴重なものとして扱われていたようです。

意匠のモチーフとしては、
古くは縄文時代の土器にさまざまな貝殻の文様が見受けられます。
江戸時代には平安時代の貴族文化への憧れもあり、
雅な趣きのある吉祥文様として人気を博した「貝合わせ文様」、
その貝合わせの貝を入れた「貝桶文様」などが考案されました。
また江戸時代の小袖や能衣装には、
蛸や海藻などとともにあらわされた貝文様が見受けられます。



上の写真は大正~昭和初期頃につくられた絹布からお仕立て替えした名古屋帯です。
雲の間から覗く松林や海辺の景色が染めあらわされています。
楽しげに飛ぶ千鳥と、砂浜に配された貝の文様がかわいらしく、
海辺に吹くおだやかな南風が感じられます。

さて、この花冷えの寒さも今週中にはやわらぐということで、
来週には、上の意匠のような
おだやかな南風が吹くなかでのお散歩が楽しめそうです。

上の写真の「松林に千鳥と貝文様 型染め 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介している商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 4 月 17 日(水)予定です。
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