OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

逃げ込む場所を自分で作りたい・・・んだろうな

2024-05-15 14:41:48 | Weblog
先日から、"世界を創造する"という話を何度かしていますが・・・ああ、もちろん、自分の頭の中でってことですが(^^;・・・なんで、そこに拘っているのかなぁ~って考えると・・・逃げ込む先が、袋小路なんだなって気づきました(涙)。

夢中になることとか、一生懸命になることとか・・・そういうことって、みんな、ある種の逃げ場所だと思うんですよね。

依存症なんかは分かりやすい例ですよね。"推し"を得ることも、大いにそうですよね。ワーカーホリックなんかも、実はそうですよね・・・あっ、ワーカーホリックは仕事依存症だから、薬物依存や買い物依存、最近話題のギャンブル依存なんかと変わらないか(^^;。

愛なんかもそうですよね・・・そういう表現は避けるべきかもしれませんが・・・恋愛でも家族の愛でも、やっぱりある種の逃げ場所を提供してくれているものですよね・・・

逃げ場所・・・逃げ場所は、アンカーでもある・・・強い惹き(引き)でもって、心(ひいては体)をこの世界にとどめてくれる・・・

私の人生にも、たくさんの逃げ場所がありました・・・夢中になれるものたち・・・愛・・・たくさん・・・

でも、年を重ねるとともに・・・それらの逃げ場所は、増えていきもするけど減ってもいく・・・実際に、物理的に減る場合もあれば・・・精神的に減ることもあり・・・・物理的な減少が精神的減少を加速させることもある・・・そして、今、わたしは、自分にとっての逃げ場所を補強する必要を漠然と感じているんでしょうね・・・

随分前に、わたしの夢は、フルカラーで、複雑なストーリーが(夢にしては)破綻なく展開するとお話したことがあると思いますが・・・ほんとうに、毎晩、一本の映画で主人公になって波乱万丈の人生を生きるような体験が出来ていた頃があるんですが・・・その経験が潜在意識に働いているのかな・・・ずっと夢の中で生きられるなら、それも楽しいかも・・・なんてね・・・ちょっとばかり、そんなことを思ったりもするんですが・・・

夢って、やっぱり不安定じゃないですか・・・自分が作り出しているといっても、確実に思うように展開するわけじゃない…怖い思いもするし、悲しい思いをすることもある・・・

だから、そういう不確実で未完成な夢に頼るのではなく、ちゃんと自分自身で、自分が逃げこめる世界を構築したいんじゃないかな・・・わたしは・・・

とはいっても、自分が主役のシンデレラストーリーとか、サクセスストーリーとか、そういうのを作りたいわけじゃないんだと思うんですよね・・・さすがに、もう思春期の少女じゃないんだから・・・・おっと、思春期の少女の頃も、そんなに可愛らしい感性の持ち主じゃなかったけど(^^;。

じゃあ、神になりたいのか・・・ある意味、そういうことになりますかね・・・創造主ですからね・・・でも、決して絶対的な力を持つ者になりたいとか、支配者になりたいとか、世界を操りたいとか、そういうことではないんですよ・・・世界を創造できたとしても、その世界で、わたしは、神として君臨したいわけではないですからね・・・むしろ路傍の石でいい・・・そこに、安心して逃げ込めるなら・・・

これも以前に話したと思うんですが・・・エデンの園に知恵の木があったのは、神様が、人間に、それを食べさせたかったからだよね・・・それも、ダメと言っているのに、自分の意志で食べちゃって、エデンの園を出ていかなきゃならなくなるのを期待していたに違いないよね・・・だって、わたしが神様なら、それを望むもの・・・聖書の物語を書いた人も、きっとそう思っていたんだよね・・・って。愛があるなら、子供の成長と自立は、一番望むことだもの・・・すごく寂しいことだけど、それに耐えて送り出すのが、親の幸せだもの・・・

そっか・・・わたしが創る世界は、決して、わたしの逃げ場所にはならないんだろうな・・・というより、作るという作業それ自体なら、逃げ場所になってくれるかも・・・ふむ・・・ふむ・・・