OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

我が家の"今年の漢字"は『病』(^^;

2019-12-11 15:44:09 | Weblog
天邪鬼ですから、"今年の漢字"みたいな催しとは無縁でいたい方なんですが・・・今年ばかりは、勝手に頭の中で『病』という漢字がグルグルします(^^;。

母、夫、息子に、愛猫、愛車まで・・・「そんなに一気に襲って来なくてもいいじゃないですか。なにか我が家に含むところがおありですか」と、天に向かって恨み言を言いたくなってしまいました(^^;。

でもまあ、一時は深刻な事態も覚悟する場面もありましたが、全員が良い方に向かっているようですし、一山乗り越えたと思いたいですね、はい。

ただ、母は・・・運転免許更新を諦め、その直後に体調を壊し・・・その後、体調が回復しても、たぶん心の方が何とも・・・ふむ。で、一気に出来ないことが増えて、日常生活に関しても、精神的な部分においても、娘に対する依存率が一気に増加して・・・わたしとしては、プレ介護者生活に突入している感じです。とはいえ、基本的な動作で介助は必要ないですし、畑仕事も頑張って続けていますし・・・このままどんどん衰える方向ではなく、自信とやる気を取り戻してくれたら、体力や運動能力もいくらか回復するに違いないと思うんですけどね。

ところで・・・気が弱くなっているせいでしょうか・・・最近、母が、よく藍那のことを口にします。以前は、わたしを気遣ってか、そんなことは言わなかったのですが、最近はしばしば「なんでなんやろ、かわいそうに」というようなことを、繰り返し言うようになりました。

そういう言葉に対して、わたしは一切反応しません。「そうやね、なんでやろうね。まだ若かいのに、かわいそうやね。つらいね」、そう返してあげればいいのかもしれませんが、返すことができません。なので、結果として"無視"してしまいます。

母は、あたりまえですが他人ではありません。わたしの母親ですし、藍那の祖母です。口にする言葉は同情や慰めではなく、わたしと同じ痛みの中から発せられるものです。だから、それを拒否する理由はないんです。でも・・・出来ないんですよね。この気持ちは、同じ痛みをもった者同士であっても共有できない・・・完全に個々人のものなんだと思います。

夫は、それを理解してくれているからか、そういうことは一切言いません。もちろん、二人で藍那の話はよくしますが、悲しみを共有するような会話はしたことがありません。

母も以前はそうだったんですが・・・ああ~、もしかしたら・・・母はずっと、わたしと悲しみや寂しさを共有したかったのかな。でも、拒絶しているわたしの心情をおもんばかって我慢していた・・・それが、今になって噴き出しているのかな・・・そうだとしたら、申し訳ないとは思うのだけど・・・ごめんなさい、わたしにはやっぱり、それは無理なんです・・・

もちろん、夫や母が、わたしと同じようにそれぞれの心の中で今も悲しみを抱いているということ・・・それを、わたしが知っているということは、わたしにとって大きな慰めになっているし、力にもなっているんですよ。だから・・・なんというか・・・癒えることなどありようもない悲しみは、共有ではなく、距離をおいた共感によって、もっとも助けられるのかなぁ~、わたしの場合、と思います。