花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「蜀江(しょっこう)文様」について

2012-02-15 | 文様について

presented by hanamura ginza


立春を迎え、寒さのなかにも春の訪れを感じることが
少しずつ増えてきました。
今年は寒い日が多く、梅の開花も例年より2週間ほど遅くなったようですが、
東京でも、ようやく梅のつぼみが開きはじめました。

春の到来を知らせるように咲く梅は、
古来より人々に愛でられ、
現在でもこの時期になると、
各地では梅の開花を祝う梅祭りが行われます。

梅は日本を代表する花のひとつともなっていますが、
もともとこの梅は、奈良時代に中国から渡来したものです。

日本には、梅のように古来に中国からもたらされ、
長い月日を経て日本に溶け込んだものが数多くありますね。

今日お話する蜀江(しょっこう)文様も、
現在では着物や帯の意匠として多く用いられていますが、
こちらも、もともとは中国から日本にもたらされた
錦織(にしきおり)という絹織物に縁の深い文様です。

蜀江文様とは、
八角形と四角形を隙間なく連続的につなげた文様です。

蜀江という呼び名は、
中国の三国時代に魏、呉と共に三国時代を形成した国、
「蜀(しょく)」にあった「蜀江」という河の名前に由来しています。
蜀江は、蜀の首都を流れる河で、
古くから良質な絹織物の産地として知られ、
三国時代には紅地の豪華な錦織がつくられていました。

錦織とは、高機(たかばた)用いて多彩な色糸で文様を織り上げた絹織物で、
古代の中国で考案されました。
当時の中国では、絹はたいへん貴重なものでしたが、
錦織は、その中でも金と同じ価値をもつともいわれ、
貴族の正装に用いられていました。

蜀江でつくられた錦織は、
奈良時代に日本にももたらされ、
紅色の地の美しさと錦織による精緻で華麗な文様は
当時の人々を魅了しました。
法隆寺には当時もたらされた錦織が数多く伝えられていますが、
そのなかでも、蜀江からもたらされた紅色の錦織は「蜀江錦」とよばれ、
とくに珍重されました。

当時もたらされた蜀江錦は、紅色と金色を用いて、
二重格子の文様の中に、蓮文様と忍冬(にんどう)文様※を配したものでした。
この蜀江錦は法隆寺に伝わる宝物として
「法隆寺蜀江錦」とよばれています。

中国ではこの蜀江錦の図案をもとにして、
さまざまな文様の蜀江錦が織られましたが、
その中でも多く用いられた文様が、
八角形の中に龍や鳳凰、蓮の花などの吉祥文様を配したものでした。

こうした蜀江錦は、明の時代に多くつくられ、
日本には室町時代にもたらされました。
中国からもたらされた蜀江錦は能装束や茶器の仕覆、
書画の表装などに用いられるようになり、
「名物裂」として重宝されました。

当時もたらされた蜀江錦に多く織りあらわされた
八角形と四角形を繋いだ文様が
のちに「蜀江文様」とよばれるようになり、
この蜀江文様を模してさまざまな意匠が考案されました。
蜀江文様は、現在でも格調高い文様として、
錦織により多くあらわされ、
袋帯などに用いられています。



上の写真は蜀江文様に唐花と鳳凰が配された型染めの名古屋帯です。
こちらは、明治時代から大正時代につくられた紬地の絹布から
お仕立て替えしたものです。
藍色と灰色を基調としたシンプルなお色目ですが、
名物裂ともなった蜀江錦を由来にした蜀江文様ならではの
悠久の歴史とロマンの香りが感じられます。

※忍冬文様=忍冬(すいかずら)のようなツル草の文様。古代オリエントで発生し、
中国を経て日本に伝わった。

上の写真の「蜀江文 型染め 名古屋帯」は2月17日(金)に花邑銀座店でご紹介予定の商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は2月29日(木)予定です。

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